第2話 そらのたび

 暗い宇宙の中に、渦巻くように星々が輝いていた。澄んだ闇はほんのかけらの重さもなく、遠いのか近いのかも分からない、ただぼんやりとはるか彼方にまで広がっていた。僕と少女はその闇の中を歩いていた。手足の感覚もない幻の中にいるようだった。

 彼女は手のひらに、青い光を放つ玉を持っていた。水をすくうように手を揃えて胸の前に掲げ、それを一心に見つめたまま歩いていた。青い光はガラスのように鋭く輝き、どこまでも光っていった。強い光に照らされて、彼女の瞳も僕の目も、海に似た不思議な色に染まっていた。

 この玉をお返しするために、わたしはここへ来たの、と彼女は言った。僕は何も聞き返さないで、黙って少女の後ろを歩いた。

 向こうでは、大きな赤い星雲が壁のように広がって、茶色い霧を吐いていた。星雲の中には生まれたばかりの小さな星たちが房になって青白く光っていた。周りには星になることのなかった虹色の霧たちが、どこかへ行こうか、それともここにいようかと迷うように、ゆらゆらと漂っていた。そうかと思えば一生を終えようとしている赤い老いた星が静かに息を繰り返していた。

 闇の中では光の筋がいくつも行き交い、僕たちの耳元を飛んでいくものもあった。光の飛んでいく音が風のうねりのように聞こえた。飛んで行った光の筋は闇の中で突然弾けて、太陽のように激しく光った後、塵になって闇の底に沈んでいった。

 少女の玉は青く輝き続けていた。まっすぐに放たれた光は闇の中に吸い込まれていった。少女はあてもなく歩いていくだけだった。

「ああ。わたしはこの玉をお返ししなければならないわ」

 彼女はさっきと同じことを言った。

「ほんとうは、もっと見ていたかったのだけれど、もう、お返ししなければならないわ。だってこれは、お借りしたものなのだもの。ほんとうのわたしのものではないのだもの」

 僕は何も返事をせずに黙って少女の肩を見ていた。彼女の肩越しに、青い光が滲み出ていた。

「ああ」

 彼女は突然立ち止まって、顔を上げた。

 さっき遠くに見えたはずの大きな赤い星雲が、いつの間にか僕たちの目の前に立ち塞がって、勢いよく霧を吐いていた。茶色い霧の中には、生涯を終えようとしている赤い老いた星が浮かんでいた。

「ああ」

 少女は自分の持っている青い玉を胸にかたく抱いて、しばらく動かなかった。茶色の霧は火のように熱く吹き上がり、僕たちの顔を焼くようだった。

 彼女は星雲の中の老いた星を見ると、そっと手を差し出して、青い玉を手放そうとした。回るように光る青い玉は、茶色の霧の中で澄み渡って、映えていた。

 途端に星雲がうなりをあげて、僕たちに迫ってきた。熱い風が体中にそそぎ、僕たちは目を開けていられなかった。体を焼かれるような痛みで、身動きも取れなかった。激しい風の中で体を縮めて耐えていると、やがて熱風は去り、元の静けさに戻った。

 目を開けたとき、僕が見たのは、少女が赤い星雲に包まれている景色だった。星雲は霧を吐くのをやめ、本当に透き通った光になって、彼女を包み込んでいた。彼女も驚いたように立ち尽くしていた。彼女が持っていた青い玉は、老いた星が抱えていた。玉はまだ、水のように透き通って輝いていた。

 老いた赤い星は少女に進み寄り、透き通った青い玉を彼女の体の中へと戻した。

 あたたかい風が吹いて、体中の力が抜けた。

 僕たちは何も言わないで、星雲を見上げていた。

 星雲は穏やかに煌いていた。


 そんな不思議な夢を見たことを、僕は慌ただしい朝の電車の中で思い出していた。

 あの少女はどうしただろう。

 きっとあの子も目を覚まして、どこか遠い街で、いつも通りの朝を迎えているに違いない。

 走り抜けていく都会のビルを見ながら、僕はそう思っていた。

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