第50話 英雄も事件が無ければただの人7
ストーリーモードはかなりのボリュームがあるようで、一向にクリア出来る気がしない。
「今日はここまでにしとこう、明日もやる事あるからな」
「そうやね、じゃあそろそろ……寝よっか?」
セーブしてから電源を落とした。
「良し!寝よう!」
「うん……」
部屋の電気を暗くして布団に寝転がる。
緊張しているのか鼓動が早くなり、手に汗が滲む。
遅れて、千尋も俺の横に寝転がる。
ほんの何日か前まではまさか千尋とこんな関係になるとは思わなかった。
風呂上りの千尋からする良い匂いが更に緊張を誘う。
緊張のせいかこういう時に何を言うべきで、どういう事をすれば良いかが分からなくなった。
「っ!」
不意に俺の手を千尋が握ってきた。
こんな言い方は失礼なのかもしれないが、女性とは思えないぐらいに固い千尋の手。
今まで何百回と豆が潰れて固く厚くなった千尋の掌の感触、俺が憧れた女の手の感触。
千尋の今までの努力の証であるこの感触を俺は一生忘れる事は無いだろう。
「ごめんね……気付いちょったんやろ?」
千尋が何の事を言っているのかは分かっていた。
けれどその事を口にする程俺は間抜けじゃない。
嘘をつかれていた事は確かに悲しかった。
けれど嘘をついてでも俺と結ばれたい、俺の事が本気で好きなんだという事が分かって嬉しい気持ちの方が勝っている。
千尋と純が俺に付いた嘘は、人によっては怒る人もいるだろう。
だけど俺を信頼しているからなのか、それとも怒られたとしても構わない程に俺を求めてくれたのかは俺には分からないけど、どちらにせよ俺は嬉しいと思うのだ二人の事が好きで愛おしく思っているから。
「……千尋愛してる」
「……私も愛しちょんよ」
千尋と初めての夜の時間は静かに熱く始まった。
☆ ☆ ☆
朝の陽射しで目を覚ますと隣にはもう誰も居なかった。
「……眠いし千尋も居ない……」
千尋は既に起きて何処かへ行ったようだ。
「おはようございます!ご主人様!朝食が出来ておりますよ!」
影から英美里が現れるが、最近は慣れてきたのかあまり驚かなくなってきた。
「……おはよう、千尋は?」
「千尋は少し前に起きてきてシャワーを浴びてから、朝練に向かいましたよ!もうすぐ朝食を食べに戻ってくると思います!ちなみに今日の朝食はお赤飯にしました……他意はありませんよ?」
他意しか無いとは思うが深くは触れない方が傷は浅いと判断して、話題を変える。
「そっか、ありがとう!俺も朝ごはん食べたらレベリングに行くから今日もスライムの生成よろしくな?」
「はい!それでは居間でお待ちしております」
そう言い残して影に沈むように消えた。
「ベルにも何か言われそうだけど……まぁ無視だな」
今後この話題に関しては完全スルーで行こうと心に誓った。
朝の身支度を軽く済ませてから居間へと向かうと千尋も既に食卓へと着いていた。
「おはよう」
「おはよう……」
お互い顔を突き合わせるのは多少の気まずさがあるが、気にしていても仕方が無いので何でも無いように平静を装い挨拶を交わす。
「おはようございます!マスター!」
「拓美君おはよう!くふふ!」
「あぁ、おはよう」
ベルと純とも挨拶を交わす。
元気いっぱいのベルと何故か俺を揶揄うように笑う純。
全力スルーを発動しながら席へと着いた。
普段は出てこないお赤飯にテンション爆上がりのベルが何度もおかわりしているのを横目にコーヒーを飲んでいると気まずさから逃げるように頬を赤く染めた千尋が居間を出て行った。
「追いかけてあげなよ」
「言われなくても行くよ……」
純が追いかけるようにと言ってくれた、にやけながら。
この人は本当に良い性格をしていると思う。
千尋は俺の部屋に向かうようで、俺も後を追いかけた。
部屋へ帰るといつも通り綺麗にベッドメイキングされた布団に千尋が顔を枕に埋めるように寝ていた。
「千尋……なんかごめんな。悪気が……ある人もいるけど祝福されてるのは間違い無いからさ、あんまり気にしないでくれ」
なんと声をかければ良いか分からなかったが、とにかく本心を伝える。
「ちょっと気まずかったり、恥ずかしかったりする事もあるだろうけど……俺は千尋と結ばれることが出来て嬉しいよ、ありがとう千尋」
起き上がり、顔を赤くしながらも俺を真っすぐに見つめ返す。
「……私も嬉しい、けどここまで露骨に揶揄いにくるとは思って無くて動揺しただけだから。けどもう大丈夫だ!この借りはきっちりと返すつもりだからな!……ありがとうまこちゃん」
最後はお互い笑顔で笑い合えたのでこの件はもうこれ以上触れずにいよう。
決して俺の嫁が怖いからとかそういう事じゃ無い。
笑顔は時に恐怖を与えるという事を再認識させられた。
☆ ☆ ☆
朝のスライム狩りを終え、千尋と純の両親が来るまで暇になったので、部屋でごろごろしながら携帯でネットニュースを流し読みしていた。
「千尋達はレベリング続行中かぁ……嫁が頑張ってるのに旦那は家でゴロゴロしてるって冷静に考えたら相当ヤバイ奴だよな俺って……」
駄目な亭主と頑張りやな奥さん二人。
もはや新時代のヒモのような生活だが、実際世間的に見れば最低なクソ野郎な俺だが我が家はこのやり方が恐らく一番上手くいく。
優秀な奴が集まる<怠惰ダンジョン>において能力だけで見れば一番低いのが俺でトップも俺。
だから俺がやった方が良い事しか俺はするつもりがない、何をするにしても出来る人がやる方が良いに決まってる。
「まぁ世間様にどう思われようが関係無いんだけど……っと中国が大規模なダンジョン攻略を発表か……うーん……攻略出来ないなら大人しくしてた方がマシだと思うんだよなぁ……中国以外は今の所静観してる感じかな?まぁ中国が貧乏クジ引きそうだな今回は」
世界情勢も色々な動きを見せている。
世界中でダンジョンと関係があるのかは未だ不明らしいが行方不明者が急激に増えているし、恐らく神の加護を持っている人が車を持ち上げるという動画を投稿して異常な身体能力を披露したりしている。
まだ世界は平和だけれど、不穏なナニかが近づいてきている気配を感じている人も多いと思う。
各国のトップの反応は中国以外では今の所ダンジョンに対して、様子見や監視を行っていくというのは一致していた。
ただこういう時に騒ぎを起こす北朝鮮と韓国が不気味な程静かなのが気がかりではある。
「日本は千尋が守る!流石は俺の嫁!」
「私は日本を守れるほど強く無いぞ」
いつのまにかレベリングから戻って来ていた千尋に軽くツッコミを入れらた。
「お疲れ様、もうお昼か?」
「あぁ、昼ご飯を食べたら私の両親を迎えに行くよ。その時に純先輩を家に送ってくるからまこちゃんも正装に着替えておけよ?」
「しまったな……スーツをクリーニングに出して無いぞ……当分着る機会も無いと思ってたからクローゼットに仕舞ったままだ」
婚約者の両親に会うのだから、正装に着替えるのは当たり前なのだが正装の事はすっかり忘れていた。
「……まぁ私の両親は別に私服でも大丈夫だと思うが、流石に純先輩のご両親も来るとなるとしっかりと正装に着替えておかないと心象が悪くなるかもな」
「デスヨネ」
こういう困った時はベルえもんに助けてもらおう。
『ベルえもん!婚約者のご両親に会うのにスーツをクリーニングに出して無かったんだ!どうしよう!助けてー!』
『はい!万能メイドー!』
「何か御用でしょうか?」
英美里が影から突然現れた。
「スーツをクリーニングしたいんだけど……出来る?」
「そうですね……エルフルズに協力してもらえばすぐにでも可能です!」
笑顔が今日も可愛い万能メイドの英美里。
「じゃあ悪いんだけど……昼ご飯食べてからクリーニングしてくれ」
「かしこま!」
いつぞやにベルが披露したアイドルポーズで返事を返した英美里はそのままのポーズで影へと沈んで消えた。
千尋と顔を見合い、何事も無かったかのようにそのまま無言で居間へと向かった。
☆ ☆ ☆
『もうすぐ領域内に入る、準備は出来てる?』
『こっちはいつでも大丈夫だ』
ご両親を迎えに行っていた千尋から念話が入った、スーツも無事にクリーニングしてもらったので正装に着替えて居間で待機中だ。
今日のメイズはベル、英美里、リーダー、番長の4人という万全の体制で死角は無い、あるとすれば俺の家に何故メイドが居るのかという事だけだろう。
アバター状態で到着を待つ。
緊張は不思議と無い、見知った仲という事もあるのだろう。
千尋の愛車の走る音が止まった、家の前に着いたのだろう。
『着いたぞ、こういう時インターホンって鳴らした方が良いのかな?私はまこちゃん家のインターホンは一回も使ったことないから緊張しているぞ!』
珍しく緊張している様子の千尋が良く分からない事を聞いてきて戸惑う。
『落ち着け千尋。千尋はこの家のインターホンを鳴らした事あるし、今回は使った方が良いと思う』
『わかった!』
インターホンが鳴った。
「はーい!今行きまーす!」
千尋とご両親が待つ玄関へと向かい、戸を開ける。
「どうぞ、中へお入りください」
メイズと共に出迎える。
「「「お邪魔します」」」
久々に見たおじさんとおばさんは少しだけ年を取ったせいか小さく見えた。
「あら?メイドさんが4人も……たっくん、何か悪い事に手を出して無い?大丈夫?」
メイズを見て心配になったのかおばさんが聞いてくる。
「大丈夫だよおばさん、その事も後で詳しく説明するからさ」
「久しぶりだなぁ!拓美!元気そうで何よりだ!こんな綺麗なメイドさんを4人も雇うなんて羨ましいぞ!この野郎!」
言いながら俺の肩を笑いながら叩いてくる、おじさんも元気そうでなによりだ。
「さぁ、遠慮なく上がってくれ!」
全員が靴を脱いで我が家へと上がった。
「拓美……先に線香を上げたいんだが良いか?」
「勿論、親父とお袋も喜ぶよ」
「すまんな。じゃあ……行ってくる」
「えぇ、でも今日は千尋とたっくんが主役なんだから早めに戻ってきてくださいね……」
おじさんはおばさんに一言告げて仏間へと一人で向かった。
おじさんとおばさんは俺の両親とは仲が良かった。
特に親父とおじさんは親友同士だった。
おじさんは線香を上げる時はいつも一人だ。
そして帰ってくると必ず目が赤い。
「じゃあ俺達は居間でお茶でもしましょうか」
「「はい」」
3人とメイズで居間へと向かいお茶しながらおじさんの帰りを待つ事にした。
「緑茶、紅茶、コーヒーがご用意できますがどうされますか?」
「私はコーヒーでお願い致します。ミルクと砂糖は要りません。」
「私も同じで」
「俺もコーヒー」
「畏まりました!」
注文を取るとベルは台所に向かって行った。
おばさんがメイズを気にして喋り辛そうなので、念話でメイズに指示を出す。
『ベル、悪いんだけどコーヒー持ってきたらメイズ全員台所で待機しててくれ』
『はい!マスター!』
ベルが台所へ向かうのと交代で英美里がコーヒーを持ってきてくれた。
「どうぞ!」
「「ありがとうございます」」
「ありがと、もう下がってて良いよ」
英美里が一礼してから居間を出て行った。
何か喋りたくてうずうずしていたおばさんが、遂に口を開いた。
「たっくん……私この家に来た時からずっと気になってた事があるんだけれど、聞いても良いかしら?」
「聞きたい事?別に良いけど……なに?」
「愛人はどの娘?それとも全員かしら?きゃっ!もう!たっくんの浮気者!」
嬉しそうに身を捩りながら聞いてくるおばさん。
「娘の将来の旦那にナニ聞いてくれてんの!馬鹿なの!」
「ははは……あの中には居ないですね」
そういえばおばさんは昔から空気を読まない人だったな。
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