91 激怒する母

 カレル、デュシェル、ロータスの3人が、カーヴィアルのジルダール男爵領から、ディレクトアの街道を通って、ルフトヴェークのレアール侯爵領に辿り着いたのは、デューイが言っていた通り、キャロルが目を醒ましてから、約半月程がたってからの事だった。


 ロータス一人であればともかく、雪に覆われるのが早いマルメラーデや、不穏な空気漂う公都ザーフィアを通って来る訳にもいかず、必然的に、大回りをしながら戻らざるを得なかったからだ。


 とは言えキャロルの容態に関しては、ロータスが日頃からカーヴィアルを訪ねるにあたって、デューイとの連絡手段として個人的に飼育していた、稚児隼チゴハヤブサが、今回も2人の間を行き来していた為、ある程度を把握していた。


 ただ、ロータスは、長旅となる2人の精神衛生上を考え、敢えて事細かな怪我の状況を伝えず、怪我をして侯爵邸で養生している、とだけ伝えるに留めていた。


 そのためカレルは、肩回りを包帯でグルグル巻きにされ、まるで顔色のない娘と対面する免疫が全く出来ておらず、寝室に入るや否や、屋敷中に響き渡るような大声を上げる羽目に陥っていた。


「何なの!どう言う事なの⁉キャロルっっ‼」


「ええっと…とりあえず、仕事は完遂して、アデリシア殿下と結婚する選択肢はなくなりました」


「そうじゃないでしょう⁉いや、それも大事なんだけど‼そもそも、女の子なのに…女の子なのに、何なのその怪我はっ‼」


「……えっと」


「カ、カレル、落ち着け。コレには、色々と事情が――」


 何ごとかと、執務室から飛び出して来たデューイとしては、自分のために、生死を彷徨さまよう程の怪我を負った娘をかばいたかったのだろうが、デューイにも、そもそも黙って、カレルとデュシェルを揉め事から遠ざけた、後ろめたさがある。


 お父様、逆効果…と、キャロルが言いかけたのも間に合わず、予想通り、カレルの怒りに火がついた。


「デューイ…貴方も、私とデュシェルをカーヴィアルに行かせて、その間、何をしようとしていたの?」

「………っ」

「そう…言えないの……」

「まっ、待ってくれカレル!決してやましい事があった訳じゃなくて、だな、これは…っ」


 お父様頑張れ、とこっそり矢面に立って貰いつつ、キャロルは、呆然と2人を見比べていたデュシェルを、軽く手招きした。


「デュシェル、書類のおつかいありがとうね?が、届けてくれた書類、すごく役に立ったって」


 デュシェルが、商業ギルド長ジルダールから受け取って、エーレに渡した書類は、帝国偽金貨の証拠となる、重要な書類だった。


 それが、エーレからアデリシアの手に渡り、書類全体に対する信憑性を底上げしたのだ。


 尊敬する姉上キャロルに褒められたデュシェルは、ぱあっと表情を輝かせた。


「本当ですか?姉上のお役に立てましたか⁉」


「うん、立てた立てた。ああそうだ、今度、雪が溶けた頃にでも、剣の訓練とか、してみる?ちょっと、今、怪我をしちゃってるけど、その頃には、多分大丈夫だと思うし……」


「姉上、春までお屋敷にいて下さるんですか⁉」

「うーん…場合によっては、その先も?」

「うわぁ、楽しみです!」


 さすがにそれを聞き咎めたカレルが、視線をデューイからキャロルへと移したが、キャロルはヘラリと笑っただけだった。


「カレル…本当に、デュシェルが休んだら、一からちゃんと説明するから」

「……キャロルの前でも、同じ事が言える?」

「君が望むなら。私とキャロルとの間に、今は情報の齟齬そごはない」

「………」


 いったんは折れたカレルが、デュシェルを湯浴ゆあみに連れて出た為、寝室にはキャロルとデューイと、ロータスとが残った。


「お父様に後をお任せしても?」

「―――」

ことの始まりは、お父様が、私に『ところからと言えるでしょうし……」


 ぐっ…と、デューイが言葉に詰まっている。

 そうでしょうね、と、ここはロータスも相槌を打った。


「それにしてもキャロル様、そのお怪我…ランセットとヘクターは……」


「ああ、2人も似たり寄ったりで、ヘクターはようやくリハビリ始めたけど、ランセットなんかはまだ、絶対安静言い渡されてるから……むしろ、後で褒めてあげてくれないかな?あの2人がいなかったら、多分今頃本当に、死の国ゲーシェルの門をくぐってたと思う」


 揶揄する要素のないキャロルの声に、ロータスがわずかに目を瞠った。


「それほど、だったと……」

「私も、まだしばらく動けないから…迷惑かけるけど宜しくね、ロータス?」

「それは…もちろん……」

「キャロル」


 まだしばらく動けない、とキャロルが言ったところで、反応を見せたのはデューイだった。


「お父様?」


「カレルが戻って来るまでに、話しておきたい事がある」


 こちらも、声の調子を「レアール侯爵」としてのそれに戻し、上着のポケットに、縦巻の状態で突っ込んであった書状を、寝台横のテーブルの上に置いた。


 一般的な紙とは違い、かなり上質な羊皮紙で、書状を留めてあった紐には、明らかに高位の貴族からと思わせる封蝋ふうろうを、切った跡もあった。


「これは、などではなく、正式な皇家おうけ専属の配達人が、直接届けに来た、が公式に使用する書状だ」


 見た目にも重々しい分、要は絶対に無視出来ない書状と言う事か。


 そう言う目で、書状と父親と、視線を往復させると、その通りだと言わんばかりに、デューイが軽く咳払いをした。


「先日、皇帝陛下が亡くなられたのは、話したな?エーレ殿下の、カーヴィアルへの外遊もいったん見送られて、年内は、服喪期間となる事も」


「……はい」


 亡くなった、ルフトヴェーク皇帝オルガノは、以前、カーヴィアルで聞いた限りでは、現代で言う、脳梗塞ではないかと思しき症状で、もう何年も寝たきりだったのだと言う。


 第二皇子ユリウスが、当時は未成年だった事もあり、実務の多くを叔父であるエイダル公爵が担い、皇弟おうていであるフェアラート公爵が式典行事の運営を、監察官として、エーレがエイダル公爵を補佐する形で、何とか国内はバランスを保っていたのだそうだ。


 式典行事運営に関しては、一見すると派手なパフォーマンスのものが多く、エイダル公爵曰くは「名誉欲だけは一人前の、皇弟おうていおもちゃとしての、苦肉の策」だったらしい。


 ところが、オルガノ皇帝の体調が悪化してきたとろこで、エイダル公爵の業務量が激増してバランスが崩れ、フェアラート公爵があちらこちらに口を出し始めての、今回の内紛で、実際にエーレの身体に残る刀傷を見たエイダル公爵は、さすがに自身の不手際をエーレに詫びたらしかった。


「…が、あのエイダル公爵クソオヤジは、喪に服すつもりは欠片もないらしく、この機に乗じて、第二皇子派を絶賛だ。元々、後ろ暗いところがあった連中ばかりだから、同情もしないが、まあ、基本はエイダル公爵の八つ当たりだ。放っておくに限ると思っていたんだが……」


 絶賛狩り尽くし中、とか、どこかのゲームのうたい文句のようだ。

 と言うか、その狩りの為の武器を用意したのは誰か。デューイは根本を、遠くの棚に放り投げている。


(クソオヤジとか言っちゃってますよ…お父様…)


 57歳の宰相のを、放って置いて良いのかと思ったキャロルだったが、どうやら、問題はそこではないらしかった。

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