第46話 それぞれの朝
翌日、共同リビングはお通夜のような重苦しい雰囲気に包まれていた。
「あぁ……頭が痛いわ。昨日は飲み過ぎたようね」
「一葉っちに同じく・・・・・・」
せっかく芳樹が丹精込めて作った朝食に手を付けることなく、一葉さんと梢恵はズキズキする額に手を当てながら項垂れている。
どうやら二日酔いの猛威が二人を襲っているらしい。
それもそのはず、昨日瑞穂ちゃんからのSOSを受けて芳樹と霜乃さんが寮に帰宅したら、共同リビングはまさにカオスだった。
机の上はデリバリーで頼んだチキンやピザのゴミが散らかり、床には二人で飲んだものと思われるチューハイやビールの缶が散乱していて、テーブルに突っ伏すようにして二人とも泥酔した状態で眠りこけるっていたのだから。
「芳樹ぃぃ……私はもうダメ……」
そして、リビングのベッドに寝転がり、屍のように息絶えていた瑞穂ちゃん。
彼女はよく頑張って二人の相手を最後までしてくれたと思う。
芳樹は泥酔しきった二人と疲弊した瑞穂ちゃんを各々の部屋のベッドに担いで運んだ後、リビングの後片付けを決行。
途中かっしーがバイトから帰ってきて『なんすか、その惨状は!?』と驚いていた。
「しばらくお酒は控えることにするわ」
「そだね、お酒はもうこりごり」
「それ、十中八九また同じこと繰り返す人が言うセリフなんですけど……」
芳樹が呆れ交じりにツッコミを入れると、二人の向かい側の席で盛大にため息を漏らす制服姿の少女が一人。
「はぁ……一葉さんも梢恵さんも、良い大人なんですから。少しはお酒の嗜み方を覚えてください。こっちとしてはとばっちりでしかないんですから」
「ご、ごめんなさい瑞穂ちゃん。昨日は本当に申し訳ないことをしたわ」
朝食を食べる瑞穂ちゃんに、申し訳なさそうに頭を下げる一葉さん。
「うぅ……瑞穂たんに迷惑をかけてしまうなんて、私としたことが一生の不覚っ!」
寮で最年少の瑞穂ちゃんに叱られる大人組二人。
なんだか、面白い構図だ。
「梢恵さん、その呼び方気持ち悪いからやめてくれる?」
「ひぃっ……ご、ごめんなさい瑞穂ちゃん」
「鼻の下も伸ばさないで、気持ち悪い」
「うえぇぇぇん!!!!」
瑞穂ちゃんの容赦ない辛辣な言葉は、瑞穂ファンの梢恵の心にクリーンヒット。
もう梢恵のライフはゼロだ。
「ごちそうさまでした」
瑞穂ちゃんは行儀よく手を合わせてごちそうさまをすると、食器を片付けてシンクへと持ってくる。
「食器持ってきてくれてありがと瑞穂ちゃん。朝食はどうだった?」
「うん、凄く美味しかった。芳樹の手料理がこんなに美味しいなら、もっと早くから食べてればよかったと後悔してる」
「あははっ、俺は瑞穂ちゃんが朝食を食べてくれるようになっただけでうれしいよ」
「うん……これからは出来るだけ食べるようにする」
「ありがと。俺も瑞穂ちゃんが幸せそうに食べてくれるなら、管理人冥利に尽きるよ」
そう言って芳樹は、瑞穂ちゃんの頭をぽんぽんと撫でる。
頭を撫でられ、まんざらでもなさそうな顔で微笑む瑞穂ちゃん。
瑞穂ちゃんは芳樹がファン一号である事実を伝えてから、早朝登校することを辞めた。
今まで芳樹を避けるため、相当無理をして朝早くに起きて外出していたのだろう。
関係性を再構築した今、瑞穂ちゃんに早朝登校するメリットは無くなったのだ。
けれど……
「それじゃあ準備もできたし、駅まで一緒に行こ?」
「はいはい」
また新たな問題が発生していた。
瑞穂ちゃんは罰として芳樹に駅まで毎日送ることを義務化してきたのである。
まあ瑞穂ちゃんからの罰なので、芳樹は従わざる負えない。
芳樹はそこでようやく、瑞穂ちゃんの隣で朝食を取っている霜乃さんへ声を掛ける。
「そ、そういうわけで霜乃さん。もっ、申し訳ないですが、後片付けをよろしくお願いします」
「え、えぇ……分かったわ」
芳樹のどもった声に、同じようにつっかえた返事を返す霜乃さん。
二人の間に生まれてしまった違和感を断ち切るように、霜乃さんが慌てて瑞穂ちゃんへ視線を向ける。
「さぁ、行ってらっしゃい瑞穂ちゃん」
「はい……行ってきます」
瑞穂ちゃんは少し戸惑った様子ながらも、霜乃さんに言われてリビングを後にしていく。
それに呼応するようにして、一葉さんや梢恵からも見送りの挨拶を受ける。
「いってらっしゃい」
「瑞穂ちゃん。芳樹に何かされたらすぐに防犯ベルを鳴らすんだよ!」
「そんなことするかっつーの」
そんな会話を交わしつつ、芳樹は管理人室からコートを取り、玄関で靴を履いて、瑞穂ちゃんと一緒に寮を出た。
年末が近づくにつれて、寒さはさらに厳しくなってきており、コートを羽織っていても冷たい北風が身体を冷やしにかかってくる。
瑞穂ちゃんは、ピタリと芳樹の隣に付いて駅までの道を歩いていく。
「昨日はごめんね。瑞穂ちゃんに迷惑かけちゃって」
道中、改めて昨日のことを瑞穂ちゃんに謝罪する。
「それは別にいい。けど、何かあった?」
「へっ、何が?」
「霜乃さんのこと。昨日帰ってきてから、明らかに二人とも様子がおかしいから」
「そうかな……いつも通りだと思うけど?」
芳樹が取り繕うと、瑞穂ちゃんが頬を思い切りつねってきた。
「いたい、いたい! 瑞穂ちゃんストップ!」
瑞穂ちゃんは芳樹の頬から手を離すと、じとーっとした視線を向けてくる。
上手く立ち回っているつもりだったけれど、瑞穂ちゃんは二人の違和感に気づいているらしい。
「何があったのかは知らないけど、霜乃さんを傷つけるようなことしたら許さないから」
「わ、分かってるってば……」
「それならいいけど……しっかりしてよね」
瑞穂ちゃんが呆れたようにため息を吐く。
しかしこれは、簡単に解決できる問題ではないのだ。
『芳樹さん。私のことを、女として抱いて頂戴』
そんなことを言われてしまったら、意識せざる負えない。
向こうだって、今まで作りあげてきた芳樹との関係性を崩してしまうことを理解したうえで、覚悟を決めて放った発言に違いない。
実際芳樹は今、霜乃さんのことを一人の女性として意識しまくっている。
だからそこ、芳樹はこの問題にしっかりと向き合い、結論を出さなければならない。
瑞穂ちゃんを送る間も、芳樹の頭の中に思い浮かぶのは霜乃さんのことばかり。
結局、芳樹が考え込んで黙り込むごとに、瑞穂ちゃんが芳樹の頬をつねり、現実へと引き戻すというやりとりを何度も繰り返すのであった。
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