(2)



 カーテンを引いて、部屋のベッドにうつ伏せになる、

「なんであんなこと……」

 言ってしまったのだろう。過去を詮索しないこの家の流儀に反してまで。

 綜士をもっと知りたい、家族のこと、昔の友人たちのこと、そして……。


「つきさかうたの……」

 綜士の恋人だったという人の名前、もう綜士のことを覚えていないというが、本当にそうなのだろうか。

「あの人のことじゃないはず……」

 芽衣子が綜士の昔馴染みと密かに連絡を取っているのは知っている。一度、聖霊館にも来たことがあるのを見かけたことがある。髪が短くて、おしとやかさそうな人だった。今でも綜士のことを心配しているんだと思う。でも……正直、やめてほしい。綜士を過去に引き戻そうとするのは。


 横向きになって枕に頬を潰すように押し当てる。

 ああ、私、ホッとしてるんだ。綜士がここに残ってくれて。元柳の綜士の実家に行った日、本当はすごく不安だった。もう彼とは会えなくなるんじゃないかって。

 だからここにいるって言ってくれた時、うれしかった。でもどこかで引け目も感じている。私たちがいるから、本当の家に帰るのをためらっているんじゃないかと思ってしまっている。だから、最近、綜士にどう接したらいいのかわからなくなってきてる。


 私だけじゃない、依織、美奈、瞬、伸治。みんなの中でも綜士の存在は大きくなってしまった。人生なんて出会いと別れが続くだけのものだけど、家族だけはそうじゃない。良くも悪くもいつまでも関係が続いてしまう。

 未熟なんだ……。心の芯がもろいから、親しくなった人との別れを怖がってしまう。

 もうあんな辛い思いは二度としたくない。ママがいなくなった時のような……。




「日程はこの通りだ、なにか質問は?」

 静まり返る嶺公院高校、バスケットボール部の部室、声を発する者はいなかった。

「……ないようです」

 部長の天都啓吾が顧問に振り返った。公式戦の予定がいよいよ組まれたのだ。

「よし、各自体調は整えておくように」

「はい!」

 全員で腹の奥から出した声が空気を震わせる。

「それと……またつまらないトラブルは起こさんようにな」

 沈鬱な心地でうつむく部員たち。隆臣も手を強く握りしめる。九月の、綜士との乱闘騒ぎと門間の凶行でバスケ部は散々に傷ついた。


「先生、門間のやつは……」

 部員の一人が口を開いた。顧問が眉間にしわを寄せる。

「しらんな、ここにいないやつのことなぞ」

 吐き捨てるような声音だった。

「退部にできないんですか?」

 他の部員も疑問を口にする。常識的に考えて、それだけの罪状はあるはずである。

「うちでなんとかしろとのお達しだ……」

 歯ぎしりする顧問。つまるところ学校上役から押しつけられているのだろう。


 またあの男がなにかやらかしたら廃部になるというのがもっぱらの見方で、隆臣もあの悪漢の顔を思い浮かべるだけで、はらわたが煮えくり返ってくる。詩乃たちのハロウィンフェスとバスケ部の公式戦が終わるまでは耐えるしかないのが歯がゆい限りだった。


 着替えを終えると夕日が照り付ける廊下に出た。窓から差し込む金茶色の光に目をくらませながら、外を睨んだ。夕日には嫌な思いでしかない。帰る度にあの頭が割れるような叫喚を聞かされるのが、ひたすら苦痛だった。

 昔のこととはいえ、今もって自分の心の根の奥深くに刺しこまれた幼い日の痛みと悲しみ。この棘は死ぬまで抜けることはないのかもしれない。だが今、隆臣の心を苛んでいるのはそのことだけではない。


 ポケットに入れた手を強く握り、まなじりに力を込めた。

 物思いにふけるたびに、チラつくのはあの男の影、記憶から消そうと思えば思うほどやつの顔は鮮明さの度合いを増していく。


 俺は……間違ってなんかない……。


 頬に手を当てる。あの時、やつからもらった裏拳が存在しないはずの痛みとなって痛覚を刺激する。

「俺は……!」

 わずかに開いた口から洩れたその声が言葉を成すことはなかった。

 前方から誰か歩いてくる。見慣れた顔の女子生徒。


「……」

「おっす」

 なんの真似かとジト目で見てしまった。

「公式戦決まったんだって、あんたも出るの?」

「ああ……瑞樹、お前クラブは……」

 瑞樹は女子ソフトボール部に退部届を出したが、顧問の預かりになっていると聞いている。


「もうやめたって言ったでしょ」

「なんでだ?」

「んー、楽しめなくなったから……かな」

「なんでそうなった……?」

 思い当たる事情など一つしかないのだが、訊かずにいられなくなった。


「聞きたいんだ?」

「……ああ」

「あんたを責めてるわけじゃないよ……。ただ、私はどうしても無理なの。あんな形で綜士と喧嘩別れしたまま自分がここでの学校生活を楽しむなんて。友達……だった人を気にかけて自分の可能性を投げちゃうなんて馬鹿だと思うでしょ? 私もそう思う。でもね、そうせざるを得ないほど私たちの関係は深く交わり過ぎちゃったんだね」

「……」


「私たち変わっちゃったね……」

「瑞樹、俺は……」

「矢本くん!」

 突然の大声が廊下の奥から響いた。泉地喜美子が駆けてくる。

「泉地?」

「喜美子ちゃんどうしたの?」

 血相を変えた喜美子が息を切らしてやって来た。

「大変! 門間のやつが……うちに入部したいとか顧問の藤澤先生に言い出したって!」

「なんだと……⁉」

「それで先生はなんて……?」

「とりあえずハロウィンフェスを見に来てほしいって……」

「馬鹿な!」

 合奏クラブのスケジュールが門間に漏れたということである。顧問のうかつさに歯噛みする。


「なにが狙いなのあいつ……?」

「わからないが、ひょっとしたら……」

 詩乃の住所を知りたがっているのかもしれない。

「先生はやつに名簿とかは見せたのか?」

「それは……ないと思う。まだ入部を認めてない段階だし、部長たちも抗議するって言ってくれてる」

「そうか……」

 詩乃に異常な執心を抱くあの男を、一層警戒しなければならなくなった。


「ハロゥインフェスには俺も行く」

「私も」

 瑞樹と二人で気脈を通じ合わせたのは久々な気がした。

「うん、お願い……。それとこのこと詩乃には……」

「わかってる、あの娘を怖がらせないように注意するから」

 最悪のタイミングで最悪なことをされたことに、憤激が足元から湧き上がってくる。

 ハロウィンフェスティバルでトラブルなど起こされたら、バスケ部の公式戦ばかりか、詩乃たちのクラブまで側杖をくらうかもしれない。

「心配いらない、月坂は俺が守る」

 力を込めてそう述べて見せた。



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