トロコフォアの喘鳴

ライ月

第1話 邪龍が魅せる夢

「おお、なんということじゃ」


 生まれたばかりのおさな子に、紋章をかざした占者が後退あとじさった。

「この子は悪魔の子じゃ。我ら村民を危ぶめる……『破滅に導く者』じゃ!」


 恐怖の声色高々に、ある人物に向け宣言する。

 畏れ多いと、もはやおさな子には一歩も近寄ろうとすらしない。その様子を眺めていた、村で最年長の長老が首をふった。

 

「……致し方なし、じゃな」

「お待ちください!」

 女性が異議を唱え、頭を揺らす。

 強引に動いたため、ジャラ……と後ろ手で縛った手鎖が鳴る。


「神の思し召しとはいえ、まだ決まったわけではないではありませんか! だから――」

「そこまでだ」

 背後にいた二人の従者が待ったをかける。母親の前で交差させるように、冷徹な二本の槍が行く手を阻む。

「でも」

 と、悲痛な訴えが続く。訴えが叫びに変じ、そして金切声になっていく――が、長老は自身の長く白いあごひげをさするだけだった。やがて、長老は母親を汚らしいものを見るような目つきになった。眼光が鋭くなる。


 ――黙らせろ。


 腹部に鋭い痛みが走った。

「ぐぅっ!」

 母親は下に目を向ける。新たな槍が刺さっていた。


「村の長である長老の決定は覆らん。諦めるのだ」

 『破滅に導く者』を孕み、産み落とした女性は、力なく倒れ伏した。

 産褥期さんじょくきの若い女性の腹から、長老家の床に赤い血が流れゆく。


「……ふふふ。『12年』……」

 命脈の灯火が尽きゆく彼女の口元が歪んだ。


「12年間……12年間は村に平穏をもたらすだろう。だが……その時が尽きた途端、村が、『世界』が滅びる命日となるのだ……」

「何を世迷言を」

 村人の誰かがいった。世迷言は続く。


「ああ、邪龍様……この場にいる誰かが、この子を殺したら……この村に……この上ない絶望を……」


 すると、どこからともなく響いた。


≪女よ、それが我への願いか?≫


 真下から響いたふうだった。


「……はい、邪龍様……だから、わたしの命を犠牲に……」

「貴様――」

「やめろ」

 従者が息の根を止めようと振りかぶって、長老が止めた。


 ――殺したら貴様も殺す。

 射殺いころすような眼光で、従者は構えを解かざるを得なかった。


≪ふ、いいだろう。貴様の願い、聞き届けた≫


「ああ、よかった……」

 邪龍との契約を交わし、女性は安堵から来る幸福感に包まれた。


≪もののついでだ。この時より『12年』……待つとしよう。

 我に『無駄な努力』を見せるがいい……≫


 くつくつと鳴る獣の笑い声で、戦慄の空気が走る。

 心臓を絞る、ぞくりとした悪寒が場を這いずりまわり、足元を掴まれたもの全員が不動となった。誰かが生唾を飲み込む音、じっとり濡れた汗が床へ滴る音。


 静寂――その隙をついて、最期の力を振り絞った者がいた――彼女は手を伸ばす。


「ごめんね、マグナ……あなただけでも、生きて――」

 弱弱しい指先が、遠く離れた我が子の顔を撫でる。ぱたりと赤い床を叩いた。もう動くことはない。


「12年……か」

 長老がぼそりといった。

「世迷言だと一笑に付せば、『予言』通りになるだろうな」

 一案を講じなければ……と、長老の目が隣の人物に向けた。

 と同時に、一人の腹心がさっと消えてなくなる。

 瞑想に浸るように、静かに瞑目めいもくした。


「長老」

 長老に、従者は聞いた。何だ、と睥睨へいげいする。

「この子はどうしますか?」

 従者の手の中には、わんさかと泣く赤ん坊がいた。

 今しがた乳飲み子が母を亡くしたことを、嘆く鎮魂歌が。


「殺すのはやめじゃな」

 遺志は尊重するべきじゃろう、と長老は目を細め、動かなくなった者とおさな子の交互に悼みの目線をくれる。

 しばらく逡巡したあと、口角をあげた。


「古井戸に落とせ。邪龍の贄としてやろう」

 邪悪な笑みで、従者にそう命じた。

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