第21話 ある朝の一幕
「――
「はい」
今朝の朝食をフォークとナイフで切り分ける合間に、マティアスはクアドラへ再確認した。ホリー渾身のクロックマダム――カリッと焼かれたパンの歯応えと、その間に挟まれたハムとチーズの旨味が心地好い。まろやかなベシャメルソースと上に乗せられた半熟の目玉焼きが、味わいをさらに一段上の次元へと引き上げている。……が、それをのんびりと堪能している暇は、〝
「国王陛下から直々に『是非とも』とお願いがありました。流石に断るわけにも参りません。建国祭当日の三日前……という慌ただしい状況ですが、マティアス、そのようにお願いします」
「うぅん……」
気乗りしない声で呻きつつ、マティアスはカップの中で湯気を立てる紅茶を一口啜る。蜂蜜はもちろん、砂糖すら入っていないストレートのアールグレイはほんのりと苦いが……おかげで思考は引き締められた。
長テーブルの上座に腰掛けるマティアスの斜め前に座って、食器に一切の音を立てさせずにクロックマダムを処理していくクアドラの所作に見惚れそうになりながら、それを自制して銀の猫っ毛の〝
「あのさ、クアドラ。……もしかしなくても、予期してたでしょ?」
「はい」
事も無げにこちらの推理を肯定したクアドラに、マティアスは口を僅かにへの字にする。
実はマティアス、クアドラの指示で、ザ・ワンに来て間も無くの頃に礼服を一着、注文していた。〝
(『着ていく服が無い』――そんな定石的な理由で辞退が出来ないように、外堀が埋められてた……)
まあ、実際にそんな理由で断ることは出来なかっただろうが。……マティアスに式典へ出席出来るような服が本当に無かったとしても、相手は王家。王宮に数多用意されているであろう礼服から、概ね彼の体格に合う物を選び出し、それを急ピッチで仕立て直して着込ませたはずだ。
だが、そもそもそんなありきたりな断りの弁を言わせないのが、クアドラのやり方である。
(……クアドラの中では、僕が建国祭の式典で挨拶することは、既に確定事項なんだね……)
こうなると、マティアスが如何なる抵抗をしようとも、最終的にはクアドラの思惑の通りになってしまうのは、経験則で彼にも解っていた。それに、クアドラはマティアスにマイナスの影響を与えるようなことは、何だこうだ言ってやらせたりはしない。建国祭の式典での挨拶も、マティアスにとってプラスになると判断して承ったのだろう……。
(だから、抵抗するだけ時間と労力の無駄か……)
「……了解したよ。挨拶の内容、考えないと……はぁ……」
「えぇと、頑張って、マティアスくん。わたしもお手伝い出来ることがあれば、お手伝いするわ、ね?」
「マティアスお兄ちゃん、そういう堅苦しい挨拶ならニーテお姉ちゃんが考えるの得意だよー。手伝ってもらえば?」
「ちょ、ホリー!? ……コホンッ。そういうものは、本人が一言一句しっかりと考えて、自分の言葉で話すからこそ意味があると思います。マティアス様もそうすべきかと」
「あー、ニーテお姉ちゃん逃げたよー」
「うん……逃げちゃったわ」
「ホリーも姉さんも人聞きの悪いこと言わないで!」
一緒に食卓に就いていたラーン、ニーテ、ホリーのかしましい声に、マティアスは苦笑を、クアドラは溜息を零す。
……本当なら、メイドであるラーンたちはマティアスと食事を共にするなど許されないのだが、少し前――具体的には〝
『はーい、マティアスお兄ちゃん。学校だけじゃなく、お屋敷でも敬語禁止で話したい!』
……そうホリーが言い出した時には、クアドラも鬼の形相になるのではないかとマティアス、ラーン、ニーテは心配したものだが……意外なことに、あまり度が過ぎないのであれば、彼女はそれを黙認した。名目上はメイドであっても、ホリーの真実の立場は〝
そして、ホリーが黙認されるのであればと、同じく〝
それに釣られて、マティアスの〝
それを良いこととクアドラが思っているのかは解らないが、マティアスに何も言ってこない以上、少なくとも悪いこととは思っていない模様である。
――ところで、先程のクアドラの溜息は、また別の意味も含んでいた。
「ホリー様、ラーン様、ニーテ様、他人事のように言われていますが――皆様もマティアスと一緒に出るのですよ、建国祭の式典に。……今日の午前中辺り、ご実家からその旨と関連する荷物が届くと思いますので、そのおつもりで。――本日は以降の仕事は全てわたくしが代わります」
「「「ぅえっ?」」」
クアドラの説明に、メイド三姉妹は困惑の声を合唱させた。
(あ……これ、本気でそうなんだ……)
自身の教育係兼護衛がラーンたちに敬語……メイドではなく〝
「クアドラ、詳しく訊いていい?」
「建国祭の式典で、アイシア聖母学院の〝
「………………」
マティアスが物凄く渋いお茶を飲んだ時のような顔になったのは、きっと仕方が無かった。
(また、
「……えぇと、あ、あのっ」
そんな中、姉妹を代表して長女のラーンが小さく手を上げる。
「建国祭の式典への出席については、解りましたが……その、関連する荷物って……?」
不安げな赤髪の少女へ、紫髪の淑女は淡々と告げる。
「式典への出席は、アイシア聖母学院の制服であれば問題が無いそうですが――〝
クアドラの断言を裏付けるかのように、屋敷の門前に来訪者があったことを伝えるベルの音が鳴り響いた。
「……これより数時間、着せ替え人形にされることへの、お覚悟を」
クアドラの声音には、ラーン、ニーテ、ホリーに訪れる苦難への同情が、確かに滲んでいた……。
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