異世界転移と異次元転移は違う

QCビット

第1話 蜜月

まるで太陽と喧嘩をするかの様に、その道は東西に延びていた。都内に向かう時は、朝焼けの中、太陽に突っ込んで行く様に道は延び、アパートに帰る時は、夕焼けの太陽に向かって走った。半年前に車を手に入れてから、週末のお決まりの景色だった。だがそのパターンが今日は違っていた。さっきまで起きていた助手席のみゆき(狩賀谷美幸)が、今は浅い眠りに入っていた。五月半ばの週末、あれほど嫌がっていた、里宮駿の通う大学のイベント行事を見に、彼のアパートを訪れた美幸だった。二人は二年前、その大学の医学部を受験した。だが、皮肉にも駿だけが受かり、確実と言われていた美幸が落ちた。そのため美幸は、滑り止めであった都内の大学の薬学部に今は通っていた。有名な進学校に通った二人の高校生活は、その殆どを勉強に費やしていた。美幸は叔父の病院を継がなければ成らないと言う重い責務のために、駿は兎も角、美幸の側に居たいとの願望の為に、ひたすら勉強をしていた二人の結果が、皮肉な結末として落ち着いた。


「私て、本当はそんなに頭良くないのよ。ずーとトップで居る事がどんなに大変だったかわかる。」美幸がこの間漏らした、淋しそうな言葉を駿は思い起こしていた。


「あの時は、無性に駿が憎たらしかった。何で駿が受かって、私が落ちるのよ。だから、絶対にあそこ(大学)へは行かないと決めていたの。でも、駿は遠いのに何時も私の所へ来てくれてた。本当はこっそり受験勉強をして、駿の後輩でも良いから、あの大学に入ろうと思っていたんだけど・・・何だか疲れちゃったのよ。そんな事やるのが。」都内を出た車内での美幸の会話だったが、その時は、結局、大学のイベントには行かずに駿のアパートでぼーとしていただけだった。そんな美幸のために、駿はある計画を立てていた。八ヶ岳山麓のホテルを兼ねた観光施設の周りに、木立に囲まれた貸し別荘があった。駿は、大学のゼミに使うと言う名目でその一つを借りた。観光シーズンにはまだ一寸時期が早い為か、予約はすんなり取れた。閑静なたたずまいの中に、ログハウス風の建屋が何棟も木立に隠れる様に建てられていた。美幸が駿のアパートに来始めてから、大学に近かったアパートでは、何かと不便があった。ゼミの仲間や、他の部屋にも同じ大学に通う学生がいた。美幸が三度目に泊まった日の朝に、同じゼミ仲間の芳山が突然訪ねて来た。彼女は、休んでしまったゼミの講義ノートを駿に借りようと訪ねて来たのだった。芳山は部屋のドア口で女物の靴を見て事態を察したのか、部屋には入らずにノートだけ借りて帰っていったが、帰りがけに


「彼女・・・」と小声で尋ねてきた。駿は曖昧に


「ああ」とだけ答えたが、その時の芳山の曇った顔が気にかかっていた。


その後、特に大学仲間から美幸の事が話題になる事はなかったが、芳山以外の仲間に知られる事に対して、奇妙な警戒心が生まれてしまった。冷静に考えてみれば、高校時代からの付き合いで、仲間に「彼女」と紹介した所で何の不都合も無かったはずである。警戒心の発端は、やはり美幸への思いやりから来ているのだろう、美幸が仮にこの大学の学生であったならば、何の問題も無かった。本来なら、きっとそうなっていたはずの現実が、何かの気まぐれで捻じ曲げられてその歪みを背負い込んだまま美幸は疲れ果てている様だった。


「今の人(女性)誰・・・」


「ああ、ゼミの仲間、この間休んだからノート借りに来たんだ。」


「可愛い人じゃない、こんな朝早くから来るなんて、駿に気が有るんじゃないの。」


「別に、休みの日は何時も居ないもんだから・・・・」


「そうね、何時も私の所だものね。」


美幸は素っ気なく言い放ったが、何処か棘が有る様に聞こえた。


「芳山て言うんだけど、一寸困ってるんだ。彼女、男性恐怖症なんだ。」


「男性恐怖症!それが何で駿の所にやって来るのよ。」


「それは、俺にも解らないが、懐かれてるて言うのか、ともかく、他の男が居ると全然だめで男性教授にさえ拒否反応が出るんだ。」


「それってやっぱり駿に気があるのよ。」


「こっちは良い迷惑なんだけど、何だか俺が保護者みたいな存在になっているわけさ。でも、最近ふと考えたんだけど、芳山も、女子校だけど、関西の有名な進学校出で、勉強しかやって来なかったんだ。誰かと似てないか?」


「それって私の事。」


「美幸だって、俺以外の男に無関心じゃないのかな。俺は、それで嬉しいけど。」


「そう言われると・・・確かに何時も何かにつけてちょっかいを出して来ていたのが駿だから、当然の様に考えていたけど。」


「俺、芳山にはちょっかい出してないから。医学部志望だって、美幸の側に居たいからの事で・・・」


「そんなの解ってるわよ。駿の気持ち位。」


その言葉の後に何かを言いたそうだったが、美幸は黙ってしまった。そんな週末から三週程立った頃の梅雨の終わりの時期に、駿は都内に向けて車を走らせていた。


 その日は何時もの様に朝日に向かって突っ走ていた。この時間帯であれば都内も混まないまま、神宮外延までたどり着ける。そして美幸を乗せ、今度は太陽を背にして走れば、都内の雑踏から逃れられる。駿はその時の疾走が好きだった。翼を得た鳥のように、太陽を背に地上に向かうイカロスを彷彿とさせた。美幸の住むマンションは、彼女の叔父が所有するもので、付近の大学に通う女子学生専用のアパートとなっていた。もちろん男子禁制である。その洒落た作りから人気の高い物件であった。美幸の実家は、千葉だったが高校時代からこのマンションに住んでいる美幸を、当時のクラスの女子は羨望の目で見ていた。高校の頃は、週に一、二回、母親が訪ねて来てはいたが、大学生となった今ではそれも殆ど無くなった。


 連絡した時間どおりにマンションの前に着いた駿を、美幸は外で待っていた。時折、同じような状況のカップルと鉢合わせする事も有ったが、ポルシェやBMWに乗った男達は互いに関心を示さなかった。


「こんな都会の真ん中でも、朝は空気がきれいな感じがする。」あまり山や海と言った田舎へ行った事がない美幸にとって、そんな事ですら満足だったのだろう。美幸を乗せ、駿は逃げる様に都内を脱出した。東西に伸びる高速道路を、朝日を背にして走り続け、途中に休憩を入れてから何時ものコースからそれた。美幸には、それとなく話はしてあったが、詳しいことは伝えて無かった。


「貸し別荘を借りたんだ。」


「ふーん」美幸の反応は素っ気なかった。


でも、山間部に入ると、彼女なりに景色を楽しんでいる様子が解かった。高速のインターから1時間程でその別荘に着いたが、まだ9時前で管理事務所も開いていなかった。暫く付近を散策し、レストランのある中央施設に行き朝食を取った。


「良いわね、この感じ。それに空気が綺麗。東京とぜんぜん違うわ。」


美幸の明るい笑顔を見るのは久ぶりだった。


「あの別荘、高かったじゃない?」


「今はまだオフシーズンだからそれほどでもないけど。」


「できれば、あそこを二人の秘密基地にしたいんだけど。」


「秘密基地!」駿の子供ぽい表現に一寸あきれた顔をしたが、


「いいよ」と美幸は承諾した。


別荘はログハウス調の建屋で、キッチンがあり自炊もできる様になっていて、ロフト状の二階にはベットが3つ置いてあった。窓越しに近くの山々が見渡せる構造で、木立の間から鳥の声がしていた。駿は備え付けの設備で、コーヒーを入れ美幸に渡し、二人して玄関前のポーチの長いすに腰をおろした。


「駿のお嫁さんになって、こんな所で暮らしたいな。」


「田舎の診療所勤務で!」駿が言うと


「そしたら私は薬剤士やるから。」


「良いかもね、そんな生活も。美幸もそうかも知れないけど、俺て今になって、これから先、何やるんだろうなんて考えちゃうんだ。本当は、医者になんか成りたくなかった、と言うか元々向いていないじゃないかて。」


「そうだよね、駿は物理が好きで、科学者に成りたかったんでしょ。私も、結局医者にはなれず仕舞いで薬剤士どまりよね。」木漏れ日の中、風の音がかすかにに聞こえていた。


「これからどうするの?」


「近くの観光地でも行こうと思てるんだけど・・」


「あらそうなの、私を抱きたいじゃないの。」美幸のあっけらかんとした言葉に、少したじろぎながら駿は


「え、だってまだ、午前中だぜ。」


「それもそっか、せっかくこんな綺麗な所に来たんだもの何かしなきゃね。私温泉に行きたいな。」美幸は何時になく少女ぽっく甘える様に言った。暫くガイドブックを見ていた駿が


「車で行けば直ぐの所に、温水プールもある温泉があるけど。」


「うん、そこ行こう。」何時の間にか、腕を組んで寄り添って来ていた美幸に、駿は軽くキスをした。


「まだ早いんじゃ無かったの!」そう言いながらも美幸は何かの救いを求めるかの様に、深いキスを返して来た。


 窓から差し込む高原の澄んだ光りの中、白いシーツにくるまって二人は愛し合った。美幸の白い体が眩しく光り、駿はまるで妖精を抱いている様に思えた。優しい光りの中、二人の間にあった果たせぬ思いを解き放っていった。そして白昼夢の浅い眠りの後、二人が目覚めた時には、空は夕焼けに染まっていた。窓越しに暫くその茜空を見ていたが、やがて駿が


「風呂沸かして来る。温泉に行けなかったからな。」と言って立とうとするのを、美幸は引き留めた。


「もう少しこのままで居て・・・あの夕日が沈むまで。」美幸は寄り添いながら駿に


「母がね、叔父と結婚する事に成ったの。」


と、ぽつりと言った。


「私、一人ぼっちに成っちゃう。だから、駿の側に居たい。」


その時、駿は初めて美幸の心の中の淋しさを実感した。留守がちと言えども駿には、商社マンの父と会計士の資格を持った母がいて、それなりの暖かい家庭が有った。だが美幸には、父親代わりの叔父とその叔父の妾に近い存在の母がたまに顔を見せるだけだった。


「私が少しはまともな人間として居られるのも駿のおかげかもしれない。駿が居なかったら、心の支えが無くなり、どうなって居たか解らない。」


「俺は別に何にもしてないよ。ただ美幸の側に居たかった・・・好きだから・・・何なら俺、美幸の大学へ移ろうか。」その駿の言葉に美幸は何時もの様な気の強い調子で


「馬鹿、何考えてるの。駿には、優秀な医者になってもらって、行く行くは叔父の病院を継いで貰うんだから。そしたら私は医院長夫人よ、でも浮気したら駄目だからね。」


美幸の一見身勝手な話の中に、駿はそうなれば良いと自分の願望を重ねていた。茜空が暗い闇に包まれてしまった時、その闇の中から新たな希望を示すかの様に星々が瞬き始めた。


「そうだ、風呂沸かそう。一寸したイベントが見られそうだから。」いぶかしがる美幸を後に、駿は裸のまま階段を駆け下りていった。暫くして、スナックと飲みものを持って戻って来た駿は


「腹減ったろ。夕食は風呂出てから、あのレストランに行こう。」シーツにくるまったままボーとしている美幸の足下から潜り込んできた駿に


「こら、くすぐったい。もう・・・そんな事するなら責任取りなさいよ。」


そんなじゃれ合いを数回繰り返した後、二人は風呂に入った。大きめの湯船は、天井が解放でき、満天の空に降るような星が輝いていた。


「すごーい、星てこんなに沢山有るんだ。」


山々の谷間の闇の中にさえ入り込んでいる星達が、夜空の暗闇を瞬きに変えていた。そんな星々の饒舌を、ジャグジーの泡の中で二人して見ていた。


「美幸は、目良かったよね。あの三つ星の下の所の星雲見える。」


「なんかぼんやり見えるけど。」


「アンドロメダだ、この銀河系から一番近い銀河だ。」


駿の星座と宇宙に関わる講義を、美幸は飽きもせずに聞き入っていた。一頻り続いた駿の話の後、二人は中央棟のレストランで夕食を取った。そこからの夜空も、高原の天空を覆い尽くす星々によって埋め尽くされていた。


「今夜は、星が綺麗ですね。」駿は食事を運んで来た、給仕に声を掛けた。


「ええ、この時期にしては珍しく空気が澄んでいて綺麗な夜空に成りました。秋口ですとここのサロンで、『星降る夜に』と言う音楽会を開催しております。クラッシックが主体ですが、所謂オムニバス形式です。詳しくは、パンフレットがレジに置いて有りますのでご覧下さい。」給仕は丁寧に説明してくれた。


「へー素敵ね。その時来てみたいわね。」美幸は楽しそうに思いを寄せている様だった。食事の後、明日の朝食用の買い物のため、館内を見て回った。登山客らしいグループと、駿達と同じ様な、おそらくホテルの宿泊客や初老の夫婦が数組、マントルピースのある部屋で寛いでいた。美幸は別荘への帰りの道すがら、


「戻ったらまた、あのお風呂入ろう。」


夜空に目をやったまま歩いている美幸は、足下が覚束ないせいか、駿の腕を掴みながら言った。部屋に戻り、買った食材を片付けてから


「この次は、私何か料理を作るわ。せっかくこんなキッチンが有るんだもの。」買ってきたワインを飲みながら、美幸は冷蔵庫の中を調べていた。わざとそうして有るのか、別荘の中にはテレビとかの設備は無く、ただ夜の静けさに包まれていた。二人は再び、ジャグジーの湯船に浸かっていた。


「二人で一緒に脱ぐと何だか恥ずかしいわね・・駿は最近何かスポーツ初めた?」


「うん、同好会だけど、結構ハードにスキーのトレーニングやってる。」


「ふーん、それで少し逞しく成ったのね。」


「美幸も、何だか女ぽく成ったと言うか、想像してたよりおっぱいデカかった。」


「何を想像してたのよ・・・まあ、しょうがないか、高校時代じゃ何も出来なかったからね。その割には、私が三度も駿の部屋に泊まったのに何もしなかったわね。」


「そりゃー色々したかったさ。でも、そうしたら美幸との関係が終わっちゃう様な気がして怖かったんだ。」


「じゃー今は!」


「もう絶対に離さ無い。美幸が何処へ行こうとも、たとえ太陽の中でも捕まえているから。」


「嬉しいよ。駿の気持ち、私はもう駿のものだから。」


美幸は、そう言いながら駿の唇を奪う用にキスしてきた。それから幾つかの流れ星を見た後、二人は眠りに付いた。


 翌朝、駿が目覚めた時には美幸はすでにベットに居なかった。寝ぼけ眼で、階段を下りてきた駿を、美幸は優しく迎え


「朝ご飯作ってた。何だかこうしていると新婚夫婦みたいだね。」美幸の明るい笑顔が眩しかった。


「うん、新婚旅行を先取りしちゃった感じだ。」


「ほう、そう言う言い方も有るわね。Hもしたし。」


二人はお互いにクスクス笑いながら、食卓に着いた。

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