オオカミだった少年

犬歯

とある少年の手記

僕は狼だったのだ。何故そう思ったのかはわからない。しかし狼だったのだ。これは白昼夢でも、虚言でも妄言でもない。僕は狼だったのだ。狼だったころの記憶は存在しない。と言っても全くないわけではなく、朧気にその記憶が海馬を漂い、仄かな感覚が躰を蝕む害虫の如く僕の意識に一抹の後悔と一縷の絶望を這いずらせていることは間違いない事なのだ。


僕は此の事実を多くの人間に話した。これは別に英雄譚やコミカルな話ではないし、大した話にも成らないだろう。(全くそんなことはないと今ではわかるが)それでも僕は話さずにはいられなかった。いや話さなければならなかった。自分が獣であった罪を拭い切るために。そうでなければ僕は此の重圧に耐えきることが到底不可能であった。


此の事を話した相手は皆同じように僕を何かの精神病患者ではないのかと勘繰るようになった。もしくは、あのオオカミ少年のように、ほら吹き野郎だと決めつけていた。その時僕は「どうして皆、俺を信じないのか。お前らの冷笑もその眼光も狼だった俺には何も感じさせないもののはずだぞ。俺は自尊心だけを糧に、孤高の存在として生きてきたんだ。」と思っていた。今では僕の方が間違っていたのかもしれないと思うようになったが。兎も角、多くの人間、いや僕以外のすべての人間は僕の言うことなど信じなかった。


それでも僕には親友と呼べる存在もいたのだ。奇しくも彼女は、僕の主張を聞き入れようとはせず、軽くあしらってこそいたが、それでも僕という存在には一定の信頼は置いていたのだろうと思う。今ではそれも確かかわからない。まるで中和滴定のように赤が薄い桃色へと変わり溶液をかき混ぜることによって透明へと変わっていくように、僕らの関係も一滴の言葉、混ぜられた時間によって不透明から透明へと変わっていった。しかし一滴でも多く垂らした瞬間、溶液はまた特定の光を吸収するのだ。その時になってしまえば過去の色を確かめる方法は自分の記憶にしか頼ることができない。


ある日僕は彼女と星を見た。僕はその時の事を今でも鮮明に覚えている。いや本当の所は此の記憶でさえ、脚色を加えられた陳腐で僕一人しか理解できない映画なのかもしれない。人間の記憶というのはそれでいて都合良く改竄されるのだから。


兎も角その夜、僕は星を見ることはできなかった。いや正確に言えば大木の断面が丸く太ったように均整が取れ、歪さを探しだすことも叶わない満月を見ることが出来なかった。そうして僕は彼女に向かって、「早く帰ろう」と急いていたのだが、彼女は頑なに、それを認めようとはしなかった。きっと彼女は狼男伝説に肖って、もし僕が本当に狼であったなら満月を見た時その姿を変えるだろうと考えたのだろう。そして姿が変わらないと確信している彼女は、其を以て僕にほら吹きをやめさせようとした。しかし僕は満月を見ることができなかった。それは一重に恐怖から来るものであったが決して、彼女の思惑とは違うものであることは間違いない。むしろ彼女の思索こそが僕の心を狼へと変えていた。


そうして中々動かない、重石のような彼女に向かってこんな話をした。「君は自分がどんな存在かわかるかい?そして俺の気持ちがわかるかい?」

すると彼女は、少しはにかみながらも、至って冷静然とした口調でこう答えたのだ「私自身については分からないけどね。私は信じているよ」

その言葉を聞いた瞬間、俺はまるで本棚に並べられた本たちが少しの衝撃によってそのバランスを保てなくなるように、精神が瓦解していく様を眺めていた。いや体感した。その後俺は~


あまり覚えていないことを話すのは憚られるので、此処では明言しない。しかし彼女は僕のことを睥睨し、常闇の中に消え去ったのは確かである。辺りは闇に包まれ、先ほどまでの彼女の希望と僕の絶望を灯した円は、彼女と呼応するかの如く、その姿を消した。


そのあと僕はまた孤独な存在へと後退した。そして唯一の灯りも消え去り村八分と言って差し支えない状態に陥ったのだ。村の大人たちは皆、僕に対し、「あんなくだらない嘘のためにあそこまで意地を張るなんて、なんとももったいないのだろうか。」と言った。それでも俺は自分が狼であった事実を揺らぎこそあったが信じていた。それは自己であり、これを否定するのは自分自身を否定する事と考えていたからだ。しかしこれもある小説の言葉を借りれば臆病な自尊心というべきなのか、尊大な羞恥心というべきなのかは判然としないが、このような趣の言葉で言い表せるものだったのだろう。


僕は辟易し、日に日に憔悴していた。その頬は狼であったものとは思えないほど研削されており、その容貌は峭刻となっていたがその眼光は狼であった頃のように爛々と光を放っており、研鑽された犬歯がその光を反射していた。これは鏡で見た僕の姿である。


人間という生き物は自分が一番であると潜在的に思っているという。自分が正しいと。


僕は鏡を見るといつもこの事を思い出す。

そして僕は鏡ではないかと思うのだ。心の奥底を照らす鏡ではないかと。


誰もが自分のことも、他人のことも本当に知ることはできない。常にサングラスを掛け、万華鏡のように多種多彩に変わる絵の一つを世界だと思っている。実際そうではないだろうか。皆自分の理解の届く範囲の世界しか認めない。現実は分からないことだらけではあるが、それを理解しているフリをしているだけなのだろう。だから板の中の平面の人間に対して、”決めつけ”を行う。僕を蔑んだ多くの人間もこれに当てはまるのではないだろうか。だからこそ僕は鏡なのだ。


錯綜した日々を送っていたある日、僕の下にある笛を持った男が訪ねてきた。彼は羊飼いだそうだ。そして僕はここを出ていくことを決めた。唯一僕の真実を認めてくれた人間についていくことに。いやただついていくのではない。過去の罪の粛清を自ら行い、現在の罪から逃れるために。サヨウナラ


最後に親友だった君に一つだけ言っておきたい。この文章で僕は狼であったことを疑っていたが、それは間違いである。俺は今でも狼のままだ。

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