(4)

「ふぅ……」

 自室の椅子に腰かけて、腰かけて今日起こったことを回顧した。学校という閉鎖社会は、社会の法理の光が差し込みにくい。誰かが犯罪の犠牲になっても、トラブルの顕在化を恐れて保身のために隠蔽する教員、自分を守れるのは自分たちの力だけと信じて自助と防衛策を講じる生徒、誰もが自分の立場を守るために、規範を無視して守りに入る修羅の巷。といっては言い過ぎかもしれないが、それでも学校は一つの独立した小世界そのものなのだろう。


 机に頬をつけながら、昔のある出来事を思い出した。地域公園のグランドでクラスのみんなで遊んでいた時、柄の悪い中学生数人が因縁をつけてきて、綜士たちを小突きまわし、嘲りながら脅したことがあった。やりかえしたかったが、小学生というのは中学生がひどく怖く見えるもので相手との体格差もあり、抵抗できなかった。


 その時、クラスの一人の男子が不良グループの一人の前に立ち、敵の頬に鉄拳を見舞った。まさか小学生のガキが武力で反撃してくるなど思いもよらなかったのか、中学生たちは大いに動揺し、赫怒したが相手の圧倒劇な眼力と小柄ながら鍛えられた身体に、おそれをなし、悪態をつきながら去って行った。その敗残の姿を身じろぎもせず得意にもならず敢然とにらむ一人のクラスメイトの男子生徒を憧憬の眼差しで見つめたあの日の出来事。あの時の隆臣は、とてもかっこよく見えた。

「……」


 ドアがノックされた音を耳が拾った。「はい」体を起こして、ドアを開くと、

「綜士、ちょっといいかな?」

 芽衣子だった。

「うん、どうぞ……」

 風呂上がりのようで、芽衣子の女性の香りにわずかにたじろいだ。

「ここでいいかな?」

「ど、どうぞどうぞ」

 ベッドに腰かける二人、芽衣子が首をこちらにむけた。

「綜士、今日はありがとう」

「さっきリサにも同じこと言われたけど、なんもしてないって」

 と言いつつも頬をかく。


「みんな、綜士が助けてくれたって言ってる」

「そう……」

「綜士、瞬はね、これまでとてもつらい思いをしてここにやってきたの」

「うん……」

 わずかに動悸がした。境遇は綜士と類似しているのかもしれない、

「だから、ここのみんなのことをすごく大切に思ってくれてて。でもそのことが原因で暴走することがないか心配だったの」

 良くも悪くも古いガキ大将気質なのだろう。


「同盟、だっけ……その子どもたちの自警団みたいなの」

「うん、私が南小にいた頃からそういうのがあるって聞いたことはある。今でも残ってたなんてしらなかったけど」

 男子のみ、小学生は小学生の、中学生は中学生の、となっている主に施設の子どもたちの自衛団体と聞いている。

「なんだかすごいな……。元柳じゃ聞いたこともなかった」

「この辺りはそうなの、自分の身は自分守るのが当たり前みたいなところがあって。だから子どもたちのそういうグループっていい部分もあるんだと思うけど……」

 今回の件は苛烈に過ぎると芽衣子も思っているのだろう。


「明日、ちょっとその子とご両親と話してくるから」

「やっぱり、俺も行こうか?」

「大丈夫、それと勉強の方困ってない?」

「あ、ああ……正直ちょっと困ってる、そのカリキュラムの作り方とか……」

 独学で十分とたかをくくっていたが、甘かった。

「フフ、わかった、一緒に考えていこう」

「すんません……」

「それと、ちょっと頼まれていいかな?」

「はい?」




 背中に重さを感じる。目が徐々に開いていき、視界が開けたが辺りはまだ闇夜、深夜になったばかりだろうか。背後の重石がわずかに動いた。

「もう……」

 依織が横になっている私の背にがっちり組み付いている。私の方から、スキンシップをはかると露骨に嫌がるくせに、この子の方からはタコが吸着するように抱き着いてくるのだから勝手なものだと思う。抱き癖というやつだろう。昔は私ももよくこうしてママに……。


 額にかかった前髪を払うと、見えてきた。

 美奈が、芽衣子のはだけた胸元に顔を当てて、静かに寝息をたてていた。

 聖霊館女子の伝統、悲しいことやつらいことが起きたら、女子棟奥の大部屋に集まり全員で寝る、というのを久々にやった。

 空調の生暖かい温風が髪を浮かせる。ママがきれいと言ってくれたブロンド、周りから浮くから、ほんとは好きじゃなかった。性質の悪い男子にからかわれたこともある。でも黒く染めるのも自分を否定する気がしてできなかった。自分の男嫌いはあの頃から始まっていたんだと思う。

 ぼんやり目を閉じている芽衣子を見る。母が子に授乳する姿に見えなくもない。


「芽衣子……」

「なに……」

 ビクッとする。起きているとは思わなかった。

「……さっきは瞬と抱き合ってたんだろ」

「言い方。ちょっと抱っこしてあげてただけだよ」

「オレ、時々、芽衣子が心配になるよ。みんなのために無理し過ぎてないか……」

「私は、自分がしてもらえてうれしかったことをこの子たちにしてあげてるだけ……」

 芽衣子が美奈の頭を包むように抱く。

 自分の胸元にチラッと視線を送る。私の二つのそれはもう芽衣子と同じくらいの大きさになったけど、芽衣子と私とじゃ大人と子供の差がある気がした。


「今更だけど……綜士、ここに連れてきてよかった?」

「なんでそんなこと聞くの?」

「いや、私……オレが勝手にやったことだったから……」

 一瞬、地が出てしまった。

「すごくいい子だよ。とても助かってる。みんなももうすっかり綜士のことを気にいってるよ」

「そう……よかった」


「リサ……一昨日のこと気になってるんでしょ」

 あっさり看破された。芽衣子はするどい。

「うん……あの女の人って……」

 ひょっとしたら、会いたかった人間はあの人だったのだろうか。

「綜士の中学生の頃のお友達だって」

 恋人だった、とかではないと思う。

 あの綜士があんなに怒った理由が気になる。それもあんな上品そうな人に向かって。窓から見ただけだが、とてもおしとやかそうできれいな人だった。


「あの人、嶺公院か……?」

 以前のあの高校前での騒ぎからそう当て推量した。

「綜士はそう言ってたね。彼もあそこに合格してたみたいで……」

「え……?」

「……もうやめよ」

「うん……」

 私は、彼が話してくれるまで待つと言ったんだから、こそこそ詮索したりはしない。

 嶺公院高校、よくは知らないけどすごく難しい高校で偏差値的も日之崎で最難関クラス。生徒の啓吾兄は、校則が厳しいと言っていた。

 綜士があの事件に巻き込まれたのが、ちょうど去年の3月、バラバラだったピースが一つの考察図を積み上げていく。


 悔しかっただろうな……。

 たくさん勉強したんだろう。それなのになにもできないまま、あんなひどいケガを負わされて、一年半も眠っていた。目覚めた時には家族は亡くなっていて、家も盗まれた。悪夢そのもの……。

 それでも今、彼は聖霊館のためにがんばってくれている。瞬を自分の家族とも言ってくれた。芯の部分ではとても強い人なんだと思う。そんな綜士のために、私もなにかしてあげられるだろうか……。

 

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