第63話 本気になった二人の大晦日
弁護士の話し合いの結果、鉾田と霜乃の離婚調停は、お互いに金輪際顔を合わせないという条件の元無事に終結。
さらに、鉾田が霜乃さんにまた近づくようなことがあれば、鉾田の犯した罪を償って貰うというオプション付きである。
これで、鉾田が霜乃さんに危害を加えにくることはないだろう。
十二月三十一日の大晦日を朝。
一葉さんは、パステルカラーのワンピースに身を包み、玄関で靴を履いていた。
「はぁ……年越しを芳樹君達と一緒に迎えられないのが残念だわ」
「仕方ないですよ。年末年始は家族で過ごした方がいいですから」
「毎日ドレスコードで親族と顔を合わせるのは疲れるのよ。こんなことするなら、仕事をしていたほうがまだマシよ」
一葉さんは心底面倒くさそうな顔で、ぶつくさ文句を言っている。
「はいはい、年明けに愚痴ならいくらでも聞きますから。今はしっかりと社長令嬢としての役目を果たしてきてください」
「分かってますよーだ。あっ、私がいないからって、羽目を外し過ぎないようにね?」
「心配ないですよ。霜乃さんと瑞穂ちゃんしかいませんし。羽目を外すような人はいません」
「二人しかいないから、余計に心配なんじゃない……」
「何か言いましたか?」
「何でもないわ。行ってきます」
「行ってらっしゃい、一葉さん。良いお年を」
「よいお年を芳樹君。来年も、よろしくね」
そう言って、一葉さんは玄関を出て、愛車のプリウスへと乗り込んだ。
エンジンをかけて、運転席から一葉さんは手を振りながら微笑んでくる。
手を振り返すと、一葉さんは満足したのか、そのまま車を発進させ、実家へと帰省していった。
お昼を食べ終えた住居人たちは、女子寮に人がいない寂しさも相まって、共同リビングに居座っていた。
瑞穂ちゃんはソファにうつ伏せで寝転がり、スマートフォンをポチポチと操作している。
一方で霜乃さんは、テーブル席で優雅にお茶を飲んでいた。
芳樹は食器の片付けを終えて、しばしの休息に入る。
「ふぅ……」
「お疲れさま、芳樹さん」
「お疲れ様です」
霜乃さんの対面の席に座り、芳樹も脱力する。
「やっぱり、賑やかな人たちがいないと静かですね」
「そうね、まるで定年後の熟年夫婦の昼下がりみたいよね」
すると、ソファに寝転がっていた瑞穂ちゃんがぬっと起き上がった。
「ねぇ、芳樹。時間あるならちょっと付き合って欲しいんだけど……」
「ん、何か手伝って欲しいことでもあるの?」
「まあ……そんな感じ。だから……」
瑞穂ちゃんは芳樹を手招きして、別の場所へ移動しようとジェスチャーしてくる。
芳樹が椅子から立ち上がろうとした時、不意にガシッと手を誰かに掴まれた。
振り返ると、芳樹の腕を掴んだ霜乃さんが穏やかな笑顔を浮かべている。
「ごめんね瑞穂ちゃん。実はこれから、芳樹さんとお正月のお買い物に出かける予定があるの。だから、芳樹さんを頼るのはまた別の機会にして頂戴」
「えっ、もう行くんですか?」
「えぇ、そうよ」
思わず、驚きの声を上げてしまう芳樹。
確かに、お正月の買い物に行く約束はしていたけれど、今お昼を食べたばかりだ。
外出するにはまだ早い。
いつもなら、十五時くらいに出かけるのはずなのに。
「少し寄り道したいところがあるの。だから、帰りは夜ご飯のギリギリになってしまうけれど、瑞穂ちゃんはお留守番をお願いできるかしら?」
霜乃さんはどこか寄り道したいところがあるらしい。
しかし、瑞穂ちゃんは納得できない様子で口を尖らせる。
「その割には、随分のんびりとリビングでくつろいでいましたけど、準備しなくていいんですか?」
「芳樹さんの片付けが終わってから準備する予定だったのよ。着ていく服も芳樹さんに選んでほしかったから」
「えっ……そうだったんですか!?」
初耳情報ばかりで、芳樹は間抜けな声を上げることしか出来ない。
そんな芳樹の様子を見た瑞穂ちゃんは、さらにむすっとした表情を浮かべる。
「霜乃さん、本当は寄り道する予定なんてないんですよね?」
「あら、どうしてそう思うのかしら?」
「芳樹が知らなさそうな反応してるから」
「それは、サプライズのつもりだったからよ」
「でも、今言っちゃいましたから、サプライズじゃなくなっちゃいましたね」
「そうね……でもごめんなさい。どうしても今日じゃなきゃダメなのよ」
「私も今日で、しかも今じゃなきゃダメな用事なんです! 少しくらい、芳樹との時間をくれたっていいじゃないんですか?」
「あら、そんなに芳樹さんのことが必要なの?」
「そ、そっちだって、芳樹の時間を阻害しすぎです」
「ちょっと、二人とも落ち着いて……」
二人の言い合いに、芳樹は慌てて仲裁に入る。
「芳樹はどっちの用事が大切なわけ!?」
「芳樹さんは、どちらの予定が大事なのかしら?」
ほぼ同時に同じようなことを尋ねてくる二人。
「いやっ、そもそも二人の用事が何かも知らないんだけど……」
何をしようとしているのか聞かなければ、芳樹もどっちの予定を優先した方がいいか分からない。
「なら、予定の内容によって、どちらが大事か決めましょうか。それでいいかしら、芳樹さん」
「え、えぇ……まあ、お二人がそれでいいなら」
芳樹がそう答えると、霜乃さんと瑞穂ちゃんの視線がぶつかり、火花が飛び散り、芳樹の奪い合いが始まった。
「さぁ瑞穂ちゃん、芳樹さんにどういった用件があるのかしら?」
「いえっ……霜乃さんの方からどうぞ」
「私はただ、ちょっと二人で休憩しに行こうと思っていただけよ」
「休憩?」
「そうよ。二人でまったりとくつろげる、素敵な所よ」
「どこですか?」
「そうねぇ……まだ高校生の瑞穂ちゃんには早い所、かしらね」
「なっ……」
休憩出来て二人でくつろげる、高校生にはまだ早い場所。
一体、芳樹をどんなところへ連れてイこうとしているのか、瑞穂ちゃんは察したらしい。
頬を真っ赤にして、恥ずかしそうにしている。
「それで、瑞穂ちゃんの予定は何かしら?」
「そ、それは……」
瑞穂ちゃんは恥じらうように体をモジモジとさせながら、俯いてしまう。
そして――
「きゅ……休憩」
っと、霜乃さんと全く同じことをぽしょりと呟いた。
「あら奇遇ね。瑞穂ちゃんも休憩しようとしていたの?」
「そうですけど!? しかも霜乃さんとは違って、高校生でもくつろげる休憩です!」
霜乃さんのからかうような挑発に、何か文句でもありますかというように憤慨した様子で言葉を投げる瑞穂ちゃん。
というか、瑞穂ちゃんは一体芳樹とナニをしようとしていたの!?
「あら? 随分と邪なことを考えているのね」
「そっちだって同じでしょ? 昼間からホテルなんてふしだら!」
「ホテル? 何か勘違いしているようだけれど、私はただ、趣のある日本庭園の喫茶店で芳樹さんと一緒にお茶をしようとしていただけよ」
「図りましたね!?」
「何のことかしら?」
ふふふっとわざとらしく微笑む霜乃さん。
正直芳樹も、瑞穂ちゃんと同じようなことを想像していたので、何も言えない。
「それで、瑞穂ちゃんの言う、二人っきりで高校生にもできる休憩って、一体何かしら?」
「うっ……そ、それは……」
そこで、瑞穂ちゃんは罰が悪そうに視線を泳がせる。
明らかに動揺している様子で、霜乃さんは首を傾げて瑞穂ちゃんが答えるのを待っていた。
しばらく間を置いた後・・・・・・
「ひ……昼寝」
と、消え入りそうな声で瑞穂ちゃんが答えた。
「えっ、今、なんて?」
「だっ、だから! 芳樹に添い寝してお昼寝したかったの! 何か文句ある!?」
ついには顔を真っ赤にして、瑞穂ちゃんは開き直って大声で言い放った
というか、瑞穂の方がより管理人としては看過できない用事だった。
「あらあらー、これじゃあはしたないのはどちらか分からないわよね、芳樹さん」
「霜乃さんも思わせぶりな発言してるので大概ですよ」
「あら? 勝手に想像したのは二人だと思うけれど?」
「だとしてもです」
あんな思わせぶりなことを言われてしまったら、男として霜乃さんの魅力的な身体を……
と、考えてしまうのは仕方ないことだと思う。
「最近ずっと霜乃さんのことで忙しかったんですから、今日くらい私に譲ってくれてもいいんじゃないですか?」
「確かに迷惑をかけたことは申し訳ないと思っているわ。でも私ね、もう決めたの。手に入れたいものに関しては、誰に頼まれようが譲らないって」
それはまるで告白同然の言葉。
芳樹はつい嬉しくて頬が緩みそうになる。
「それで、芳樹さんは私と瑞穂ちゃん。どちらを選ぶのかしら?」
「芳樹、もちろん私だよね?」
霜乃さんと瑞穂ちゃん、どちらからも期待に満ちた眼差しを向けられ、芳樹は苦笑いを浮かべることしか出来ない。
すると、霜乃さんがぱっと表情を明るくして、パシっと手を叩いた。
「そうだわ! なら、三人で一緒に行動するっていうのはどうかしら? それなら、瑞穂ちゃんも文句ないでしょ?」
「えっ!? いやっ、それはそれで色々と問題がある気が……」
「責任……」
「責任……」
すると、二人から同時に同じ言葉を言われ、芳樹は狼狽えた。
それは、芳樹が二人に放った責任を取るという言葉。
二人に言質を取られている以上、これ以上芳樹に抵抗する術はない。
「ふふっ、決定みたいね」
「仕方ないですね、今回だけですよ?」
「いや、ちょっと待って。俺の決定権は……」
「ないわよ」
「ないわよ」
またも息ぴったりに答える二人。
どうやら、芳樹をこの場で助けてくれる者はいないらしい。
「ふふっ……楽しい年明けになりそうね」
「そうですね」
そんな二人は、どこか今の状況を楽しんですらいるように見えた。
管理人として、二人が幸せそうなら、それでもいいかと思ってしまう芳樹。
一葉さんには羽目を外し過ぎないようにと釘を刺されたけれど、年末年始の大晦日くらい、彼女たちの要望に応えてあげて息抜きをしてもいいのではないかと思ってしまうのであった。
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