50 副長の挑戦状

「すぐにでもつつもりかい、キャロル?」


 皇帝のいた宮から、東宮へと戻る道すがら、アデリシアが問いかけた。


「はい。昨日の内に、ほとんど用意は済ませてありますので」


「却下されるかも知れないと言う選択肢は、なかった訳だ」


「1日くらいの誤差はあっても、殿下なら、きっと何とかして下さるだろうと思ってました」


「だけど今からだと、ディレクトアへの陛下の使者が追いつかないんじゃないのかな」


「いえ。まず、クーディアに立ち寄るつもりですから、その後にディレクトアへ向かえば、ちょうど良いんじゃないでしょうか」


「クーディアへ?」


「はい。そろそろ、母と弟が到着していると思いますので、確認してきます。こうなると、十中八九、父からの伝言はあると思いますので、内容を、殿下にもご連絡します」


 きっぱりと言い切るキャロルに、一瞬考える表情を見せたアデリシアも「そうだね」と、すぐに同意した。


「君の母と弟を託すだけの伝言だったとしても、〝東将オストル〟ヒューバートの話の裏付けにはなるから、頼むよ」

「分かりました。あの…それで、殿下」

「何かな」

「この手は、しか出来ない私への嫌がらせですか?」


 入って来た時と違い、央宮を出る時、アデリシアは、エスコートではなく、キャロルの右手を握っていた。


 しかも、あっと言う間に指と指が絡まり――所謂いわゆる〝恋人繋ぎ〟状態だ。

 そんなに、エスコートの姿勢がおかしかったのだろうか。


「腕に手を回すのは、高等技術なんだろう?なら、こうでもしておかないとね」


 存外真面目な表情のアデリシアが、周囲に聞こえないように、顔を寄せて言葉を続ける。


「後ろの侍女長マルタと、君の所の副長――どっちも殺気立ってるみたいだから」

「……っ」


「彼らにはちょっと、刺激の強い話だったかも知れないね。母上もそうだけど、もう少し浪漫ロマンのある展開を期待していたようだし…。ただおかげで、周りが何を望んでいるのかが、よく分かったよ。こうしておけば、後ろの二人もそうだけど、今、目を点にしてすれ違っている官僚連中も、少しは誤魔化せる。所詮皆、自分の見たい光景を信じようとするからね」


「えっ、殿下の〝一途な恋〟説ですか⁉」


「……君、自分でそれを言うんだね」


「……言ってて自分で鳥肌が立ちました」


「君の不在を勘繰られる訳にはいかない。それくらいなら、多少の脚色は甘受しておくよ。君の父親の話も表に出さないで済むだろうからね。ただただ私が不本意なのを耐えれば良いんだろう?」


「珍しく殿下がやさぐれてる……」

「うん。君も当事者なんだけどね」


 アデリシアの手に、若干力が入ったような気がした。

 いきなり、グイッと掴んでいたキャロルの手を斜め前に引く。


「わっ⁉」


 勢い余ったキャロルの身体が、くるりと回転して、アデリシアの胸に倒れ込む。

 アデリシアが右手でキャロルの腰を支えたため、傍目には熱い抱擁だ。


「殿下っ――」

「気を付けて、行っておいで」


 耳元で囁かれた声に、キャロルが硬直する。


「これは確かに、無闇な死地でも無謀な策でもないけどね。結構ギリギリのところでは、あるんだよ。私の後宮なんて、最大級の飛び道具ジョーカーだからね。2枚目がない。それでも、自己犠牲なんて言う、楽な解決方法にだけは、流されないようにね。それは本人以外、誰も満足しないから」


「………はい」


 ここは、央宮から東宮へと移動するための廊下であり、様々な職務従事者が通る、だ。


 周囲は騒然としており、アデリシアが、キャロルも噂に巻き込むために確信犯でやっているのは間違いないが、話す内容はとても無下には出来ないため、なすがままである。


「私には、腕っぷしはないけど、地位と頭脳アタマはあるからね。必要なら、公国むこうでも利用すると良い。今のところ、唯一君には、その権利があるからね、私の側妃おきさき様?」


「殿下……」


 誰の耳にも届かない声で、キャロルにだけ囁いたアデリシアは、そっと身体を話した。


「後は見送らないよ、キャロル?――ちゃんと戻っておいで」


 キャロルは無言で膝を折った。


 これは〝カーテシー〟ではないのだ。

 近衛隊長キャロル・ローレンスとしての、礼でなくてはならない。


「必ず戦争は止めます。――行ってきます」


 必ず戻ります、とは言わない。


 身を翻したアデリシアも、見送るキャロルも、その事を理解していながら――その場で、別れた。


*        *         *


「あー、やっぱりスカートとか落ち着かないー」


 再度、侍女達に着替えを手伝って貰い(名残り惜しそうだったが)、ドレスを脱いだキャロルは、寮へ戻ると旅行用の軽装に再度着替えると、まとめておいた荷物を持って、愛馬ユニの待つ馬留めに向かった。


 ドレスを脱ぐのを手伝う傍ら、侍女長マルタが泣きそうな表情かおをしていたが、敢えてキャロルは声をかけなかった。


 恐らくは、アデリシアの為にも後宮で、真綿にくるまれて欲しいのだろうが、アデリシアとキャロル、それぞれの矜持も同時に理解したのだろう。


 職業婦人として、自分の仕事に誇りがあるであろう、マルタだから尚更だ。

 無言で部屋に戻ったキャロルが、少しだけ、部屋で近衛隊長の礼服を、壁にかけて眺めていたのは、誰にも秘密である。


 どう転んでも、二度と着られない可能性の方が高い。


 自分の努力の象徴でもあっただけに――未練がないと言えば、嘘になる。

 壁にかけたままなのを、帰ってくるつもりなのだと、皆が思ってくれると良いのだが。


「やっほー、ユニちゃん。ごめんね、ちょっとクーディアの実家まで夜通し貰う事になるけど、許して?着いたら母にリンゴいっぱい買って貰うから、ね?」


 馬装しながら愛馬ユニを撫でていると、了解したかのような軽いいななき声が返ってくる。


 想定価格数百万のこの愛馬、言葉が分かっているのかと思うくらい、賢い。今で9歳前後のようなので、まだまだ走れるだろう。


「隊長」


 そして、さっきは一言も言葉を発しなかったが、やはり来た。


 キャロルが振り返ると、そこには近衛隊副長サウル・ジンドが一人立っていた。


「サウル」


 キャロルはだが、すぐに愛馬の方に向き直ると、馬装を続ける。


「色々ごめんね?そんな訳だから、しばらく隊を預かっていて貰えるかな。期間は刺客次第だから、何とも――」


 言いかけたキャロルの言葉が、途切れる。

 剣を抜いたサウルが、切っ先をキャロルの右肩に乗せたのだ。


「……これは?」

「俺と一騎打ちして下さい」

「理由は?」


「俺が勝ったなら――その刺客は、俺が討ちに行きます。言いましたよね、あなたの無謀は看過出来なくとも、あなたがやれと言う事に、いなは言わないと。あなたはルフトヴェークへ行くべきじゃない。俺が勝ったら、その役目は、俺が貰います」


「サウル……」


「殿下の本心を、俺なんかが察するのもおこがましいですけど、殿下はあなたを抱いて後宮に入れてしまう事で、あなたをルフトヴェークの政変から切り離そうとしたんですよね?けれどあなたは、それを逆手に取った。逆に自分をカーヴィアルから切り離そうとしている。そちらの方が、本当は帝国くにの為だと分かっている殿下が、絶対にあなたを止められなくなるから。殿下の頭の良さが、殿下自身を追い込んだ。なら、次は俺が、俺に出来るやり方で、あなたを止める。――剣を取って下さい」


 人の数だけ真実がある、と言うのはこう言う事なのだろう。


 皇妃リネット侍女長マルタは、マルメラーデの姫との縁談で、逆にキャロルへの愛に気付いたアデリシア像を持っていて、サウルは、キャロルを後宮の中にかくまいたかったアデリシア像を持っている。


 どれにも頷けないキャロルは苦笑するしかないのだが、隊長として、下の者からの挑戦は、受けない訳にはいかなかった。


 短く息をついて、振り返ろうとしたそこへ、キャロルの頭上から、声が降ってきた。


「いいぜ、それ、俺が見届けてやるよ」

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