あやかし猫茶房のクリスマス

椎名蓮月

 その日の店じまいは早かった。22時になると進次郎は猫店員に解散を告げ、行き場のある猫店員は去る。寒くなってから、裏には段ボール箱が転がっていて、行き場のない猫店員たちはここに入って丸くなっていた。古いしましまの毛布も置かれているし、北からの風は生け垣に遮られているので、寒さはしのげると思いたい孝志だった。

 いつものように店で余ったごはんをパック詰めにして奥の台所へ持っていく途中、めずらしく和室の襖があいていたので、孝志はちらりとそちらを見た。さらにめずらしいことに、電灯がついていたので、室内がはっきり見えた。

「こたつ……あったんですか」

 孝志が台所にパック詰めのごはんを運び込むと、先に入って冷凍室をあけていた進次郎はふりむいた。

「そうそう。遠慮せず使っていいぞ」

 それと、と進次郎は冷凍室から何かの箱を取り出した。それをテーブルに置くと、孝志の手からひょいひょいとごはんを取り上げて、冷凍室のあいたところに入れてしまう。

「それで、孝志くん。もしよかったら、これを今から食べないか」

「なんですか?」

 白い箱はほぼ正方形だ。何が入っているか、孝志には見当もつかない。

「ちょっと早いが、クリスマスケーキだ」

 進次郎はそういうと箱をあけた。孝志は中を覗き込む。白いクリームが塗られ、「Merry Christmas」とチョコレート板に書かれて飾られている、ありふれたクリスマスケーキだ。

「……えっと、いいんですか?」

「こんな夜遅くに甘いものを食べるのはよくないかもしれないが、あとでちゃんと歯を磨けばいいさ。あしたは祝日であさっては日曜で、店は休みだしな。これはきょう届いたんだが、月曜のクリスマスまで待ったら、忘れてしまいそうでな」

 いいんですか、と孝志が問いかけたのはそういう意味ではない。

 店をクリスマス仕様に飾りつけをしていたから、クリスマスなのはわかっていた。いいんですか、というのは、自分なぞが兄と一緒にケーキを食べていいものだろうか、という意味だった。しかし孝志は、これは兄を疑いすぎではないか、と気づいて問いを変えた。

「そうじゃなくて、……その、きょう届いたなら、みかげさんが受け取ったんですか?」

 進次郎は昼間は猫になってしまう。だから宅配などの荷物が受け取れず、そうした生活のサポートのために孝志は同居することになっているはずだった。しかし長年、進次郎と確執があったはずのみかげが、和解して、戻ってきた。みかげも人間の姿になれるので、進次郎が猫のときの対外的な用事を手伝っていた。

「ああ、そうだ。あいつもよんで食べよう」

 進次郎は朗らかにいうと、箱の蓋をしめた。シンクの横の抽斗からちいさいナイフを、食器棚から小皿を三枚取り出す。

 進次郎は店でいつもコーヒーをいれているせいか、家の中では緑茶やほうじ茶などを好む。このときはほうじ茶をいれながら、孝志にケーキと皿を運ぶように頼んだ。

 孝志は兄の言葉に従って、そっとケーキの箱を持って台所を出た。向かい側の和室の襖はあいているから、そのまま進めばいいだけだ。こたつは長方形で大きく、長辺がTVと平行になっている。孝志がケーキを置いて台所に戻り、小皿とナイフと、新たに出されていたフォークを持って再び和室に戻ると、こたつの中からこぞこぞと黒猫が出てきた。

「みかげさん。ケーキ、食べられますか?」

 孝志は気になって尋ねた。動物の姿に「戻る」あやかしは、もともとから動物であることがほとんどだ。つまり、人間の食べるものは刺激がつよくて口にできない場合も多い。孝志もマンガで読んだので、犬はたまねぎを食べてはいけないと知っている。猫もそうだと知ったのはいつだったか。とにかく、そうしたものを食べると、具合を悪くするだけではなく、死んでしまうこともある。たまねぎだけでなく人間の使うほかの食材も、かなり多くが、動物にとって刺激が強すぎるはずだ。

 こたつのわきにちょこんと座った黒猫は、ちいさな声で、ニャー、と鳴いた。

「すみません、何言ってるかわからないです……」

 いつもならみかげは猫の姿でもふつうに話しかけてくる。なので孝志は思わず、改めて黒猫を見た。ちゃんと首元だけ白いので、ほかの黒猫ではなくみかげのはずだ。

 孝志の言葉に、みかげはなんとなく失望したような、呆れたような顔をした。猫にも表情はあるのである。

 その姿が、一瞬ぶれて、スルッと大きくなった。

「食べられるが、食べるとよくない」

 孝志に対峙したうつくしい男は、すぐに座ってごそごそとこたつに入った。

「ああ……これは素晴らしい……ただ、この姿だと、全身で堪能できないから、もとのままでいたかった……背中がすうすうする」

「べつに無理して食べろとはお兄さんは言わないと思いますが」

「進次郎がしゅんとする顔を見たくない」

 みかげはこたつの天板に額をつけてから、顔をくるりと孝志に向けた。「おまえもそうだろう」

 以前は、我、汝、などと古くさい言葉を口にしていたみかげだが、和解してからは口調もかなり砕けて、すっかりこんな感じだ。以前はかっこうをつけていたのだろう、と孝志は察しているが、それをわざわざ指摘するのは意地悪になるだろうと思って黙っていた。

「みかげさんはほんとうにお兄さんが好きですよね」

「すき、とおまえが言うのと、俺がそのような心地を覚えるのとでは、かなり意味がちがう気がするが……」

 みかげは困ったように眉を寄せた。頭をあげ、何か言いかけたところへ、進次郎がやってくる。

「ミケ。ケーキ食べられるか」

「しばらく人間の姿から戻れなくなるが、食べられる」

 みかげは、襖に近い短辺に座った進次郎を見てうなずいた。進次郎は手にしていた盆から湯呑みをとりあげてめいめいの前に置く。

「だったら食べよう」

 進次郎は箱の蓋をあけて、器用にケーキを取り出すと、手早くケーキを切り分けた。見事に三等分である。孝志は目を丸くした。

「見ろ、ベンツのマークみたいだろう」

 そういえば、と孝志は思い出す。進次郎が人間の姿をしているときや、店が休みの夜にドライブをすることがある。自動車の販売店の前を通ると、進次郎が必ず、あれはどこそこの、と教えてくれるのだ。あれがベンツ、あれはトヨタカローラ、あれは日産、ホンダアコード、と。そうして教えられて初めて孝志は、同じ会社でも車種が違うと販売店舗も異なると知った。とにかくこのあたりは自動車の販売店が多い。自動車がないと生活するのが、できなくはないがむつかしいのである。

「基地の近くにお店がありますね」

 思い出すと、確かに、切り分けられたホールケーキは、ベンツのマークのように見えた。

 進次郎は孝志の反応に満足したようだ。これまた丁寧に、三分の一のケーキを小皿に載せる。小皿がケーキでいっぱいになった。

「ほら、ミケも」

 長辺に座っていたみかげは、進次郎が腕をのばしておしやったケーキの皿を受け取って、しげしげ眺めた。

「すごい……クリームのにおい……あまい……においが……」

 みかげは、目を瞠ると、しみじみと呟いた。それからちらりと進次郎を見て、にっこりする。みかげの人間の姿は、絶世の美形といっても差し支えない美しさだ。だからその微笑みは、たいそううつくしく、またしあわせそうだった。

「きっと旨いぞ。いい店のを通販したからな」

 進次郎はニヤニヤした。「去年のクリスマスはもはや何がなんだかわからなかったが……今年はいい感じだ。ありがたいな。孝志くんが来てくれたおかげだ」

「……とはいえ、宅配をみかげさんも受け取れるなら、僕はもうだいぶん用無しな気がしますけど」

「何を言う。買い出しはできないぞ、こいつ。銀行の入金も」

 すかさず進次郎が言う。孝志はちょっと笑ってしまった。ちらりと見ると、みかげはフォークを手にして、ケーキの上のいちごをつついている。まるで子どもだ。

「教えてくれればなんでもやる。俺は有能な式神だ」

 いちごをフォークら刺して、みかげは、隣に座った孝志を見た。「孝志。俺とおまえで力を合わせて、進次郎を助けていけばいい」

 ……助けるも何も、進次郎が困っているのはみかげの呪いのせいである。

 だが、孝志はそは言わなかった。野暮なのもあったが、みかげが故意にかけた呪いではないからだ。事故だったのだ。

 そしてみかげは、孝志が思っているのとはまた違った意味で、進次郎をとても大切に思っている。

 競合はない。

 孝志はみかげのようには進次郎に繋がれていないし、みかげも孝志のように進次郎を頼っていない。

「いちごから先に食べるといいぞ。生クリームを食べたあとだと酸っぱく感じる」

 孝志がみかげにうなずきかけると、進次郎が忠告した。

「お兄さんはすごいですね」と、孝志は兄を見て、言った。「よく考えたら、そうだ」

 兄はとにかくすごい。砂糖の甘さを口にしてからでは果物の甘さは弱いだろう。気づかなかったことを、兄は気づかせてくれる。

 兄のところへ来て、一緒に暮らせるようになってよかった、と孝志は思った。

「いや、……クリスマスケーキしかなくてすまんな」

 進次郎はなぜかすまなさそうに言った。

「えっ、これがクリスマスプレゼントですよね?」

 孝志が問うと、進次郎は微妙な顔をした。

「もう少し欲を掻いてもいいんだぞ、孝志くん」

「僕はこんな感じで充分です」

 孝志は心の底から告げた。

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あやかし猫茶房のクリスマス 椎名蓮月 @Seana_Renget

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