【短編集】百色宇宙

すえのは

第1話 星の旅人

 それは、耳が痛くなるほど静かな、青白い夜のことでした。水銀のように光る海の水面を、ひとつの小さな木船が進んでいます。船の影がゆらゆらと後ろになびいていました。こびとの弟が海をのぞくと、その顔も波の上にゆらいで見えました。兄さんはゆっくりと船をこいでいます。辺りには鈍色の岩の島があちらこちらに浮かんでいました。ふたりはひとつの岸を指差し、そちらを目指して櫂をこいでいきました。水の音すら、宇宙の彼方へ消えていくように遠くに聞こえたのです。ふたりは浅瀬に船を寄せて、岩の岸に降り立ちました。

 空を見上げると、大きな白い月が輝いて、夜の海辺を照らしていました。流れてゆく雲は、桃色やオレンジのマーブルになってもやもやと影を落としていきます。空のずっと向こうには金や銀の星々が折り重なって、どこまでも深く群青色の闇の中に続いているのでした。本当にこの夜空はオーロラを広げたように虹色だったのです。

 こびとの弟も透き通った虹色の影を背中に伸ばして、手をひたいにかざします。そばにある大きな岩の影まで透き通っています。辺りを見渡しますが、ただりんとした大地が広がっているだけで、誰の姿も見えません。

「にいさん、やっぱりここにも誰もいないみたいだよ」

「うん、そうみたいだね」

 兄さんのこびとも悩むようにうなずきました。

 ふたりは生まれてから今まで一度も他人を見たことがありません。どこかにいるはずの仲間を探して、たったふたりで長い旅をしてきたのでした。

「みんなはいったいどこにいるんだろう。もうこの星にはいないんだろうか」

 兄さんのこびとがつぶやきます。

 そのとき、弟のこびとの瞳に突然ひとすじのまぶしい光が流れていきました。

「にいさん、あれを見て」

 息を呑む間もなく、弟のこびとは指を差します。大きな夜空に、金の粉を散らしたような光のすじが横切っていくのです。群青色の闇の中から青白い月の光に飛び込み、マーブルにかすんだ雲のわきも越えていきます。左から右へ、まっすぐ空を昇っています。周りの星々はぴたりとも動きません。くっきりとわだちを残しながら、金の光は川のように流れていきます。あまりに遠いので粉粒のようにしか見えませんが、よく目をこらして見ると、それは兄弟たちと同じこびとが、船に乗って空へ飛び立っている群れだったのです。みんな本当に金色に光って船をこいでいます。

「みんなあんなところにいたんだね。もう飛び立っているよ」

 こびとたちはまだ見ぬ仲間たちを探して星の旅を続けていくのです。

「にいさん、ぼくたちも行こうよ」

「そうだね。ぼくたちも行こう。ふたりきりではさみしいもの。みんなといっしょに行こう。ぼくたちはみんな、ひとりきりでは生きていけないのだから」

 ふたりも船に乗って櫂を手に取ります。そうして他のこびとたちといっしょに空へ飛び立ちます。ふたりきりだった兄弟も金色の光のひとすじになって星を去ります。

「さようなら、きれいな星。さようなら、大好きな星」

 マーブル色の雲を越え、星々に手を振り、ふたりのおさない兄弟はまた長い旅へ出ます。

 こびとたちが去ったあと、岩の岸には兄弟たちの影がまだ虹色になって残っているのでした。

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