(3)

「は?」

 チンピラ三人があっけにとられたような顔になった。

 チラリと腕を取られている少女に目線を移す。恐怖と絶望で涙している様子を見れば、やはり勘違いなどではなかった。この娘はまさに拉致されようとしている。

 トイレから出たところ、おかしな振る舞いをしているこの男たちを見て、とっさにつけてきたのだ。

 ただ顔を覚えられては面倒なことになると思い、以前、モールの福引で手に入れたこのマスクを着用することにした。

「……てめえ舐めてんのか」

 ドスの効いた声を出すチンピラ、以前の自分なら脅えを抱いた相手だったかもしれない。だが今は、なんの恐怖心もないどころか闘志が沸々と煮えたぎってくる。あの地獄から生還した身としては、少女をさらうチンピラなどクズ以下にしか感じられない。


 男が携帯を宙に浮かして受け止めるお手玉のような挙動を繰り返しながら距離を詰めてくる。そこにいる少女のものだろう。

「おい……」

 とチンピラが口にした瞬間に手は伸びた。一瞬で携帯を奪い取り、男が驚愕すると、

「てめえ!」

 殴りかかってきたその手を、

「がああ!」

 つかんで、ねじ上げた。

「お前みたいなゴミがいるから……!」


 欲望を満たすための暴力、他人の人格を無視する外道の輩、正義感の発露などではない。あの炎の記憶が一方的な理不尽に対する怒りと憎しみを燃え上がらせる。

怒気が焼けただれた肌の下にある血を熱くし、腕は鋼鉄の如く強靭さを増す。この一か月のリハビリと軍隊式格闘術の訓練は伊達ではない。的確に相手の腕を曲げて抵抗を完全に制圧しており、その気になればこのまま、この男の腕を折ることだってできる。


「警告は一度だけだ人さらいども、今すぐ消え失せろ」

 男を後ろ手に拘束しながら車に近づく。

「て、てめえ!」

 眼前の別の男二人の挙動に着目する。敵の武装を目で調べた。刃物、凶器の類は持ってはいない。車中にある可能性も排除できないが、少女を離せば逃げられると思っているのかこちらを睨んだままになっている。

さらにすぐ近くで男に手をつかまれたまま地面に片膝を落としている少女を確認する。ケガを負っているようには見えない。

 男を投げ飛ばすように離して、車のナンバーに視線を走らせた。他県のものとわかった。


「よそ者だな、お前ら」

 汐浦の人間なら、簡単に足がつくワゴン車で人さらい、まして女子高生を拉致などしない。

「野郎!」

 自由を取り戻した男が再度殴りかかってきた。地元の人間でないなら後腐れもないだろう。前方から迫る殺気を読み取り、リサとの教練を思い出す。迫る拳の進路を手でそらして、接近してきた顎に手の掌を打ち込んだ。

「ヘヒ!」

 カエルが潰されたような悲鳴を出して男がくず折れる。後方の仲間二人があっけにとられたような顔になり、つかんでいた少女の手が抜け落ちて少女が地面に片手をついて座り込む格好となった。

「君、立てるか!」

 男二人を無視して少女に手を伸ばす、

「あ……」

 少女の手を取ったが、まだ立ち上がれないでいるようだ。とりあえず彼女の携帯電話だけ渡しておく。


 振り返る。たった今、打倒した男は完全にのびている。

 連れのチンピラ二人がこちらをねめつけながら、攻撃姿勢を取るも、顔は明らかに焦燥で歪んでいる。倒した男はリーダー格だったようだ。

 やるならやってやると覚悟を決めているが、無駄に傷でも負って芽衣子たちに心配をかけるのも躊躇われる。

 男たちを見下すように睨むと、マスクを外した。

 青ざめる男二人、薄暗さで綜士の顔の火傷が悪魔のような相貌に変化して見えたのかもしれない。

 その直後、甲高いなにかの音が鳴り響いた。


「あ……」

 いつのまにか携帯を手に持った喜美子がスマートフォンの防犯ブザー機能を作動させた。規則的な電子音がどんどん上がっていく。

 遠巻きにこちらを見る野次馬も増え始めて、チンピラ二人が脱兎のごとく逃げていった。

「行くぞ!」

 ようやく立ち上がった少女の手を取って走り出す。自分たちが逃げる必要などないが、警察が出るような騒動になって聖霊館のみんなに迷惑をかけたくもない。

 小道を抜けて、ひた走り、ひたすらかけた。懐かしい感覚、隆臣、瑞樹といたずらをして逃げたあの日の記憶。

ようやく立ち止まったところで、川のせせらぎを聴覚が捉えた。河川敷まで来てしまったのだと認識した。

「ふう……」

 汗をぬぐって、呼吸が乱れていないことを確かめた。

 手をグーパーさせながら、自分で自分のやったことにおかしな浮遊感を感じていた。


 あんなことができてしまったことに驚く。殴り合いの喧嘩などほとんどやったことはない。だが後悔もしていなければ、緊張も不安もない。心の芯は揺るぎもしていなかった。

 守らないといけないと思ったからだろう。それがなんの縁もない行きずりの少女であっても。どこかで心の奥で、彼女に対してなにもしてやれなかった自分を今でも許せないでいるから、なのかもしれない。


 そんなこと……。


 考えてみたところでどうしようもない。

「え……?」

 誰かが目を丸くしながらこちらを見ている。

 誰だったかと、思いかけたが、たった今綜士はこの少女の手を引いてここまで逃げてきたのである。

「あ……ああ、君、大丈夫かい?」

「……」

 言葉を発しない少女、リスのようなポニーテールでどこかの学校の制服を身につけている。

「あの……」

 再度呼びかけたその時、少女が脱力したように座り込み、自分の体をきつく抱くようにして震えだした。

「あ……きゅ、救急車よぼうか?」

 少女が首を強く横に振る。


 まいったな……。うん……?


 ようやく少女の衣服がなんであるか気づいた。


 この娘……。


 嶺公院高校の生徒だったようだ。

「……」

 邪念を払うように首を振った。彼女がどこの学校の人間か、そんなことは些末なことだろう。ジャケットを脱ぐと、そっと彼女の肩にかけた。

 少女は、我が身を略奪しようとした悪魔の恐怖に今も怯えている。

「もう大丈夫だ……」

 静かにそう口にすると、ガードレールに手を置いて、夜の河を眺望した。


「君、元柳の人だろう」

 背中で少女に語りかける。

「汐浦は今、不逞な連中が徘徊してて、色々と危ないんだ、特に夜は。あまり人目につかない道は避けた方がいい」

 少女が立ち上がる気配を感じ取り、綜士も振り返る。

「……た、助けてく……れて……」

 震えた声を出す嶺公院の女子生徒。彼女とは過去に二度相対している綜士だったが、夜の暗さがそのことを思い出させることはなかった。

「あ……あり……が……」

 涙ぐみながら、体を震わせる。


 一歩踏み出し、彼女の手に、握らない程度に静かに触れた。

「いいよ、そんなことは……」

 夜の風が、河川敷の草葉を揺らして、寂しげな合唱を口ずさんだ。

 無力で無能だった自分が、今 初めて誰かを、守れたのかもしれない。

「怪我はしてない?」

「へい……き……」

 まだ声には震えが読み取れる。犯罪の影に引きずり込まれそうになった経験などなかったのだろう。

「うん、よかった」

 これ以上、不安を抱かせないように微笑みかけた。


「警察には通報しておいた方がいいかな?」

 少女が再び首を左右に揺らした。親に心配をかけたくはないのかもしれない。

「わかった、なにか盗られたりはしてないよね」

「……はい」

「それならもう大丈夫だよ。この暗さだし、顔を覚えられちゃいないだろう。それにあいつら他県から悪さしにきたみたいだからもう君を見つけたりはできないよ」

 少女がうつむいて小さく白い息を吐いた。安堵したのだろう。

「でも、さっきも言ったけど、ここ汐浦は治安が物騒だからね。夜はあまり一人で歩いたりはしないほうがいい」

「はい……」

 沈痛な面持ちで舌をかんだようにみえた。


「さて、ご家族に迎えに来てくれるように頼もうか?」

「あ……わ、私……駅前に、友達を待たせて……いるから」

「そうか、じゃあその人たちに連絡しようか?」

「だ、大丈夫!」

 唐突に大声を発したので、ギョッとした。

「わかった、でも……」


 ここから駅前まで一人で帰らせるのは危険だろう。さっきの連中に遭遇しないとも限らないし、精神が不安定になっているこの娘の足取りではなおさらである。かといって、綜士とてたった今初めて会ったばかりである、と思っているので、送るといっても信用してもらえないかもしれない。少女はさっきからうつむいている。綜士に顔を覚えられたくはないのかもしれない。


「えっと、駅前まで行ければいいかな?」

「……はい」

「……よし」

 道路に横に出て、手を掲げた。タクシーを一台呼び止める。

 タクシーが停車し、窓が開かれた。

「すみません、こちらの……彼女を駅前までお願いします」

「わかりました」

 ドアが開く。

「さあ、乗っちゃって。俺は歩いて帰るから」

「え……?」

「これでお願いします」

 財布から千円札を取り出して、運転手に手渡した。


「さあ」

 少女がおぼつかない足取りで乗車する。車内に入る前に綜士がかけたジャケットをそっと差し出した。

「ありがとう。それじゃ、よろしくお願いします」

 ジャケットを受け取り、運転手に頭を下げて、そのまま去ろうとしたところ、

「待って!」

 少女が大声を出した、振り返る。

「あ……な、名前……」

「え?」

「名前を教えて……!」

「……桜庭、桜庭綜士」

「さくらば……」

「それじゃ……」

 手振りで別れの挨拶、ドアが閉じられて車が発車する。


「……」

 お礼がしたかったのかもしれないが、今日起こったことは、彼女にとって苦い思い出になるだろう。自分はこのまま消えるのがよいに違いない、と思い、足を動かした。

 携帯を見る。

「やば……」

 結構な時間になっており、芽衣子から着信が二件あった。

 すぐに帰ると返信してから帰路についた。

 

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