(7)


 ラウンジでビデオゲームに興じる小学生たちを見ながら、ぼんやりと今日のことを考えていた。

 本郷賢哉がリサに振られた、それだけのことだが、どうにも頭にまとわりついてくる。


 もし……。


 リサが、賢哉ならずとも他の男と付き合うようなことになれば、自分はそれをどう思うのだろうか。


 わからない……。だけど……。


 そんな事態を拒絶する意思は自覚している。


 馬鹿だな俺……昨日、リサの男嫌いの過去を知ったばかりだろ、あいつが誰かと付き合うなんてこと……。


 あるわけない、とすれば、リサが自分と……という事態もあるわけないのだ。

「……!」

 立ち上がった。頭を小突く。本格的に思考がおかしくなってきた。

「お兄ちゃんもやろうよー」

 依織が振り向いた。

「ご、ごめん、ちょっと風にあたってくる」

 と述べて、ラウンジを出た。リサはおらず、芽衣子もリサの部屋に行ったきり、戻ってこない。先ほどの件で、リサとなにか話しているのかもしれない。

「ふう……」

 裏戸を開けて、近くの椅子に腰かけた。虫も静かになる季節なのか、無音の裏庭と近くの畑を見渡す。


 なぜ俺は……。


 中学一年のあの時、詩乃を好きになってしまったのだろうか。今を持って、断ち切りがたい想いがなおこの胸に楔のように刺さっており、抜けることはない。


 あの男は……。


 本郷賢哉は、自分の心をリサに見せ、悲恋に沈みながらも、あっさりと身を引いた。それは潔く、堂々とした態度だった。去り際を心得た、男の背中だった。それができない自分は、軟弱で独善的かもしれない。


 見習うべきなのか……。


 詩乃の顔が、ぼやけて見えなくなる日がくるその日まで、自分は悩み苦しみ続けるだろう。

「フ!」

裏戸が開く音を聞いて、慌てて振り返った。そこにいたのは、

「……」

 無表情のリサだった。ゆっくりとこちらに歩いてくる。

「り……」

「今、芽衣子と話したんだけど」

「う、うん」

「依織の誕生日になに贈るか、考えがあるんだって?」

「え……? あ、ああ……!」

 そういえば、一昨日、その話をしたことを失念していた。


「うん、まあちょっとした電子機器をね」

「ふーん、そんじゃ明日、買いに行くか」

「ああ、そうするか」

 黒雲が流れ、月が姿を現す。

「……来月さ」

「うん」

「ハロウィンフェスティバルってのやるんだ、汐浦の中央通りで。聞いたことあるか?」

「ああ、知ってはいるけど、行ったことはないな」

 元柳では、別にハロウィンの催しがあったので、そちらは詳しくはない。


「みんなで、行こうって芽衣子と話してたんだけど」

「いいよ、行こうか」

「後……」

「なに?」

「せ、セントアンナで……」

 なにか言いよどむリサ。

「うん……」

「聖霊祭っていう学園祭をやるから……綜士も来るか?」

「え……? あそこ女子校、だよな……?」

「大丈夫、こっちで招待状用意するから、不審者とは思われないって」

「そりゃどうも」

 リサと芽衣子の学校を見ることができそうだ。


「……お父さんからはなにか連絡来た?」

「今日、手紙が来てた」

 ハッとして振り向く。

「ほんと?」

「うん、まあ、元気でやってるみたい。ちょっと古い日付だけど」

「そうか、よかったな」

 リサに微笑む。家族のことは大事にしてもらいたいと、掛け値なしに思っている。

「返事って出せるのか?」

「うん、届くかわかんないけど、一応近況報告みたいなのは書いてる。次出すのは、これから書くつもり、聖霊館に変なやつがやってきたって」

「お、おい……」

 ニヤリとしたリサの意地悪顔を見れば、こちらも通常モードに戻ってくる。


「さっきのことなんだけど……」

 ドキリとする。

「びっくりした、あんなこと言われたの初めてだった」

「へえ、そうなのか? けっこう……」

 モテそうに見えるけど、と言いかけたが言葉をかみ殺した。小学生のことの男への不信感を考えれば、感情を害するかもしれない。

「本郷さん……本気であんなこといったのかな、オレのことからかってたんじゃないのかって……」

「そんなことはないよ、彼は本気だった」

 さすがにそこは認めてやってほしい。


「そうか……悪いことしたかな」

「い、いやそれは!」

「あん?」

「だから、リサの……リサが自分の気持ちを一番に考えて言ったことなら、それでいいんだよ……」

「……うん、そうだね」

 リサが風にたなびいた髪をそっとかき上げた。


「もしさ……」

「う、うん」

「オレがあの人と付き合う……だっけ、そんなことになったら、どうしてた?」

「どうって……そりゃ……」

 わからない、だが胸に宿っている想いは、そうならなくてよかった、としか形容しようがないものだった。

「……寂しかった、かな。リサが遠くに行っちゃうみたいで」

「ふーん……」

 額に軽く指先をすべらせる。夜の冷気の中だというのに汗が出ていた。


「綜士」

「はい!」

 飛び跳ねるように叫んだ返事に、リサが目を丸くする。

「な、なにかな……?」

「……その、お前も、あんなこと、やったことある……か?」

「……」

 目を固く閉じる。一世一代の勝負に挑んだあの夏祭りの夜、世界のすべてを手に入れた気分にさえなった。

「悪い、やっぱり……」

「あるよ」

 リサの言葉が終わるのを待たずに、はっきりとした声音で答えた。

「ずっとできなくて、苦しんでた。でも、友達……だったやつから言われたんだ。待ってるだけのやつは結局すべて取り逃がすって」

「うん……」

「あの本郷ってやつは、俺が一年近くできなかったことをたった数週間でやったのかもな……」

 軽いと言えば軽い。自意識がはっきりしてると、いえばそうなのだろう。


「悩んだりした?」

「正直、怖かった、断られたなら、死ぬんじゃないかって思ったくらい……」

「……そんなに?」

「ああ……」

 それほどの熱量がなかったのなら、とっくに吹っ切っているはずである。

「ファム・ファタール……」

「え?」

 リサがなにかわからない言葉を発した。

「占いやってる友達から聞いたことある、運命の女性って意味なんだって……」


 運命……。


「その人が、綜士のそれだったのかな……」

「さあ……」

 もしそうなら、まだ彼女との縁はどこかでつながっているのかもしれない。それが良き縁かあるいは……。


 自動車が走り抜けた音で我に返った。

「そ、そろそろ戻るか……」

「ああ」

 なにか気まずい。家族でするような会話ではないだろう。

 冷えた手を揉み合わせながら、裏戸へ戻るリサの背を追って歩く。

「……?」

 リサが立ち止まった。

「……今日は、楽しかった……」

 そういうと再び歩き始めた。ドアを開いて中に入っていく。その後ろ姿を、なにも言えず、見つめるだけとなった。

 心の内海がまた波紋を生じる。自分はどこに向かっているのだろうか。

 一か月前に目覚めてから、ずっと自分を覆っていたなにかの殻にようやくひびが入った気がした。これを破って、外に出る時は近い、そんな予感がする。


 

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