第43話 聞き分けの悪い大人たち
迎えたデート当日。
朝のリビングは殺伐とした雰囲気に包まれていた。
「今日の朝食、どうですか?」
「……」
「一葉、芳樹さんがお味はどうかしらって」
「……」
モグモグと朝食を咀嚼しながら、一葉さんは無言を貫く。
完全無視とはまさにこのこと。
「か・ず・は?」
にこっと笑顔を張り付けた霜乃さんに威圧され、ようやく一葉さんがピクリと眉を動かして、苦い表情を浮かべた。
「おっ……美味しいわよ」
そっぽを向きながら、ぼそっと一葉さんが不機嫌そうな声で答える。
「なら良かったです。梢恵はどう?」
「・・・・・・」
芳樹の問いに、
「……こ・ず・え・ちゃん?」
またも、霜乃さんが笑顔を張り付けながら威圧感いっぱいの声音で尋ねると、梢恵はピクっと肩を震わせた。
「お、美味しいです……」
「そう、なら良かったわ」
二人の答えに、満足そうな笑みを浮かべる霜乃さん。
霜乃さん、恐るべし――
強靭メンタルとは、まさにこのことだ。
この寮で一番敵に回していけないのは、間違いなく霜乃さんだろう。
芳樹が霜乃さんに恐れ慄いていると、霜乃さんは困り顔で、こちらにアイコンタクトを取ってきた。
これに答えるように、芳樹も苦い笑みを霜乃さんに返す。
何故一葉さんと梢恵が機嫌を損ねているのか、その理由は考えるまでもない。
今日は十二月二十四日。つまりはクリスマスイブ。
そんな聖なる・・・・・・いや、性なる日に限って、芳樹と霜乃がデートを敢行するのだ。
男の噂すらない二人にとって、仕事で疲れ果てて寮に帰ってきたら、いつも出迎えてくれるはずの二人がクリスマスデートを楽しんでいるとなれば、そりゃ機嫌も損ねたくなる。
しかしこれは、あくまで芳樹が風邪を引いてしまったときに看病をしてもらったときのお礼としてデートをするだけであり、特にそれ以上でもそれ以下でもないのだ。
正直、不機嫌になられても困る。
けれど結局、二人は仕事に出かけるまで、不機嫌なまま芳樹と口を利いてくれることはなかった。
いつものように掃除や洗濯などを終えた夕刻時。
芳樹は霜乃さんが着替えて来るのをリビングで待っていた。
「なんか、随分と気合が入っているように見えるのは気のせいかしら?」
すると、既に仕事から帰宅した一葉さんが、リビングのテーブルに着きながら芳樹の格好を見て眉を顰める。
「そうですか……?」
芳樹の格好は、白のニットにベージュのチェスターコートを羽織り、黒のスキニーパンツにレザーリュックという格好。
確かに、寮では滅多に着ない服装のため、気合が入っていると思われても仕方がない。
「普段からその格好でいればいいのに……」
「いつもは掃除とかしなきゃないけないので、動きやすい服装の方が何かと楽なんですよ」
最近の芳樹は、女子寮での生活にも慣れてきたため、チノパンやシャカパンにセーターという服装が多くなっていた。
異性という目が常にある限り、男子としてはもう少し見た目にも気にした方がいいのだろうけど、芳樹にも慣れというものが来てしまったのである。
要因は勿論いろいろあるけれど、一番の要因といったら梢恵が引っ越してきたことが原因だろう。
幼馴染がいるだけで、気が緩んでしまうというか、少しくらいかしこまらなくてもいいかという気になってしまうのだ。
「にしてもまさか、わざわざクリスマスイブに霜乃とデートとは、管理人として随分と浮かれているんじゃないかしら?」
「まあこれは、霜乃さんからの提案ですし」
「だからって、映画を見に行くだけなら、別日でも良かったじゃない」
「まあ、それはそうですけど……」
「はぁ……霜乃もやるわね」
そう言いながら、一葉さんは頭に手をやり、深いため息を吐く。
「あーあ。私は梢恵ちゃんと女二人で寂しいクリスマスを過ごしますよーだ」
かと思えば、ふてくされた子供のように、頬を膨らませて駄々をこねる一葉さん。
ちょっと負け犬の遠吠えのようで、惨めに見えたことは言わないでおこう。
今日の夜は梢恵と一葉さんの二人きり。
かっしーはバイト、瑞穂ちゃんはドラマの撮影で帰りが遅いのだ。
「あまり飲み過ぎないようにしてくださいね?」
軽く念を押しておくものの、一葉さんはベーっと舌を出して芳樹へ抵抗の意を示す。
どうやら二人で飲み交わす気満々らしい。
これは、帰ってきた時にリビングで泥酔している二人を看病することになりそうだ。
「お、お待たせ……」
そんなことを思っていると、後ろから霜乃さんが声を掛けてきた。
振り返ると、白のニットにライトグレーのパンツを履き、ロング丈のダウンコートを羽織った服装で霜乃さんがドア近くに立っている。
普段のエプロン姿にラフな格好の霜乃さんより、一層大人の女性としての魅力が際立っている。
「ど、どうかしら……?」
照れたように身を捩る霜乃さん。
芳樹は思わず見惚れてしまう。
「凄く綺麗です」
気づいたときには、そう口にしていた。
「そう……なら良かったわ」
芳樹に褒められ、頬を赤くして照れる霜乃さん。
二人の間に、得も言われぬ空気感が漂う。
「ほらほらそこ、イチャイチャしない」
すると、一葉さんが雰囲気をぶち壊すようにして、割って入ってくる。
「ほら芳樹君。霜乃に鼻の下伸ばしてないで、さっさとエスコートしてあげなさい」
「伸ばしてませんから。それでは、行ってきます」
リュックを背負い、芳樹は霜乃さんと一緒にリビングを出て行こうとする。
すると、霜乃さんが一葉さんに向かってにっこりと笑みを浮かべた。
「一葉、今日はありがとね」
霜乃さんが一葉さんに向かってお礼を言うと、一葉さんははぁっとため息を吐いた。
「まっ、今回は二人の今までの頑張りに応じて許してあげる」
「ふふっ、ありがと。それじゃあ、行ってきます」
こうして、芳樹と霜乃は玄関へと向かっていく。
靴を履いて玄関を出ると、外は既に陽も沈み、冷たい夜風が吹いていた。
「寒いですね……」
「そうね、今夜は特に冷えるらしいから」
「霜乃さん、寒くないですか?」
「そうね……少し肌寒いけど、あとで室内に入るから、これくらいでちょうどいいわ」
「なら良かったです。それじゃあ行きましょうか」
「えいっ」
芳樹が歩き出そうとした所で、霜乃さんは何を血迷ったのか、芳樹の腕に腕を絡めてきた。
「ちょっと、霜乃さん!?」
突然の奇襲にドギマギしてしまう芳樹。
「ふふっ、こうやってくっついて歩いたら、寒さも少しは和らぐでしょ?」
「それはそうですけど……」
というより、芳樹には別の問題が生じる。
ニット越しとはいえ、霜乃さんの豊満な胸の感触が伝わってくるのだ。
心臓の鼓動は早まり、身体中から変な汗が出てきてしまう。
こんなの、ドキドキせずにはいられない。
「ふふっ、それじゃあ行きましょうか」
こうして、年上の女性にリードされながら、芳樹たちのクリスマスイブデートが始まるのであった。
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