(3)


 頼まれていた買い物を終えて、荷物をかごに乗せると自転車にまたがった。食料価格の高騰は深刻の度合いを増しており、冬季には局地的な飢饉も起こりうるとの分析がなされている。政府は困窮世帯向けの配給も検討しているとの方針を示しており、市井の一般人も戦争の接近に対する不安を、口を揃えて噂している。


 汐浦中央街の南大通りを疾走する。ビルの列の一つ向こうは河川敷となっており、夏は花火で盛り上がる。

 通りでは今日、開催されるハロウィンフェスティバルの準備に多くの人々が追われており、ひっきりなしに人の群れが行きかっていた。視界に入ってきたのは急ごしらえのステージ、あそこでどこかの学校のクラブが演奏を行うらしい。

 お祭りか……。

 去年、あの四人で日宮祭に行ったのがもうずっと昔に思える。なにもかもが変転した遠い記憶。

 大丈夫だ……。


 なんの動揺もないと自身にいい気かせる。お祭り行事というだけで、綜士が忌避感をもっていないか、みんなが心配してくれているのは察知していた。余計な危惧は抱かせないようにしなければならないと、心持ちを新たにしてペダルを強く踏み込んだ。


 聖霊館に戻り、玄関口に入ると靴箱に見慣れない履物を見つけた。

 客人……いや、確かリサが友達を連れて来るとか言っていたが……。

 ダイニングに向かおうと、廊下に立ったところ。

「え……?」

 背後に人の気配を感じる。微動だにせずこちらを凝視しているのが、服越しからも近くできた。

「リサ?」

 振り返った先にいたのは、

「ふ……⁉」

 一人の女と思しき人間がいた。長い黒髪を前に垂らしており顔は窺い知れない。異様な威圧感にカエルがヘビに睨まれた如く固まってしまった。


「……」

 ゆらりと謎の女性が前に出る。髪の隙間の奥に見えた瞳が鈍い輝きを放った。

「な……」

「あなた……リサの」

「乃々果ー、なにやって……お」

「り、リサ……!」

 階段からリサが降りてくる。


「綜士、お帰りー」

「た、ただいま……ってこの人は……⁉」

「おかえりなさい……」

 どんよりした声が、聞こえた。黒髪の女が姿勢を正して丸い目をこちらに向ける。異様なプレッシャーに口が開けなくなった。


「ああ、こいつは俺のクラスメイトの尾堂おどう乃々果ののか

 どうやら話に聞いていたリサの友人らしい。

「……桜庭、綜士……です」

「はい……。お初お目にかかります、尾堂乃々果……ののたんでも構いません……」

 とてもそんなあだ名がフィットする雰囲気ではない。


「以後、お見知りおきを……」

「は、はい、よろしく……」

 頭を下げると、額からおかしな汗が垂れ落ちて床にはねた。

「あらあら~、ほんとに男の人なのねー」

 さらに誰か降りてくる。

「この娘もオレの同級生」

 リサが肩を綜士の腕に当てた。

「初めまして、セントアンナ中等部三年の御館みたてひびきです。リサさんとは親しくさせていただいております」

 丁寧に頭を下げる少女。こちらはどこかおっとりとした雰囲気で、落ち着いた外観であった。

「桜庭綜士です、リサがお世話になっております」

 慇懃な返答をすると件の彼女に背中を叩かれた。

「今日は、ハロウィンフェスティバルにご同伴させていただき恐縮の限りです」

「いえ、こちらこそ……」

 背後でまじまじとこちらを観察するように見ている乃々果なる少女の視線で、どうにも言葉がまとまらない。


「今、依織さんたちのヘアセットをやらせていただいてますので、また後程……」

「はい」

「オレも行ってくる、乃々果と遊んでてくれ」

「え……?」

 そういうとリサも上がって行ってしまった。この表情の読めない初対面の少女となにをして遊べというのか。


「桜庭さん……」

 おそるおそる低い声の主に振り返る。

「な、なにかな……?」

「女性のことで悩んでいる気……プラーナが出ていますね……」

「はい……?」

「ああ、私占いが趣味なんです、よろしければどうでしょう……?」

「は、ハハ……お願いしようかな」

「ではこちらへ……」

 ぎこちない足取りで、ダイニングへと向かった。

 乃々果がテーブルになにかの用紙を敷いた。五芒星やらよくわからないラテン文字が記されている。

「これを持ってください」

「ええ……」

 なにかの鉱物に付着したガラス細工を手に取った。ダウジング、というやつだろうが一般的なやり方とは違う気がした。

「この紙の上で、持ち上げて……」

 言われた通りに位置を固定する。

「では始めます……」

 乃々果の質問に答えていく。どれも学校の進路調査でやったテストみたいなもので、特に答えに窮することもなかった。


「……はい、ここまでで」

 腕を降ろす。乃々果が用紙を見つめる。

「……」

 すべての神経を集中しているようで、話しかけられる空気ではない。

「……桜庭さん」

「はい」

「やはり女難の気があるようですね」

「え……?」

「それとリンクして……嵐が近づいています、逃れようのないほど巨大な」

「はあ……」

「試練の時になると思いますが、どうか心持ちを強く持ってください。自分は何者であるか、自己同一性の確立を推奨します。さすれば光明は開けるでしょう」

「わかりました……」

 なにを言っているのかよくわからないが、占いなど信じる口でもないので適当に聞き流すことにした。


 外出の準備を終えると、ガレージ前に集合となった。パンフレットに目を通す。屋台にお化け屋敷、演奏会などの他にも、様々な見世物があり、いかにも日本ナイズされた西洋の祭りらしい雑多さである。

 ここにいるみんなは仮装みたいなのはやらないようで、簡単な頭飾りをつけているだけだった。ひとしきり見物を終えたら、柚葉が参加している出店の近くで、簡単な食事にする予定である。


「綜士、これお願いできる?」

 芽衣子が何かがぎっしり詰まったバッグを持ってきた。

「ああ、お菓子?」

「うん、聖霊館からってことで、委員会の方に渡すから」

「わかった、後は……」

「啓吾くんと結奈ちゃんだけだね。もう時期来ると思うけど」

「そうか」

「……大丈夫?」

 芽衣子が不安げな眼差しを向ける。この間の、賢哉との衝突のことをまだ少し気にしているのだろう。


「大丈夫。天都さんはいい人だから、ちゃんと挨拶できる」

「うん……」

「あの本郷ってやつと会ってももうなんともないから」

「わかった」

 本郷賢哉は、啓吾とはずいぶん親しいようなので彼とも顔を合せることになるかもしれない。


「さて……」

 チラリとリサたちの方に目を向ける。

 乃々果が依織と美奈に、なにかの舞を教えていた。瞬がやってくる。

「うー兄ちゃん……」

「どうしたの?」

「俺、あの人なんか苦手だよ……」

 俺もだ、とは思っても口にしなかった。


「綜士兄さん、あの商品券ありがとう」

 伸治はこんな時でも礼を忘れない。山之内からもらった券は、先ほどみんなに配布しておいた。

「うん、って言っても俺ももらっただけなんだけどね」

「へえ、あの日之崎通商って会社のつながりとか?」

「いや、講習で知り合った人からだけど……」

 そういえば……。

 山之内の娘、愛海という少女は瞬たちと同じ学校だった。去年、他界したので美奈と同学年だったはずである。この二人も知っているかもしれない。


「あのさ……」

「なに?」

「……お菓子食べ過ぎちゃだめだよ、薙沢さんのところでご飯食べるまでは」

「そうだね」

「兄ちゃんこそ、甘いもの好きなくせにさ」

 お祭りの日に訊くようなことでもあるまい。自重することにした。


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