税込180円

口一 二三四

税込180円

 懐かしい匂いがして立ち止まる。

 出所を探して右に左に視線を動かすも見つからず、鼻をひくつかせてようやく後ろからだと気がついた。

 店内の一番奥。

 多彩なラベルが陳列棚に並ぶ飲料コーナーでジャスミン茶を手にした私は「フライドチキン揚げ立てでーすっ!」と呼びかける誰かの声に振り返る。

 手にするペットボトルをカゴに入れると既に入っていたサラダの容器とぶつかり微かな音を立てた。

 定時を過ぎても働きいつもより遅くなった夜。

 会社を出てすぐのコンビニは私のように仕事をしていたであろう人達で混雑していた。

 自分より若い女性もいれば、初老の男性もいる。恰好はまばらで統一しているわけではないけれど、みんながみんな。

 店員の男性が口にしたフライドチキンの言葉に僅かでも反応したのはなんとなくわかった。

 必要な物を一通りカゴに入れて会計へ向かう。

 床に貼ってある『ここにお並び下さい』に従い列を作る一人へ加わり、レジの横に備え付けられた揚げ物や焼き鳥を保温するケースをぼんやり眺める。

 アレは確か……なんだったっけ?


 ――あぁ、それ『ホットスナック』って言うんだよ


 フライドチキンの匂いで思い出が呼び起こされる。

 私にアレの名称を教えてくれた人の顔を思い返す。



 今からもう何年も前。

 とりあえずで勉強に励んでいた学生時代。

 塾を終えるといつも立ち寄るコンビニがあった。

 親が迎えに来てくれている子を横目に徒歩で帰る私は、近いと言っても薄暗い夜道の心細さを人工的な明かりでまぎらわすのが日課になっていた。


「……いらっしゃい」


 午後十時を過ぎると訪れる私に対して、彼女はいつも覇気の無い声で挨拶をしていた。

 最初の頃は無愛想だななんて思っていたけど、しばらく通ううちにレジに立っていても品出しをしていても必ず挨拶だけはしてくれることに気がついて。

 なんだかそれが、一人夜道を帰ろうとする私の背中を小さく押してくれているみたいで心強く思えるようになっていた。


「……あぁ、それ『ホットスナック』って言うんだよ」


 挨拶以外で彼女に声をかけられたのは多分、それが初めてだったと思う。

 成績が伸び悩み志望校を狙えるのかどうかとあれこれ不安になっていた時期。

 商品をレジカウンターに置きぼんやりと保温ケースを眺めていた私に彼女は手を止めることなく教えてくれた。


「なんの変哲も無い揚げ物なんだけどさ、こうして店先に置いとくだけで美味しそうに見えるんだから不思議だよね」


 まるで前から世間話をしていたかのような口調で喋りながら商品を袋に入れ。


「アタシの奢り。今日寒いから、カイロ代わりに持っていきなよ」


 なぜだか彼女は保温ケースに入っていたフライドチキンを私に買ってくれた。

 揚げ物をカイロにってどういうことなんだと思ったけど、その突拍子の無さと優しさが面白くて思わず笑みがこぼれた。

 コンビニを出る間際、「頑張りなよ」といつもとは違う暖かみある声に、なんだか。

 元気づけられている気がして胸がいっぱいになった。



 街灯が並ぶ道を歩きながら、行儀が悪いと思いつつ購入したフライドチキンにかぶりつく。

 結局彼女が優しかったのはそれ一度だけで、以降はいつも通り無愛想のまま。

 高校を卒業し大学へ行って社会人となった私はそれっきりあのコンビニに立ち寄らなくなり、彼女との不思議な関係もそれでおしまいとなった。

 出会いらしい出会いが無いなら別れらしい別れも無い。

 一期一会と言えば聞こえはいいけど、現実はそこまで風流でもない。

 どうしてあの時彼女が私にフライドチキンを奢ってくれたのかは今でもわからない

 不安が顔に出ていたのか、ただの気まぐれか。

 謎は謎のまま胸の中にあるけど、少なくとも。

 彼女に元気づけられた事実は今も私の中にある。

 当時は家にご飯があるからで滅多に手を出さなかったホットスナック。

 現在は無駄遣いしないようにで全然手を出していなかったホットスナック。

 今日久し振りに買ってみて、昔より高くなっていることに驚いて、無駄遣いしたかなとちょっと後悔して。

 でもこうして、思い出に浸るためたまに買うならいいかと、もう一口食べて。

 揚げ物をカイロ代わりに、薄暗い夜道を歩くのであった。

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