第65話 事業拡大!?

 突然一葉さんの車の中から現れた白髪の男性に、女子寮から出て行けと通告され、芳樹は唖然としてしまう。


「ちょっとパパ! 初対面でいきなりそれはないでしょ!」


 すると、一葉さんが憤慨した様子でその男性を厳しい口調で咎めた。

 ん? ってか、今なんて言った?


「パパ?」


 芳樹に指摘され、はっと一葉さんが口元を手で覆う。

 すると諦めたように口元から手を離すと、苦い表情で白髪の男性の方に手をかざした。


「私のパッ……父よ」

「えっ……」


 お父さんってことはつまり――


「自己紹介が遅れて申し訳ないね。一葉の父の笠間八雲かさまやくもと申します。今は、笠間不動産代表取締役を務めております」


 笠間八雲と名乗った白髪の男性は、芳樹へ名刺を差し出す。

 名刺には確かに、『笠間不動産代表取締役 笠間八雲』と記されていた。

 状況がいまだに飲み込めない芳樹は、おそるおそる八雲さんへ尋ねる。


「えぇっと、笠間不動産の取締役のお父様が、どうしてわざわざ小美玉こちらへ?」

「パパが芳樹君に話したいことがあるっていうから連れて来たのよ。そしたら、いきなり失礼なことを言いだすから驚いたわ」


 一葉さんは芳樹へと事情を説明して、ぎろりと父親を睨み付ける。

 八雲さんは娘の圧に動じる様子もなく、一つ咳払いしてから落ち着いた様子で話し出す。


「一葉は若くして、様々な改革をわが社にもたらしてくれている。その中でもこの女子寮のプランディングには特に注力していてね。だから、これから一葉の女子寮事業を、笠間不動産の新事業として拡大させていきたいと考えているんだ」


 八雲さんの話を聞いて、大体の察しはついた。


「なるほど。つまり、新事業のモデルケースとして、小美玉を紹介していきたいということですね」

「そう言うことだ」


 八雲さんは渋い声で頷く。

 芳樹はさらに憶測を語る。


「けれど、新事業拡大において、モデルケースである女子寮の管理人が男性だと知られたら、世間的にもあまりいい印象を与えない。だから、僕ではなく、他の女性に管理人をしてもらうために、出て行けと言っているのですね」

「あぁ……理解が早くて助かるよ」

「はい、理解はしました。けれど、納得はしていません」


 芳樹はすぐに八雲さんへ真剣な目を向ける。


「そもそも僕は、一葉さんからスカウトされてこの女子寮の管理人になりました。他の人達に人生で幸せな生活を送って欲しい。そう思って一葉さんからの誘いにのりました。ですので、僕としてもそう簡単に引き下がるわけにはいきません」

「ふむ……なるほど。つまり、君には女の子に囲まれて生活できるという邪な気持ちは一切なかったと」

「はい」


 芳樹はきっぱりした口調で言いきる。

 だって、それは芳樹が本当に思っていることであり、本心だったから。 

 嘘偽りはない。


「ほう。なかなか肝が据わった若者だ……」


 感心した様子で顎髭をジョリジョリと触る八雲取締役。


「八雲取締役。芳樹さんは下心など持っていない素晴らしい男性です。少しは信じて頂けましたでしょうか?」


 一葉さんは、実の父親にかしこまった口調で芳樹が無害であることを主張する。

 しかし、八雲さんの表情は晴れない。


「芳樹君がどれほど素晴らしい人間性を持っているかは分かった。だが、それを世間一般が好意的に認めてくれると思うかね?」

「ですからっ! 女子寮事業は私が個人的に行っている事業ですので、事業拡大の撤回を――」

「残念ながらそれはできない。既に上層部で事業拡大に向けての指標が示されている。それに、一葉も分かっているだろ? 次期取締役として、成果を逃すことがどれだけの損失になるかを」

「それは、そうだけれど……別の事業で会社を拡大していく方針だって出来るはずよ。仮に女子寮事業を拡大するにしても、管理人が身の回りの世話をしてくれる文言を売りにしない方向で進めればいいじゃない」

「確かに一葉の言うことももっともだ。情報の取捨選択は大切であり、方向性だって変えることも出来る。しかしながら、この事業の強みは女性が安心して暮らせる寮。つまり女性向けのコンテンツだ。そこに男の影があれば、すべてが瓦解していく。もちろん、マンションのように管理人が常駐でなければ話が別だがな」


 つまり、笠間不動産としては、管理人がいわば家事使用人として常駐する形の、女子寮を新事業として進めていきたいのだ。

 その中に男の影があれば、必然的に顧客は不信感を抱くに違いない。

 小美玉にはがさつな住居人が多いので気にしない人が多いけれど、普通の女性であるならば、見知らぬ異性に自分の下着などを洗濯されるのは、嫌悪感を抱くだろう。


「期限は今年の三月上旬までだ。それまでに、良い回答を待っているよ」


 そう言い残して、八雲さんは再び車の助手席へと乗り込んでしまう。


「……ごめんなさい。父を送ってくるわ」

「分かりました。いってらっしゃい」


 申し訳なさそうな顔を浮かべながら、一葉さんは運転席の方へと周り込んで、プリウスの運転席へと乗り込んだ。

 車を発進させて、一葉さんの車は小美玉の敷地から公道へと出て行く。

 一葉さんの車を見送りながら、芳樹は一人ふぅっとため息を吐いた。


「こりゃまた、色々と面倒なことになってきたな」


 そんなことを呟きながら、芳樹は再び転職を強いられる境地に立たされた。

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