第7話「暗闇」

 遺伝子研究の実験せいで、多くの人が犠牲になった。

 

 近づかないで……人殺し。

 

 返して……私の家族を返してよ。

 

 研究に利用され、残された家族の悲痛な叫び。

 

 都に向けられる殺気が向けられる。逃げても闇が絡みついてくる。絡みついてきて、振り払うことができない。それと、同時に負の感情が都にぶつけられる。

 

 絶望の声が耳にこびりついて離れない。複数の手がしがみつき、都を解放しようとしない。

 

 都は思わず飛び起きた。

 

 心臓が激しく音を立てている。


(――夢か)

 

 荒い呼吸を落ち着かせようと、都は深呼吸をする。やっと、気持ちも呼吸も落ち着いてきた。夢見が悪いせいで、汗ではりついたジャージが気持ち悪かった。

 

 再び、眠りにつけるはずがなく頭からシャワーを浴びる。落ちる水滴をそのままに、椅子に座る。横から伸びてきた手が、濡れた髪の毛にふれた。


 寝ていると思っていた美和の手だった。

 

 美和は優しく都の髪の毛をふく。


************


「起きていたのか?」

 

 美和は都の隣に座る。


「勉強をしていたのよ」

 

 机に置いてあるマグカップから、甘い香りがする。ココアを用意してくれたのだろう。作ってくれた美和には申し訳ないが、口をつける気分にはならない。

 

 身体が飲食を受け付けなかった。


「泣かないのね」

 

 ここにいるのは美和だけである。だから、好きなだけ泣いて、弱音を吐いてほしかった。

 

 弱さを見せてほしかった。

 

 美和には都の心が助けてと、いっているような気がしていた。

 

 気持ちを露わにすることも大切だと都に伝える。

 

「僕は泣くほど子供ではない」

「私も都もまだ子供だわ」

 

 少しは素直になってほしかった。


「甘やかされるつもりはない」

「甘やかされることも必要だわ。そうでしょう?」

 感情なんて、忘れたままだ」

 あの研究所においてきたままだった。泣くことなんてとうの昔に、忘れてしまっていた。

 

 涙なんてかれてしまっていた。


「ねぇ、夢はないの?」

「夢なんてないさ」

 

 時間が残っていない都に、夢などなかった。

 

 都が光に照らされることはない。暗闇しか知らず――光などなかった。きっと、この暗闇から抜けだすことはできない。暗闇から抜けだすことができるのは、都が死ぬ時だろう。


「作ればいいじゃない」

 

 美和はまっすぐ都を見つめる。


「簡単そうに言うな」

 

 都は表情を変えることなく、美和を見つめ返した。


「いくらでも取り戻せるわ」

「理想論なんて嫌いだ。それだけで、どうにもならないこともある」

「どうにもならないことって何よ? やりたいことをやればいいじゃない」

「美和は気楽でいいよね」


 守られている美和は都とは、違い明るい未来が待っている。好きなことを仕事にして、結婚もできる。

 

 子供もできる。

 

 愛する者と一緒になれる幸せ。

 

 都にはそれが叶わない。

 

 叶えることができない。

 

 都と美和ではおかれている立場が違う。


「もっと、私たちを頼りにしていいのよ?」

「美和に僕の何がわかる? 苦しみを知らないくせに。奪われるつらさがわからないくせに」

「見てられないのよ。家族だもの。一緒に乗り越えていけばいいわ」

「――偉そうに」

「私は都が思っているよりも、しつこいわよ。本心を聞くまで諦めないからね。覚悟しておいてちょうだい」

 

 都に宣戦布告をして、美和は部屋に戻る。

 

 ちょうど、夜が明けようとしていた。

 

 よるあさ

 

 月と太陽。

 

 対局する二つの役割。

 

 空の支配者が変わる――交代する瞬間だった。

 

 あと、何回夜明けを見ることができるのだろうか?

 

 眺めることができるのだろうか?

 

 でも、時間は残酷で、『今』を――現在を、刻み続ける。

 

 無情にも針は進み続ける。

 

 誰もとめる権利はない。

 

(時間なんて、一生とまっていればいいのに。動かなければいいのに)

 

 都は夜明けの空に視線をむけた。


***********


 

 都はペンを置いた。

 

 封筒に入れて、鞄に丁寧にしまう。

(眩しい)

 

 図書館からでた都は、太陽の光に瞳を細めた。何とか、生きているのだと実感する。帰り道を歩いていると、車のクラクションが鳴った。

 

 仕事終わりの和江が、窓から顔をだす。


「図書館にいるなんて珍しいわね」

「そうですか?」

「都。無理をしてない? 大丈夫?」

「僕は大丈夫です」

 

 都はいつのどおりの仮面をつける。

 

 和江に気がつかれないように表情を取り繕う。


「それなら、いいけど。何かあったら言ってね」

 

 ミラーで視線をあわせて、和江は優しく微笑む。被っていた仮面が剥がれてしまいそうになる。隆の存在がバレそうで、和江の微笑みが怖かった。

 

 心を読み取られてしまいそうだった。


「和江さん。もしですよ? 僕が『作られた人間』だとしたら、どうしますか?」

「都は都だわ。それは、たった一つのあなたの命よ。それ以上、何もないわ」

「変なことを聞いてごめんなさい」

 

 和江は学校から帰っても、自室に一人でいる都が心配だった。


「ねぇ、都」

「――はい」

「何があっても、私たちは家族だからね。そのことを、忘れないでほしいの」

 

 二人の間に沈黙がおちる。

 

 都は通り過ぎていく風景に、視線をうつした。

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