(3)
三人で歩いてきた先に見えるのは、赤茶けた色の巨大な建物、瞬ら、聖霊館の子どもたちが通う汐浦南小学校である。既に午前の種目を開始しているようで、大歓声が通りまで響き渡ってくる。
「あそこか」
「うん、私やリサも南小の卒業生だよ」芽衣子が応える。
「へえ」
リサを見るが、どこかつまらなそうな顔つきだった。
「なんだよ、久しぶりなんだろ?」
「あまり来たいとこじゃね……ないし」
「ふん……?」
あまりいい思い出がないのかもしれない。
受付を済ませて正門をくぐると、呆気にとられた。
保護者達が有名人の出待ちをするマスコミの如く一眼レフカメラを構えて列をなしていた。
「そこまでやるかい……」
ちょうど徒競走が始まったようで、応援の声と実況のスピーカーが耳を襲う。
「ったく、やかましいな」
日よけ帽子をかぶったリサが毒づく。
「あの辺りにしよ」
芽衣子が指さした先の保護者向けのスペースに移動して、シートをリュックから取り出した。
「ふう……」
人心地ついて、腰を下ろした。ぼんやりとトラックを駆けまわる児童の姿に目をやる。
俺も昔はやったか……。
必死になって首位を争う同級生たちの背を追って、置いていかれない程度にしかが
んばらなかった。プロの運動選手になるわけでもないのに、たかが、足の速さなんかで意地になってなんの意味があるのかと冷めた目をしていた。それもどこかで、鈍い自分の言い訳にしていたからだったのかもしれない。本当は、うらやましかった。みんなから期待されて、常に先頭を走り他の追随を許さない。圧倒的な脚力をもっていたあの幼馴染が。
「……」
「お、瞬たちの番みたいだぞ」
リサの声で我に返った。
「私、ちょっと行ってくるね」
芽衣子がカメラを持って立ち上がる。
「俺がやるよ」
「うん、お願い」
カメラを受け取って、トラックの横まで足を運ぶ。生徒たちが走った衝撃で巻き上げられた砂塵で、前方が曇って見えた。
「ここ押すだけでいいの?」
「うん」
六年生の部が開始される。スタートピストルの炸裂音が木霊すると、五人並んだ生徒が、一斉に走りだす。さすがに六年生ともなれば足が速く、結構な迫力だった。
「次、伸治が走るみたい」
「うん」
どこか落ち着かない表情の伸治をカメラに収める。運動はあまり得意じゃないのかもしれない。
昔の俺みたいだな……。
そんな印象を抱いた。伸治は四位だった。続いて瞬は、かなりの差をつけて一位に輝いた。
今度は依織である。スタートと同時に必死に手を振りながら一生懸命走る、コーナーを曲がったところで、
「あ!」
先頭のランナーが転倒、後続組を巻き込んで玉突き事故となり、生徒たちがトラックを転がった。
「あらあら、大丈夫かな」
「う、うん……」
心臓の鼓動がはやまる。かつて、元柳第一中学校にいたころ、同じ経験をした。あの時、自分は初めて彼女に会った。彼女を意識しだした原初の記憶。それを思い出してしまった。
午前の種目をすべて消化したあたりで、一時休憩となった。指定した場所で、待ち合わせとなる。
「リサ、進藤先生と会っていったら?」
芽衣子がリサになにか提案した。
「いいよ別に……」
乗り気でないリサ。シンドウ先生というのは、リサの担任だった人、だろうか。
「もう……。こういうのって怠けてると後から後悔したりするんだからね」
「はいはい」
瞬たちが見えた。手振りでこちらの位置を知らせる。
「こっちこっち」
瞬が勝利の余韻を浮かべた笑顔でやってくる。後ろの依織はクラッシュを引きずっているのかげんなりしてみえた。
「こんにちは、桜庭さん」
「やあ、こんにちは」
以前、河川敷で会った瀧清秀ら蓮華園の子どもたちもいた。彼らとも挨拶を交わしてから、シートに腰を下ろして昼食となった。
「みんな、お疲れー」
芽衣子が音頭を取り、コップに注いだドリンクで乾杯する。
「みんな、がんばったね。すごいよ」
「うん、どうだった姫?」
瞬が、リサに講評を求めた。
「ああ、よかったんじゃない」投げやりなリサ。
「瞬は元気だよな」
伸治がため息をつく。
「依織ちゃん、大丈夫?」
美奈が依織の足を見て訊ねた。
「別になんとも……あ」
「それ……」
綜士も気づいた。わずかながら流血している。転倒の折りに擦りむいたのだろう。
「もう」
依織が手拭いで、拭いた。
「しまったな、バンドエイドかなにか持ってくるんだった」
「すぐ、治るよこんなの」
「ううん、痛めたらよくないよ。午後も組体操があるんだし、保健室に行こ」
芽衣子が依織にそう促すが本人は腰が重いようだ。
「うーん……」
あまり気乗りしない依織。
「俺が連れていくよ、ほら」
「……わかった」
依織の手を引いて、グラウンド脇を歩く。
「保健室は?」
「あっち」
陽ざしが雲に隠れて、わずかに暗くなった。
「すみませーん」
「はーい」
白衣の女性保険医が出てきた。
「この娘が足を擦りむいたみたいで」
「わかりました」
依織が足を見せる。
「うん、大したことないと思いますのでお父さんはそこで待っててください」
「へ?」
「はい?」
間抜けな顔でにらめっこする綜士と保険医、依織が吹き出した。
「……そんな老けて見えます俺?」
「あ、ああ、お兄さんでしたか、アハハ!」
盛大に笑う保険医、それも間違っているのだがもう訂正する気力もなかった。
「やれやれ……」
保健室の前で壁に背を当てて依織を待った。
手持無沙汰で廊下の奥を見渡す。壁には習字やら絵やらが飾ってあり、典型的な小学校の風景だった。
懐かしさに目を細める。学校に行くのは毎日楽しかった。クラスメイトたちとは、つまらないことで張り合っては、些細なことで大笑いした。あの頃のみんなは今頃どうしているのか。少なくとも中学まで一緒だった知り合いたちは、あのテロ事件で、綜士はもう死んだと思われているのかもしれない。
俺にとって……。
本当に気のおけない友人、というのは二人しかいなかったと思う。その二人とは今や決別した。
「ハァ……うん?」
昇降口近くのひな壇前で、大人たちがひと固まりになっており、誰かを待っているように見える。ここの教員たちと思われるがなにか雰囲気が暗い。
なんだろ……?
一人の壮年男性が、来客用の玄関口から入ってきた。丁寧に教職員たちと挨拶を交わす。
その男性の顔を注視してみると、
「……! あの人……」
間違いない。昨日、地域センターで会ったあの山之内典史氏であった。近づいてみる。
「すみません、もうここに来ていい人間ではないのはわかっているのですが……」
「そんなことはありませんよ……!」
一人の職員が切実な声を上げる。
「こちらが今日の運動会のプログラムになりますので……」
別の女性教員がそっとそれを手渡した。
「ああ、ありがとうございます」
「愛海さんのこと改めて……う」
目元をぬぐう女性教師、溢れ落ちた涙が床を叩いた。
「あ……」
声が出てしまった。教員たちが全員こちらを振り向く。
「君は……」
「えっと俺は……」
「桜庭くん……⁉」
「山之内さん、ですよね?」
驚愕した表情でこちらを見る山之内典史。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
背後から依織もやってきた。
依織を先に芽衣子たちのところに返してから、山之内氏と保護者向けのテーブル席についた。
「そうか、それで君はその聖霊館というところに」
「ええ……」
これまでの事情をかいつまんで彼に説明した。
「ずいぶん長いこと意識を失っていたというのでは、色々驚いただろうね」
「ええ、本当に……。浦島太郎の気分でしたよ」
「ご家族の件も……」
「ええ……」
グラウンドを見渡す。子どもたちが、はしゃぎながら駆けまわっていた。
「綜士くん、私があの場に居合わせていたことは話したね?」
山之内のまなじりがなにかを決意したように引き締まった。
「はい」
「私も、なんだ……」
「え?」
「……私もあの事件で家族を失った……」
息を呑む。
「妻と娘を……」
かける言葉が見つからない。冷えた汗が額から垂れてきた。
「本当に一瞬だったよ、私がほんの少し、席を外していた間に爆発が起きて、煙と塵でなにもみえなくなっていた……」
呼吸が乱れる。あの業火の記憶、人の悲鳴、悪夢以上の悪夢。すべてが脳裏によみがえり、体のあちらこちらに圧をかけてくる。
「必死で二人を探したが、どうにもできなかった……」
山之内で腕をまくった。無数の火傷、この人も大切な人を救うためにあの時、必死に格闘したのだろう。
「すまない……。君にとっても辛い話だったな」
「いえ……」
「娘の愛海はここの生徒だったんだ。あの時、四年生でね」
山之内が寂し気な作り笑いを浮かべて、ロケットペンダントを開いた。快活な笑みの少女が写っている。
「いまだに私は、娘の死を受け入れられないでいる。だから、なにかの行事の度に学校にやってきては、プリントやらを受け取って……。そんなことをしたところで娘が帰ってくるわけでもないというのに」
自嘲したような声に身がすくむ。
「……」
「酷なことを訊くようだが、君は家族の死を乗り越えることができたかい?」
「……わかりません。……ただ」
「ふむ?」
息を大きく吸い込んだ。
「俺は、目を覚ました時、一人きりになってましたけど、偶然にも支えてくれる人……と出会うことができまして」
自分でなにを言い出すのかと、思ってしまった。
「そ、その人や、今の聖霊館のみんながいてくれたから、助けられた……と思っています」
そんな考えを持ったのはたった今だった。
「そうか……。それは僥倖だったね」
「はい……」
時計に目をやる。そろそろ、あの男との約束した時間になる。
「すみません、俺はもう」
「ああ、悪いね、色々話を聞いてもらって」
「いえ、娘さんのこと僕からもお悔やみ申し上げます」
「ああ、ありがとう……」
校舎に沿って歩いて、あの本郷賢哉という男と話すために裏門を目指す。その道中で家族のことを思い出していた。
山之内は綜士と同じく、今も、忘れえぬ人を想いながら生きている。この心の靄は死ぬまで晴れないのかもしれない。
複数の親子連れがシートで昼食を楽しんでいる。賑やかな雰囲気から逃れるように影に入った。落とした視線の先には秋の虫の抜け殻が一つ転がっている。
「……ッ!」
胸を押えた。まぶたをきつく閉じる。
父さん、母さん、伊織……!
久しく思い描かないようにしていた三人の顔が頭に駆け巡った。リサには忘れたことなど一日もないと言って見せたが、虚勢でしかなかったのかもしれない。本当は考えないようにしていたのだ。一人生き残ったという罪の意識から目をそむけるために。
俺、どうしたら……。
この哀惜を超えた先にいけるのか。それはまだわからない。
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