第30話 芳樹の回顧

 瑞穂ちゃんもリビングに揃ったところで、女子寮のメンバーが全員集合。


「初めまして、水戸瑞穂です。一応、女優をやらせて貰っています」

「初めまして、神崎梢恵です! うわぁー本物だ、凄いっ! ねぇねぇ、一緒に写真撮ってもいい?」

「ネットにアップしないのであれば構いませんよ」

「ホントに!? やったぁ!」


 梢恵のぐいぐい迫るコミュ力で、瑞穂ちゃんと一緒に写真をパシャリ。

 瑞穂は、酔っぱらった住居人たちとのテンションの違いに、少々困惑気味といった様子。


 酔いもさらに回り、気分が良くなった梢恵は、またもや芳樹の酔っぱらった際の出来事を語り始める。


「そうなんですよ! それで芳樹が隣の団体さんのところにカチコミに行っちゃって。その時についたあだ名が、『亜苦露場体久あくろばてぃっく』っすよ! どこのやくざだよって感じですよね」

「あら、中二病感が出ていてカッコいいじゃない。私は好きよ、そのあだ名」


 霜乃さんはくすりと笑いながら、からかい交じりの笑みを浮かべる。


「全部昔の話です! 今はお酒の飲み方も大人になって分かりましたし。ちゃんとセーブできますから」


 芳樹がたじたじになっていると、霜乃さんは頬に手を当てて、少し残念そうな表情で見つめてきた。


「あら、でも一度くらい見てみたいわ。芳樹さんの『亜苦露場体久』姿♪」

「そうっすね。今度ラッパ飲みさましょう!」

「いいわね! 賛成!」

「絶対にやりませんから!!」


 酔っぱらっているせいで、容赦なくプライベート領域へ首を突っ込んでくる霜乃さんとかっしー。


「ごちそうさま」


 その中で、一人黙々と食事を済ませた瑞穂ちゃんは、すっと席から立ち上がり、自分が使ったお皿を律儀にシンクへと片づけていく。


「あぁ、瑞穂ちゃんいいよ。俺が洗っておくから」


 瑞穂ちゃんがスポンジに伸ばそうとした腕を芳樹が掴んで止める。

腕を掴まれたことに驚いたのか、瑞穂ちゃんはピクっと体を震わせた。


「あっ、ごめん」


 慌てて手を離すと、瑞穂ちゃんは俯きながら、芳樹を視界にとらえることなく、駆け足でキッチンから逃げ出す。


「瑞穂ちゃんもうご馳走様?」

「もっとお話ししようよー!」

「……」


 酔っ払い達の言葉に反応することなく、瑞穂ちゃんはリビングを出て行ってしまった。

 一度も目を合わせてくれなかったのは、芳樹がさっき、女子寮で魅力的な女性は瑞穂ちゃんという発言をしてしまったからだろう。

 せっかく縮まった距離が、また遠くなってしまったような気がした。


「はぁ……先は長そうだな」


 ため息交じりにリビングへ視線を上げると、そこには、信じられない光景が広がっていた。

 我が幼馴染が酔った勢いで、一葉さんに後ろから腕を回し、その豊かな二つの膨らみを鷲掴みにしていたのだ。



「一葉っちの胸柔らかーい! バストいくつ?」

「ちょっと、いきなりやめてよー! そうね……はちじゅう……あっ、こらぁー♡ 私の胸より、霜乃の乳を揉みなさいよ」

「いやぁ、なんかあれじゃないですか。霜乃さんのは天然物というか、触るのもおこがましいっていう感じだし」


 そう言いながら、一葉さんの胸を気持ちよさそうにモミモミする幼馴染。

 頬を染めて身悶える一葉さんをよそに、霜乃さんは自身の胸へ視線を向けて、なんとも言えぬ表情を浮かべていた。


「私の胸はもう、重力に逆らえないから……」

「そんなこと言って、ほんとは凄いんすよ? ほらっ!」

「きゃっ!? ちょっと加志子ちゃん、いきなり服の中に腕を忍び込ませないでぇー!」


 梢恵の悪乗りが伝染したらしい。

 かっしーは、霜乃さんの服の中へと手を忍び込ませ、その柔らかそうでメロンのようなおっぱいを、直でぷるぷると揺らしまくっていた。

 まさにそこは花園。というよりは、男子が妄想する女子更衣室でのやり取りと言った方が正しいだろうか。


 なんとも居た堪れない気持ちになった芳樹は、乳繰り合う酔っ払いたちに気づかれぬよう、忍び足でリビングを抜け出す。


「はぁ……なんか、見てはいけないものを見てしまった」


 思わず、そんな独り言をぶつぶつと言いながら、頭を抱える。

 にしても、梢恵という爆弾が加わっただけでこの変わりよう。

 今まで、どこか取り繕っていた関係性が、梢恵という存在を介して一気に外れてしまったのかもしれない。

 ノリが女子高や女子大特有のそれである。


「あんたの幼馴染、随分とねじがぶっ飛んでるのね」


 ふと声を掛けられて顔を上げる。

 見れば、壁際に寄りかかりながらストローを咥え、パックのリンゴジュースを飲んでいる瑞穂ちゃんの姿があった。


「ごめんね、イカれた幼馴染で」

「別に。でも、あんなにふざけ合って楽しそうにしてる一葉さんたちの姿見たの初めてだったから、少し新鮮かも」

「そうなの?」

「私に気遣ってるのか知らないけど、家でお酒飲む人たちじゃないから」

「あぁ……」


 ここに越してきてから、歓迎会以外で住人たちがお酒を飲んでいる姿を、芳樹は見たことがない。

 おそらく、未成年の瑞穂ちゃんに気遣って、今まで自重していたのだろう。


「まあいい意味で、梢恵さんが場を楽しくしているからいいんだけどさ」


 そう言いながらも、瑞穂ちゃんはどこか少し寂しそうな表情をしているのは気のせいだろうか。


「瑞穂ちゃんも、お酒飲みたいと思うか?」


 だから、芳樹は自然と瑞穂ちゃんにそう尋ねていた。


「全然、私はああいうノリ好きじゃないし」

「そっか……」

「でもまあ、たまにはああやって素の自分を曝け出すのも、悪いことじゃないでしょ」


 瑞穂ちゃんは、上から達観して物事を捉えている。

 この寮の中で、一番大人なのは、瑞穂ちゃんなのかもしれない。


「ははっ、たしかにそうしれないね。こうして気軽に自分を曝け出せる人が寮にいたら、日頃のストレスも解消されるだろうからね」

「まあでも、お酒でストレス解消するって、一番良くない方法だとは思うけど」

「確かに……」


 瑞穂ちゃんの鋭い指摘に、満場一致である。

 どんなに辛いことや忘れたいことがあったとしても、お酒で一時的に開放的な気分になることは出来ても、現実から目を背けているだけで、問題は解決していないのだ。

 すると、リビングのドアが開き、梢恵が廊下へと出てくる。


「あれぇー? 二人で何密会してるの?」

「別にそんなんじゃねぇよ。って、酒くさっ!?」


 相当呑んだらしく、梢恵の隣にいるだけでも匂いが伝わってくる。

 梢恵は酔った勢いで、芳樹の首に腕を絡ませて寄りかかってきた。

 まさにダル絡みとはこのこと。


「それじゃ、私は部屋に戻るから」

「あっ、うん……」


 絡まれると面倒だと察した瑞穂ちゃんは、くるりと踵を返して階段を上っていく。

 瑞穂ちゃんが階段を上って、自室へと入っていく音を聞いた直後、梢恵が耳元で囁いてくる。


「にしてもまあ、まさかあの水戸瑞穂ちゃんが同じ寮の住人なんて、なんか運命感じちゃうね」

「そうか?」

「だって、私達が生みの親と言っても過言ではないわけだしぃー」

「はぁ、何言ってんの?」


 意味が分からないといったように芳樹が首を傾げる。

 すると、梢恵は唖然とした様子で目をぱちくりとさせた。


「えっ……あっ、もしかして芳樹分かってない感じ?」

「だから、何が?」

「だってあの子、『芳樹JCファン事件よしきじぇーしーファンじけん』の当事者の子だよ」

「えっ……?」


 梢恵の口から出た情報に、芳樹は言葉を失う。


「ヤバイ、こんなことしてる場合じゃなかった。トイレ、トイレ!」


 梢恵は思い出したかのように、芳樹から離れたかと思えば、足をモジモジとさせながら急いでトイレへと駆け込んでいく。


 廊下へ取り残された芳樹は、目をぱちくりとさせて放心状態に陥っていた。

 混乱といった方が正しいかもしれない。

 だってそれは、芳樹にとって忘れがたい出来事であり、今までだって片時も忘れたことのない記憶だから……。 


 あれほど大見得を切っておいて、忘れるはずがない。

 当時のことが鮮明に脳裏に蘇る。


 ぱっとしないような幼い顔立ちに、黒髪のボサボサショートヘア。

 思春期の女の子一番の悩みでもあるニキビが頬に出来ており、どこか弱々しささえ感じる華奢な身体をした女の子。

 それはまるで、未成熟の果実のような存在で、芳樹にとって忘れがたい思い出。


「嘘……だろ?」


 この寮で初めて瑞穂ちゃんに出会ったとき、芳樹が覚えた引っ掛かりが、すっきりと晴れていくような感覚。

 どうやら芳樹は、名前という固定概念に縛られ過ぎていたようだ。

 そう、芳樹はこの寮で瑞穂と出会う前から、とっくに彼女の存在を知っていたのである。


 芳樹は、とんでもない過ちを犯していたのではないか?

 思い返してみると、瑞穂ちゃんの言動や態度が、それを物語っていた。

 やってしまったと言う感情が、芳樹の頭の中を支配する。

 

 水戸瑞穂。芳樹は彼女を、知らぬ間に幻滅させてしまっていたのかもしれない。

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