(3)

「……」

 言葉を発せないまま見つめ合う。

 誰? と口に出そうと思ったその矢先、

「おい」

 少女が口を開いた。

「え?」

「なにやってんだ、あんた?」

 一瞬、男だったと思いかけたが、そんなはずもない。言葉遣いがそれっぽいだけだろう。

 なにと問われても返答に窮する。自分は目覚めたばかりで事情もわからないまま、この一年半さきの未来に放り出されたのだから。

「日干しになりたいのか? それとも虫でも食ってるのか?」

 知りもしない相手になんてこというのだろうか。


 なんだ……こいつ……。


 草をつかんで体を起こした。少女は相変わらず立ったまま綜士を見下ろしている。ちらりと眼前の相手の姿を再確認した。どこかで見たことのある学校の制服を身に着けていた。亜麻色に見えた髪は程ほどに濃いブロンドヘアー、外国人観光客かなにかかと思ったが、それならこんな格好をしているはずはない。

 改めて少女と視線を合わせた。

「……」

 今の綜士は、凄惨極まる火焔の残影が顔に刻まれているが、微塵も驚いている気配がない。慣れている印象を受けた。

「なにか用……」

 この場を去る様子がないので、失せろと言ったトーンになった。

「うーん、別にお宅に用なんてないけど、オレ、一応ここでボランティアみたいなことしてんだよね」

 気だるそうに頭をかきながら、少女が話す。

「人に迷惑かけない程度の奇行ならほっとくけどさ、そちらさんちょっと度を越して異常に見えるんだけど、大丈夫なわけ?」


 無遠慮な物言いに、イラっときた。

「余計な……ことだ……」

「ふーん、でも見たところ、久々に娑婆に出て日光浴びたんだろ。その拍子でラリっちまったとかだったらまずいよな」

 こんな乱暴な言葉遣いをする少女は初めてだった。公立の日之崎第一中学の一部の男気質な女子生徒ですらもう少しつつましさがあったほどである。

「ほら、あれあんたのリムジンだろ? 戻ったほうがいいんじゃないのか」

 綜士が座っていた車いすをさしてそう言っているのだろう。

「……るさい」

「立てねえのか? 持ってきてやろうか」

「っ!」

 足で地面を蹴るように勢いよく立ち上がった。少女がわずかに驚いて後方に退いた。


 なんだってこんなガキに!


 舐められたような物言いをされなければならないのか。

「う……」

 立ちくらみで、足元がふらついた。まぶたが落ちてきて、意識まで怪しくなる。まだ血の巡りが完全には程遠いのだろう。

「……無理すんなよ」

 金髪の少女が語りかけてきた。呼吸を落ち着かせて、顔を正面に見据える。

「く……」

 青さを帯びた瞳が二つ向けられていた。日本人らしからぬ外観、親が外国籍か帰化でもしたのか、一瞬、そんな考えが脳裏をかすめたが、今はそんなことはどうでもいい。


「桜庭さん!」

 突然の金切り声が聴覚を刺激した。

「なんてことを⁉」

 恐慌をきたしたような顔の衣笠が駆け寄ってきた。腕を取られて、ふらついた体を支えられる。

「っと、こいつ七瀬さんの担当?」

 金髪の少女が尋ねる。

「ええ……! リサちゃん、ちょっとごめん、あの車いす持ってきて」


 リサ……?


 この少女の名前だろう。

「へーい」

 軽くスキップを踏むように少女が駆けて行った。

「あなたはまだ安静にしないと……! ああ……! やはりもっと時間を置くべきだったわ」

「……すみません」

 無力感に打ちのめされながらも、すべきこと、しなければならないことを胸裏で整理する。


 そうだ……。


 家族のことを嘆き悲しむより前にしなければならないこと。なによりも、気になるのは詩乃である。自分が目覚めたことを知らせなければならない。

「あの、き……」

「衣笠です」

「あ……はい、衣笠さん」

 支えられながら、ゆったりと歩きながら話すことにした。

「外に……連絡を取りたい、人達がいるんですが……」

「……どなたでしょう?」

 声が、硬度を帯びる。この状態の綜士に余計な刺激を与えたくない意図と、安心させたい意向との間で葛藤しているように感じた。

「あの、その……大事な人……で、友人たちにも……」

「わかりました、あなたの持ち物は我々の方で保管していますので、確か携帯電話もありましたので明日、お渡しします」

「ありがとうございます……」

「ともかく今日はもう休んでください」

「はい……」

 今日はもうそうするほかないだろう。心身ともに、あまりにも消耗し過ぎた。心持ちに整理をつけるにはまだ当分時間がかかる。


 ゴロゴロという音を聞くと、リサ、という少女が車いすを押してやってきた。

「さあ……」

 衣笠が座るように促す。倒れ込むように腰を落とすと、少女が遠慮なしに覗き込んできた。

「七瀬さん、ひょっとしてこいつ去年のお祭りで……」

「あなたはいいの」

 衣笠が少女に口を閉じるように、眼で威圧した。興味本位で首を突っ込むな、ということだろう。


 これから……どうしたら……。


 両腕を力なく、ぶら下げてうなだれた。



「こちらになります」

 男性看護師が真空パックのような透明な袋をベッドサイドテーブルにそっと置くと、それを見て絶句する。ぼろぼろになって色素がはぎ取られたような財布、焦げ付いたスマートフォン、ハンカチは原型をとどめていない程焼け破れでぼろ布と化していた。どれもあの惨劇の爪痕に相違ないだろう。やはりあの悪夢は悪夢ではなかったのだ。

「消毒済みですので……」

 手にとっても大丈夫、のようだ。震える指で、開封してスマートフォンを取り出した。起動を試みるも、


 やはり……。


 液晶は輝かない。


 壊れてるのか、それとも……。


 看護士に顔を向けた。

「あの、これ充電……できませんか?」

 病院は当然、電源を切るところだろうが聞いてみることにした。

「ええ、大丈夫ですよ、この型ならここの備品でできますし。ただ通話の方は……」

「外でやりますので」

「はい、それか屋上で」


 持ってきてくれた充電器に接続すると、

「あ!」

 充電中のランプが灯ったのを確かめた。壊れてはいなかったようだ。一年半も放置されても動いたことに驚くも、すぐに通話可能、というわけにはいかないようである。はやる気持ちで、充電を待つことにした。部屋を見渡す、ここには自分しかいない。


 個室か……。そりゃ昏睡してるやつを他の患者と同室にするわけにはいかないよな。


 窓には格子がついておりかなり厳重に隔離されていたようだ。


 そろそろいけるか。


 充電器から携帯を外すと、ベッドから腰を下ろして、スリッパをはいた。病院からの要請で携帯会社は使用停止にしていたが、今朝からまた使えるようにしてもらったと聞いている。

「う……」

 昨日と変わらず、鉛でも体に入っているような重さを感じる。


 外に……。


 壁をはいずるように歩く。看護師の同伴なしにここから出ないように、衣笠から言われていたが、待ってなどいられない。医療用杖を一つ拝借すると、支えにしながら部屋を出た。

 病院内を目立たないように、出口に向かう。一階ホールに出ると昨日と同じく、患者、というより負傷者たちがあちらこちらに横たわっていた。


 なんなんだこれ……。


 状況が呑み込めない。事故から、一年半経過しているのにこの混乱はなんであるのか理解できないでいると、

「ここは市民病院だろ! なんで住民よりも軍を優先するんだ⁉」

 怒号が耳を横切った。


 なんだ……?


 顔を向けると、十人ほどの人間が受け付けの事務員に詰め寄っている。

「決して、そういうわけではありません。ただ、当院としましては、治療を必要とする方は分別なく受け入れなくてはならない決まりでして、特に緊急に治療を要する方は……」

「それをなんでここでやるんだ⁉ 軍には軍病院があるんだろう!」


 軍……?


 妙な言葉を聞いた。この大量の負傷者は軍人、自衛隊員なのだろうか。

「すみません、そこの方もかなり逼迫していまして、外の病院に回さざるを得ない状況で……」

「じゃあ、私たちはどうすればいいの⁉」

 ヒステリックな中年女性の声を背にしながら、ホールを抜けて外の敷地に出た。


 なんなんだ……?


 わけがわからない。ここ最近でなにか大きな事故でもあったのだろうか。

 多少気になったが今はすることがある。電源ボタンを押すと、

「あ……」

 スマートフォンが起動する。指先に汗が垂れてくるも、早く連絡を取りたい、もちろん相手は、

「詩乃……!」

 彼女の携帯に向けて発信した。鼓動が早まり、体も震えてくる。

 だが、

『この番号は、現在使用されておりません』

「え?」

 口に出てしまった。あっさり、通話が途切れる。どうやら彼女は、携帯を変えたようだ。

「……」

 一年半も経過していれば、そうなっていてもおかしくはないと思えど、どこか寂しくも感じる。


 仕方ない……。


 今度は瑞樹にかけることにした。


 瑞樹……大丈夫なのか? 隆臣も……。


 あの二人は、爆心地から離れた場所にいたはずである。助かっていると思いたいが、まだ無事を確認してない。さっそく発信したが、

「あれ?」

 こちらも通じなくなっている。彼女も番号を変えたのだろうか。それともあるいは……。

「……」

 焦燥に汗ばむ。次は隆臣である。しかし、

「あ……」

 彼の番号も同じくその役割を停止していた。

 どうなってるんだ……?

 三人そろって連絡がつかないのは想定していなかった。


 ……直接行くしかないか。まずは家に……。


 と思案していたその時。

「よう」

 誰かの呼び声が背中で受け止めた。とっさに身を翻して声の主を見た。そこには、

「昨日のやつだろ」

 昨日会った、あの金髪の少女がそこにいた。


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