第3話:今日は新曲の収録本番、でも?
4月半ばに入った今日、新曲の収録があるため午後からは夕と一緒にスタジオに来ていた。
「おはようございまーす」
「おはよう、天音君」
「おはよーっす、雪君、今日も可愛いねー、どう、後で一緒にお茶でも」
部屋に入ると、プロデューサーである
「…中島さん、仮にも日本が誇る歌姫相手に気安くナンパは止めて下さい」
「え〜、イイじゃないっすか言うだけならタダなんですし、ねぇ種島さん」
「俺に同意を求めるんじゃない、まったく。…それより天音君、早速始めたい所なんだが、実は少しトラブルがあってね、もう少しだけ待ってて貰えるかな」
「それはいいけど、トラブルって?」
「実は機材の不調でね、音が全然出てくれないんだ」
「だから今スタッフ達が大急ぎで修理してるんだけど、やっぱどうしても時間掛かっちゃうんだよね」
「そうでしたか。それで慌しかったのですね」
夕は瞬時に雪のモチベーションを下げない様にするにはどうするか考えた。いくら数回のやり直しが出来るとは言え、モチベーションが下がったままでは最高のパフォーマンスを発揮できないからだ。
そんなことを思っていると、ふと雪が隣にいない事に気がついた。
「って、あら? 雪はどこへ?」
二人に聞くと、種島が部屋を二つに分ける窓の向こう側を指差した。そちらを見ると、既に雪が入っていて、静かに目を閉じていた。
そして――。
「――――――。」
聴くもの全てを魅了するその声で、曲も無しに歌い始める。
新曲のテーマは夢。一度自分の夢を叶えようとし、しかし挫折してしまうも、友達や恋人に支えられて、もう一度立ち上がる。そう言った内容の歌詞となっている。
実はこの歌詞を考えたのは雪で、本人の実体験を綴った歌になっている。まぁ彼に恋人がいたことは無いみたいなので、少し脚色を加えているが。
「彼は何というか、表現者の鏡って感じだね」
「どういう意味です?」
「他のアーティストもよくやるけど、こういうトラブルが発生した時、気を下げないように発生練習したり、ライブだったら振り付けの確認したり。とにかくその時自分に出来ることをやるけれど、今まであそこまで本番さながらの気迫でやってる者を、俺は他に見た事がない。だから表現者の鏡ってわけ」
種島の言う事になるほど、と納得した。確かに私も同じだ。今も歌っている雪を見ていると、もう本番を始めているかの様に錯覚してしまう。彼が人を魅了する理由の一つは、そこにあるのかもしれない。
「…ふぅ」
息を吐いて呼吸を整えて、歌い終わったボクは夕達の方へと戻る。
「機材、どう?」
「さっき確認してOK出たよ。いつでも行ける」
「じゃあ天音君、リハ直後で申し訳無いけど、出来るかい? 少し休んでも構わないが」
「ううん、今やるよ、準備よろしくね」
そうしてボクは再び歌い始めるのだった。
収録が無事に終わって帰宅途中、車を運転する夕が「そういえば」と切り出した。
「雪、今日夕飯はどうするか決めてある?」
「ん? いや特に何も。どうして?」
「いや、雪が良かったら何か食べに行こうかと思ったのだけど、どうかしら」
「いいけど…何か企んでる?」
「無いわよ。というかどうしてそんな発想になるのよ」
「だって夕がそういう誘いをするのって、すごく珍しいから」
「そうかしら」
「そうそう、しかもさっきだって中島さんにナンパするなーって怒ったくらいだし」
「別に怒った訳じゃ…。というか行きたかったの?」
「いや、別に」
「…あ、そう」
笑顔で即答した雪。この時ばかりは中島に少しだけ同情する夕である。
「とにかく、行くってことでいいのね。なにが食べたい?」
「うーん…、オムハヤシがいいな」
「ふふ、ほんとに好きよね、それ」
「うん、だってあの時、夕が作ってくれた料理だからね」
「―――――――」
夕が驚いた顔をして固まった。勿論運転はしたままだが。
「どうしたの?」
「あ、いえ。覚えてたのね」
「そりゃね。けどどうしてオムハヤシだったの?」
「…私でも作れそうかなって思って」
「…その割にはグズグズだったけど」
「し、仕方ないでしょ!? 得意じゃないんだから!」
「ええ~~、だとしてもあれは無いよー」
クスクスと笑いながら夕に言った。
「もう、そんなに笑うんならもう一回作ってあげてもいいのよ、グズグズのオムハヤシ」
「あ、遠慮します」
「…あなたって急に冷めてズバッと言うとこあるわよね」
「そう?」
キョトンとするボクに「自覚なしか」と何故かがっくり項垂れる夕。
「まあいいわ。それよりもう一つ、新曲のことなのだけど。その、大丈夫なの? あの時のこと、思い出したりとか」
先程から話に出ている“あの時”とは、2年前のとある出来事なのだが、詳細についてはまたいずれ触れるとして。
「大丈夫じゃなきゃ歌ってないよ。夕は心配し過ぎだよ」
「心配するわよ。雪は私にとって弟みたいなものなんだから」
「…ん、わかってる。ありがと」
今のボクにとって、こうして本気で心配してくれる人が身近に居てくれるというのは、とても幸せな事だなと改めて実感する。
「と、着いたわよ」
「よーし、食べるぞー!」
「急にテンション上がったわね」
若干呆れている夕をよそに、ボクは空いたお腹を満たそうと、レストランの中へと入っていった。
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