第109話 両親の契りと想い

 つくしちゃんの歓迎会は盛大におこなわれ、何事もなく終えた。

 今は親睦を深めるということで、住人全員で共同浴場へと向かい、裸の付き合いを楽しんでいる。

 そんな中、芳樹はリビングで一人、後片付けを行っていた。

 机周りの食器をシンクにまとめてから洗剤を混ぜ込んだスポンジで洗い流し、床を掃除機で綺麗にする。

 今は最後の仕上げに、雑巾で床をいているところだった。

 その時、ポケットに入れていたスマートフォンから着信音が鳴り響く。

 ポケットから取り出して画面を確認すると、電話は母からだった。

 着信ボタンを押して、芳樹はスマートフォンを耳元へと近づける。


「もしもし?」

『あぁ、芳樹かい? つくしちゃんの引っ越しは無事に終えたか?』

「うん。問題なく完了した。今は住人の人達と一緒にお風呂に入ってるよ」

『そうかい。なら良かった』


 母もつくしちゃんのことを心配していたのか、電話越しから安心した様子が聞き取れる。


「そっちはどう、問題なく出来てる?」

『まあぼちぼちさ。元々つくしちゃんがシフトに入ってないときは、普段から一人でやってたんだ。さほど影響はないさ』

「なら良かった……」


 ひとまず、母が問題なく生活できていることに安心する。


「なぁ母さん。どうして急に店を閉めることにしたんだ?」


 芳樹が前から思っていた疑問を直接ぶつけた。

 もちろん、年齢的な問題とか、つくしちゃんがアルバイトを辞めるタイミングとか、様々な要因が重なったことが言える。

 しかし、食事処『かすみ』は母さんと今は亡き父にとっては財産のような場所。

 そんな家族の財産ともいえるお店を、意図も簡単に閉めることを決断した母には、何か理由があるのではないかと芳樹は見越していた。


『……はぁ、あんたは気にしなくていいことだよ』


 そう言って、母はお茶を濁す。


「でも、母さんは店を閉じてこれからどうするんだ? 何もしないなら、人とのつながりもなくなって、下手したら万が一のことがあった時に気づいてもらえないなんてことも……」

『だから、そんな大層な理由じゃないっての。ホントあんたは相変わらず世話焼きだね』

「……ご、ごめん」


 母相手だからか、反射的に謝ってしまう。

 けれど、どれだけ自由に暮らしていいと言われても、今まで育ててくれた両親を大切にするのは当然のこと。

 ないがしろにはできない。

 電話越しから、母が吐息といきく音が聞こえてくる。


『最初から決めてたのさ』


 そして、ついでのように言葉をつむいだ。


「えっ……」

『あんたが社会人三年目になったら、私は店を辞めるって、最初からお父さんと話してたんだよ』


 今まで一度も聞かされてこなかった真実。

 芳樹が唖然あぜんとしている間にも母は話しを続けた。


『私は元々家業が農家だから、そっちを継ぐ予定だったのさ。そんで、お父さんが店を続けて二人で新しい生活をいとなむ予定だったのさ』

「だから、母さんはその約束を守るためにじいちゃんの家業を継ぐのか?」

『まっ……そう言うことさ。結局、お店を続けることは叶わなかったけどね』


 つまり、これは芳樹が物心つく前から決められていた運命だったのだ。

 それを父が亡くなっても、母はその通りに実行しただけのこと。

 だから、芳樹は自然と言葉を口にしていた。


「ならっ……俺が親父の――」

『それだけはダメだ』


 芳樹の言葉を最後まで聞く前に、母は言葉を遮った。


『何度も言っただろ。あんたに望んでるのは自由に生活を送って欲しいことだけだ。私とお父さんのちぎりに、簡単に入り込むもんじゃないよ』


 母が芳樹に言いたくなかった理由がようやく理解できた。

 芳樹の性格からして、このことを話してしまったら、確実に芳樹は店を継ごうとする。

 だから、母は言い続けてきたのだ。

『自由に生きろ』と。


 父と母の叶うことの出来なかった夢に入り込んでくるんじゃない。

 二人が本当に芳樹へ望んでいるのは、自由なことをして幸せな人生を歩むことだと。

 それに気づいてしまった以上、芳樹は何も言えなくなってしまう。


『それでもあんたは、店を継ぐなんて容易たやすく言える覚悟があるかい?』


 母に問われ、芳樹は何も言うことが出来なくなってしまう。

 それもそのはず。

 芳樹が店を継ぐということは、父と母の意志に反するものだから。

 なら、芳樹が本当にやりたいこととは……一体なんだ?


『まっ、自分でよく考えなさい』


 そう言い残して、母は勝手に通話を切ってしまう。

 物静かなリビングに、芳樹のため息だけがこぼれ出る。

 改めて自分が歩んでいきたい人生について、深く考えさせられる羽目になるのであった。

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