49 皇妃の悲哀と皇帝の妥協

「…母上、私が彼女を夜の寝室に呼んだ事は事実です。その事をもって、まずは側妃として後宮に招きたいと思っています。ただし、それはあくまで表向きの話としたいのです。皇妃教育のため、近衛の業務からはいったん離れると言えば、彼女は自由フリーになって、ルフトヴェークへ向かう事が出来る。陛下には今日、その許可を頂きたいと……」


 言った側から、クライバーの妻・皇妃リネットの目にウルウルと涙が浮かび、その場の全員が、ギョッと目を見開いた。


「は、母上…?」

「リネット…?」


「ようやく、ようやく息子が前向きに結婚を考えてくれたと思ったのに…身分が足りないなら、私の実家に養女として一度入れば…とも、陛下と相談したのよ?それが、なぁに?帝国くにの為なの?ただ、帝国くにの為に、彼女を無理矢理自分の後宮に入れようとしたの?」


「……っ」


 高度な政治判断――と言いたいところだが、いち母親としての目線から見ると、そうなってしまうらしい。


「あぁ、あの、リネット様――」


 さすがにキャロルも、アデリシアをフォローした方が良いと思い、声をあげようとしたのだが、アデリシアが、片手を振って、キャロルを制した。


「母上。これは、彼女と相談して、決めた事です」


「貴方の立場で言えば、相談にならない事は、分かっていて?」


「そうかも知れません。むしろ私は最初、そのつもりで、彼女にとして、後宮に入らないかと話をしたんです。ルフトヴェークとの戦争は覚悟の上で、私が守り切ろう、と。けれど彼女に――側妃として、自分が自由フリーになる方の選択肢を、気付かれてしまった。これから冬を迎える街や村の中で、戦火に巻き込まれて、備蓄が尽きる所が出るかも知れない。何のも打たずに、その可能性に目を瞑るなどと、自分が剣を捧げたあるじではない、と」


「―――」


 そこまで言っただろうか…と、一瞬キャロルは思ったものの、昨日、酔い潰れる直前に、近い事は言ったかも知れないと思い直して、やり取りを見守った。


「私も、そこに気が付いてしまうような、そんな彼女にふさわしいあるじでありたいと、思う気持ちの方が強いので…。傍目には、私はさぞや鬼畜に見えるのかも知れませんが、私と彼女は、これで良いんです。そもそも、この方法でも駄目だった場合は、諦めて、後宮で私の庇護下に入ってくれるそうですから、少しだけ、母上のご期待に添うのが先に伸びたんだと、お思い下さい。陛下――万一の際は、ルフトヴェークと事を構える可能性がある旨と、まずはそれを回避する可能性に賭けたい旨、ご許可頂けますか」


「アデリシア。それは――」

「陛下」


 刺客を止める事に失敗した場合、最悪の場合は命を落とす。後宮に入るどころの話ではない。

 クライバーがそう言いかけたのを、アデリシアは遮り、リネットの方をチラと見やる。


 気が付かないのであれば、敢えて不安を煽る必要はない――そう、クライバーに釘を刺す為だ。


 果たしてクライバーは、視線だけで、息子の言いたい事を正確に理解した。


「…おまえ達は、それで良いんだな」

「陛下……」


 リネットが、悲痛な眼差しを浮かべたが、クライバーは無言でそれを制した。


 アデリシアとキャロルが一瞬だけ顔を見合わせ――アデリシアが片膝をつき、キャロルは今度こそ〝カーテシー〟の礼をとった。


「…分かった。おまえ達に任せよう」


 ややあって、ため息と共に、クライバーは折れた。

 感謝します、とアデリシアが更に頭を下げる。


「しかし…大臣達からの反対は、危惧しなくて良いのか、アデリシア。おまえがただ、彼女を妃としたいと言ったところで、皇妃にせよ側妃にせよ、紛糾は免れない。その為に、リネットの実家の養女とする事も考えていたが…そんな時間もないのではないか?」


 ただ、妃としたいと言ったところで駄目だ――クライバーも、アデリシアと同じ事を言っているのを聞き、アデリシアの〝小細工〟は、避けて通れる事ではなかったのだと、内心でキャロルは納得した。


 見ればアデリシアは、ね?とでも言いたげな微笑を浮かべている。


「陛下。だからこそ、私は彼女と夜を過ごしました。、自ら望んで、女性を寝室に招いた――などと、大臣達には特大の爆弾になるのではありませんか?それをひっくり返せる程、気骨のある大臣がいるとは、寡聞にして存じませんが」


「―――」


 半瞬の沈黙の後、今度こそクライバーは頭を抱えた。


 自分自身の評判に加え、からの後宮すらも、政治の道具とする――未来の為政者としては、理想的と言って良いのだが、一人の父親としては、あまりの情緒の欠如に不安を覚えざるを得ない。 


 恐らく「普通の結婚」を望む女性が嫁いで来れば、破綻が目に見えている。

 アデリシアが全ての縁談を拒んできたのは、ある意味相手の為でもあっただろう。


 その点、キャロル・ローレンスであれば、アデリシアへの理解と言う点においては、理想的。足りないのは身分だけ。クライバーもリネットも、そう思っていたのだ。


 皇太子と一夜を過ごすと言うのは、他の縁談の可能性全てを潰してしまう、言わば女性としての選択肢を閉ざす行為に他ならない。


 そのカードを、国家間の戦争を回避すると言う理由で切ってくるなどと、切った側も、カードとして受け入れた側も、尋常ではない。


 そこにまだ少しでも、恋慕の情があれば…皇妃リネットではないが、救いがあるのだが。


「……おまえは本当に、外野をしずめたいが為だけに、彼女を深夜に呼んだのか、アデリシア?」


 側妃でなく、本気で皇妃にしたいのなら――声に出さないクライバーの問いかけを悟ったアデリシアは、やんわりと首を横に振って、それ以上を口にさせなかった。


「一両日中には、彼女をたせますので、宜しくお願いします」


「…そうだな。大臣達の苦言を封じる事まで考えていたなら、すぐにでも出発は可能だろうな。良いだろう。では、ディレクトアを経由して行くが良い。ちょうど今、レティシアに子が産まれたと聞いたディアンヌが、ディレクトアを訪れている。二人への報告を兼ねると言えば、不在の期間も先延ばしが可能だし、万一どこかで人目についたとしても、疑われる事もあるまい。つかいは、先に出しておこう」


 レティシアとは、ディレクトアに嫁いだアデリシアの異母妹いもうと、ディアンヌとは、クライバーの側妃――第二夫人だ。


 あっという間にそれを指示出来てしまうクライバーは、病床にあっても、やはりアデリシアの父親であり、カーヴィアル帝国の皇帝なのだ。


「ご配慮いたみ入ります、陛下」


「だが…そうなれば、ディレクトアにも、おまえが側妃にしろ妃を迎える事が知れるし、マルメラーデにも何らかの回答が必要となる。帝国くにの為にしろ、引き返せなくなるが――良いんだな?」


「マルメラーデには、私自身が妃にと望む女性が、身分のしがらみで側妃としてあがる事をお認め頂けるのであれば、相応の敬意を持って、皇妃としてお迎えする――と、そのようにお伝え下さい。判断は、マルメラーデ側に委ねます。それであれば、どちらに転んでも、外交上の問題もないでしょう。自分が寵愛を得られない可能性があると、初めから覚悟の上で嫁いで来るような、そんな気骨のある姫君ならば、私も無下にはしませんよ」


 アデリシアが、キャロルを妃として望んだ――それは正しいのだが、何故こうも、素直に息子の結婚を祝福出来ない事態になっているのか。

 クライバーもリネットも、理解が出来なかった。


「そして――引き返せなくなる事は、私も彼女キャロルも、初めから覚悟の上です」


 そんな、決意と覚悟を伴う話では、ない筈だったのだが。

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