(3)
泣き疲れた美奈をおんぶして夕暮れの土手道を歩く。
軽い……軽すぎるくらいだ……。
4才だった弟を負ぶったときと重さの感覚がほとんど変わらない。
時折、後ろの様子を窺うが3人ともちゃんとついてきてくれている。無言のまま歩いていたところ、
「あの……」
伸治が切り出した。
「なに?」
「ありがとう、綜士兄さん……」
「なにもしてないよ……」
本音だが、最悪の事態だけは止めることができたのかもしれない。
ただ明日がちょっと不安だな……。
事態が南小学校に露見すれば、面倒なことになる。彼にはもうそれだけの気力も残ってなさそうだが、噂というのはどこからか漏れるものだ。
子どものケンカで済めばいいけど……。
いずれにせよ岡部という少年は再起不能だろう。彼のことはある程度聞いたが、成り上がるにしても方法というものがあったはず。他人を傷つけるようなやり方では、いつか足元をすくわれる。
俺は、ひょっとしたら俺も……。
隆臣や瑞樹と出会えなければ、ああなっていたのかもわからない。子どもの承認欲求というのはどういう形で暴走するのかわからない怖さがある。岡部には、なんのとりえもない人間としてわずかながら共感を覚えないわけでもなかった。
「あ、あの、私からもお礼いわせて……」
依織が服の裾をつかんだ。
「いいんだって……だけど、芽衣子にはみんなで頭下げないとね……」
苦笑して息を漏らした。きっと心配しているし、怒っているかもしれない。
「兄ちゃん、盾になってくれ」と瞬。少しいつもの調子に戻ってきたようだ。
「はいはい」
ようやくみんなで笑うことができた。
聖霊館前の通りまでやってくると遠目にも芽衣子とリサの姿を確認できた。二人とも無言、無表情でこちらを見ている。
怖い……。
正直な感想を胸裏でつぶやく。いたずらをして母親にしかられるときはこんな感じになったことを思い出した。
「美奈ちゃん、着いたよ……」
美奈がもぞもぞと動く。かがんで彼女を降ろした。
「よし……行くぞ」
覚悟を決めて、5人同時に芽衣子とリサの前に立った。
「よう……」めずらしいリサの低音。
「ただいま……」
芽衣子が一歩前に出た、そして、
「お帰りなさい」
笑顔でそう言ってくれた。
「ふっ!」
美奈が芽衣子に飛びつき、抱き止められた。
声を押し殺しながら泣きむせぶ美奈を芽衣子が抱き止めながら、やさしく髪をなでる。
「ハァ……」
綜士も体が弛緩していき、疲労を背中に感じた。視線を感じた方向に目をやると、リサのほころんだ口元が見えた。
ダイニングで一人、ぼんやりとテレビのニュースを見る。今日も、戦争のニュース一色で、ワシントン、ロンドン、パリ、ベルリンとFCU各国の日本大使館が同盟への参加と対EISへの参戦を求めるデモ隊に包囲されていた。
とりあえず瞬と伸治は一旦風呂に入って、身ぎれいにしてから芽衣子が話をきく、ということになった。
現在、奥の談話室で、女子同士の話し合いが行われており、それが終わったら瞬と伸治が芽衣子の前に引きずり出されるという、段取りである。
俺も行かないとな……。
直接関わったわけではないにせよ、仮にも男性年長者として彼らの言い分は聞いておきたい。
ドアが開かれる音を聞いて振り返ると、風呂を終えた瞬と伸治と目が合った。
「えっと……」
「うん……」
判決待ちの囚人の心境の3人、男はいくつになっても母親が怖いのかもしれない。
「……チャンネル変えていい?」
「うん、なに見るの?」
「マシンレックス」
「ああ……」
よく覚えていないがなにかのロボットアニメだった気がした。既に7時過ぎだがまだ夕食は食べていない。もっとも空腹感はまったくない。
ぼんやりテレビを見ていると、またドアがなった。同時にびくりする男三人。リサがやってきた。軽く首を回して全員をみるリサ。処刑人が誰から吊るそうか、吟味しているように感じた。
「瞬と伸治、ラウンジで女王がお待ちだ」
まったく笑えないジョークに背筋が寒くなる。
「お、俺も……!」
綜士が腰を上げるも、
「お前は、オレとディナーの準備だ」
そういうことになったらしい。
「そんじゃあ、死ぬなよー」
冗談に聞こえないリサの激励を受けて二人がダイニングを出ていく。先刻までの獅子の後姿がよれよれの野良猫に見えた。
「さて、作る時間ないからレトルトになるぞ、お湯沸かして米炊いてサラダ並べるだけだ」
「ああ……」
リサが戸棚からレトルトカレーのパックを取り出した。
水を入れた鍋を置いてからコンロに火をかけた。
「辛さどうする?」
「中辛で……」
「ほいさ」
差しさわりない会話が返って緊張を高める。今日のことは、もうリサも知っているだろう。
「あ、あのさ……」
「んー?」
横でサラダの作成にかかっているリサに恐る恐る話しかけた。
「芽衣子……なにか言ってた……?」
「ああ、綜士ってほんと役立たずの無能よねーって」
「嘘でしょ⁉」
「嘘だけど」
「つ……!」
持っていた皿を落としそうになった。
「そりゃ俺は役立たずだよ……」
もっと早い段階で止められなかったか、忸怩たるものは感じていた。
「美奈も依織も、お前がすごくがんばってくれたって言ってたよ」
リサがサラダにミニトマトを添えていく。
「いや、なにもできなかったよ……。それに俺だってわからなかった。なにが正しかったのか……。ただ、あの岡部って子がぼろぼろになってるのを見て、こんなやり方じゃ、本当の意味での解決にはならないと思ったんだ。それでみんなに、大勢でこんなことするのはよくないみたいなこと言ったけど……」
思い出すも、凄惨な光景に思えた。
「うん卑怯だよ、そんなのは……そこは瞬たちも反省しないと」
なにかを追憶するようなリサの切ない表情。
「あの子は……これからどうなるんだろう……」
「明日、向こうの親御さんに芽衣子が会いに行くってさ」
「そうか、俺も行ったほうがいいかな?」
スプーンを一つずつテーブルにセットしていく。
「ダーメ、講和の場に若い男連れてくなんて、それに……」
「あ、ああ……この顔じゃあね……」
威嚇しにいくようなものだろう。
「でもまあ、そんな大したことにはならないと思うよ。さっき電話したけど、大したケガじゃないって言ってたし、その子の父親も子どものケンカだって笑ってたし」
ちょっとその次元は超えている気がするが、大ごとにはならなそうで安心した。
「まあ、綜士にも、その……」
「はい?」
リサがサラダボウルをテーブルに置いて横目でこちらを見る。
「礼……言っとく……。瞬たちのこと、ありがとう……」
「い、いや……」
変な空気になった。
「気にすんなよ、前に言ってたろ。あ、ある……あるく、なんだっけ……」
「アルクィンは家族を見捨てない」
「あ、ああ、そうそう、それそれ」
誤魔化すように、コンロのところに戻り、火を止めた。
しばらくすると、依織と美奈がやってきた。風呂に入ったばかりのようで、体を火照らせている。
「やあ……」
なるべく自然な表情で微笑みかけた。
「変なかおー」
ケラケラ笑いながらの依織の容赦ない返答、美奈も口元を軽く押えた。リサも綜士の不器用さに笑いをこらえている。
「ありがとう……」
気負い過ぎた自分が馬鹿だったようでふてくされるように、顔をそらした。
「もう夕食にするか? 遅くなるようなら先に食べてろって芽衣子言ってたけど」
リサが時計を確認する。そろそろ7時半。
「ううん、みんなを待とう」依織が席に着いた。
「リサちゃんたちもお風呂入って来なよ」
言われて気づいた。かなりのスプリントをしたせいで、シャツの下は汗に汚れており、髪もべたついている。食事前に身を清めたほうがいいだろう。
「うん、そうするかな」
「そうだな」
テーブルを立つ二人、部屋を出ようとした刹那、
「一緒に入るの?」
依織がにんまりしながらなにか言ってきた。美奈がテーブルに顔を突っ伏して震える。ここまで笑ったのを見たのはここにきて初めてだった。
「依織ぃ、後でかわいがってやるからな……」
「キャー」
般若顔になったリサを見て嬌声を上げる依織。付き合いきれず、二階のシャワールームに向かった。
シャワーを終えて、ダイニングに戻ると伸治が一足先に仮釈放となっていた。
「瞬は?」
「まだ、芽衣子姉さんと話してる」
伸治が控えめに応える。瞬は今回の乱の当事者として、お説教も長引いているのかもしれない。
「あと、今週みんなでちょっと自然公園を散歩しないかって」
「うん、それもいいかもね」
依織と美奈もうなずいた。
数人の足音が近づいてくる。ようやく全員そろいそうだ。
「お待たせー、さあ、遅くなっちゃったけど夕飯にしましょ」
芽衣子が明るく呼びかけた。隣の瞬に目をやる。特におかしな点はないが、少し紅潮しているように見えた。
いつもの調子でつつがなく夕食を終えると、既に9時を回っていた。今日は、もう休もうということで、各自部屋に戻ることとなった。
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