(5)
結局、リサに従い今日のところは病院に引き上げることにした。まだ調べたいことは山ほどあるが、この体力ではこれ以上の調査は命にかかわりかねない。来た時と同じようにタクシーをリサが拾った。
どうして家が……。
両親があの事件で死んだなら、別の人間がやったということである。思い当たるような親戚はいない。
詩乃は……大丈夫、と聞いたが……。
彼女の家にも行くつもりだったが、心中に吹きすさぶ混乱の嵐でそれもできなくなった。
「おい、しっかりしろよ……」
隣に座っている、リサが茫然自失の綜士の膝を軽く小突いた。
「……」
無言で財布を取りだす。お祭りで遊ぶつもりだったのでそれなりに現金は入れてある。二千円だけ取り出してリサに向けた。
「別にいいんだぞ」
「……受け取ってくれ」
自分の都合に付きあわせてしまったのである。これくらい当然と思ってタクシー代に使ってほしいとの意思を込めた。リサも観念したように、端がすすけた千円札を二枚受け取った。
暮れなずみの橙色の陽光が社内に差し込む。大型のトレーラーが列をなして反対車線を走行していた。基地に向かうであろう自衛隊の走行車両、日本も有事に備えているのかピリピリした空気がここまで伝わってくるようだった。
病院手前まで来たところで、本館エントランス前の歩道で誰かが立っていた。
「うげ……」
リサがげんなりする。衣笠七瀬のつり上がった眉毛を見ればそうもなるだろう。
支払いを終えて車内を出たところで叱られる子供の心境で、彼女の前まで赴いた。
「桜庭さん……!」
「……すみません」
ここは言い訳無用だろう。
「あなたはまだ、全快というにはほど遠いんですよ」
「わかってます……」
リサが口笛を吹いて空々しく顔をそらす。一瞬、七瀬の怒りの視線がそちらを捉えたがすぐに綜士に戻した。
「調べたいこと、知りたいことがあるのはわかりますが、我々に話もなく外出は避けてください。絶対ですよ」
「……善処します」
わかりました、とは言い難かった。
「ハァ……ともかく、中へ、紹介したい人がいます」
「え……」
つい先ほどリサもそんなことを言っていた。このタイミングで自分に会いたい人とは誰だろう。
衣笠についてロビーに入る。病室に入りきらない負傷者たちが緊急に取り寄せただろう、折り畳みベッドに横たえられていた。
「事情聞きましたけど……戦争ですって……?」
「ええ……、今は南の海域がひどいありさまで、兵士たちの本国に搬送しようにも、赤十字の飛行機や艦船すら、攻撃されることもあるので近場で医療が整っている日本に送られるケースが多くて……」
激戦、という状況なのだろう。
「それは……」
大変ですね、と言いかけて口をつぐむ。綜士とて今はこの病院にとってコストになっているのだ。
うん……?
隣を歩いていたリサの顔が、妙にこわばっていた。
「こちらです」
二階の事務室と思しき部屋まで案内された。
「えっと……」
誰なんです、と聞きかけたところでリサがドアを開いた。
「こんちゃーっす」
「やあ、リサちゃん」
若い男の声がした。リサとは顔見知りのようだ。
「こんばんは、手塚さん」
「はい、こんばんは。すみませんお忙しい所……」
七瀬に続いて入室した。男と目が合う。スポーツ刈りの頭にスーツ姿でさわやかな風貌の男性がそこにいた。
「あ、あの……」
「やあ、こんばんは、桜庭綜士くん……でいいのかな?」
「は、はい、こんばんは……」
「初めまして桜庭くん、僕は海望商事の手塚郁都、と申します」
手塚という男が名刺を差し出した。ぼんやりそれを手に取り、見てみた。
海望商事、聞いたことがある。海運から始まり、食品、金融、貿易と幅広い分野で企業集団を形成している中規模のコングロマリット、海望グループの中核企業である。
「初め……まして……」
また声を出すのが力を要するようになってきた。病院に戻って張り詰めていた気が散逸していく。
「あの、綜士くんはまだ目を覚ましたばかりで、体調が……」
七瀬がフォローする。
「ええ、そうでしたね。ゆっくり話そう」
相対する形でテーブルについた。
「あんちゃん、こいつになんか用なの?」
「うん、えっと桜庭くん。僕は上司に頼まれて、君の手助けをするために来たんだけど……」
「へ……?」
「君は面識がないと思うが、君のお父さん、日之崎通商の桜庭綜一郎さんとビジネスで付き合いのあった人でね。その去年の事件で……」
男が言いよどんだ。
「ええ……」
「それで綜一郎さんのご子息が入院していると知って、ずっと彼は君のことを気にかけていたんだ」
「へえ、とっつぁんがこいつの父親と?」
リサが口を挟んだ。件の人物を知っているらしい。
「そうですか……」
だからなんだ、としか言いようがない。父の仕事上の人間関係はよく知らないが、そういう人もいた、というだけの話だろう。
「でもリサちゃんと知り合いとは思わなかったよ。彼女は」
「昨日会ったばっかです」
手塚が言い終わるのも待たずに声を挟んだ。手塚の顔がリサに向く。リサも、そうだと頷いた。
「あ、ああ、そうなんだ……。ところで……」
「はい……?」
疲労感が高まってきた。やはり無理が祟ったのだろう。
「なにかしてもらいたいことはあるかな? 我々でできることなら協力するが」
「……特には」
七瀬が不安げな表情で綜士を注意深く見ていた。
「おい、あの件……頼んどいたほうがいいんじゃないのか?」
とリサ。自宅が売られていることにほからない。
「……」
「なにかな?」
果たして、この男にこんな個人の問題を相談していいものか。
「大丈夫、秘密は守るし、その……私たちの組織はおかしなところじゃない。君を利用したり不正に情報を得たりする気はまったく……」
世に知れた海望商事の社員がそんなことをするわけがないのはわかるが、それなら信用できるという話でもない。
「私は出ていようか?」
七瀬が横合いから気遣うように述べた。その必要はないと手振りで伝えると、深呼吸してから声を出した。
「……自宅が勝手に売りに出されてました。知らない不動産会社に……」
七瀬が驚嘆したように目を丸くした。手塚、という男も表情に真剣味が灯った
「こんなこと一切聞かされてません。誰かがいつのまにか……」
「わかった、調査してみよう」
手塚がメモ帳を取り出して筆記した。
「あと……外出用の服とシューズをお願いできますか、これじゃちょっと目立つので……あ、お金はありますので」
「任せてくれ」
まぶたが一気に重くなってきた。
「ねえ、こいつ聖霊館に連れてくの?」
リサがなにか言い出したが、意識が薄らいできてよく聞き取れない。
「状況次第ではそうしたほうがいいかもしれない。桜庭くん……?」
七瀬が綜士の額に手を当てた。
「桜庭さん、今日はもう休みましょう」
こくりと、頷く。もう眠気に抗うだけの体力も気力も残っていない空っぽ常態である。七瀬が男性看護師に頼んで車いすを用意させた。
「さあ、部屋まで行きますので」
おぼつかない足取りで車いすに腰を落とす。
「う……ん……」
リサが近づく。そして、顔の左、焼けただれた跡にそっと手を当てた。
「……?」
冷ややかで、やさし気な感触、
「明日、また来てやるよ。お前もうちの一員になるならもう他人じゃない……」
最後まで聞き取れないまま、意識は闇へと沈んでいった。
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