第4話「記憶」

 ゆらゆらと研究カプセルの水が揺れる。その水は透明で研究所内を見ることができる。そんな室内を、忙しない足音と機械音が響く。


「ダメです。身体機能が低下しています」

「失敗か。いいから都をだせ」

「待って、都に何もしないで。 私の大切な子供を傷つけないで。この子にだって生きる権利はあるわ」

 

 都を授かった時、本当に嬉しかった。

 

 周囲が明るくなると思った。

 

 家族が増えると知った時、どれだけ待ち遠しかったことか。

 

 期待に胸を膨らませていたことか――。


 夢を見ていたことか。


「だから、私は都を産んだのよ。ここまで、育ててきたの。ともに歩いてきたの。あなたの実験に、利用をするためではないわ」

 

 すがりついてきた奈美を、隆はふりはらった。何があっても、都と共にいると誓う。


「それが、母親の役目よ」

「親の役目? 私には関係ない。必要性を感じない」

 

 隆が研究ばかりで子育てを、放棄していることと同じだった。


「母さんを泣かせるな。困らせるな」

「湊」

 

 小さな身体が原田隆に、体当たりしてきた。原田湊は隆から銃を奪ってかまえた。

 

(本当に撃っていいのか?)

 

 拳銃を握る湊の手は震えていた。


「震えているじゃないか? 撃てるのか?」

 

 隆は湊の身体を、突き飛ばした。都と五歳、歳がはなれているとはいえ、まだ小学生である。湊の身体は簡単に、吹き飛ばされてしまう。

 

 湊は泣くことなく、すぐに立ちあがった。

 

 隆のようにはなりたくない。

 

 善と悪の区別がつかない人間にはなりたくない。人の気持ちに気がつけない大人にはなりたくない。

 

 湊は奈美を守るように一歩前にでる。

 湊は隆を睨みつけた。

 

 変わってしまった隆と、泣き崩れ奈美の姿が印象的だった。

 

 状況を理解して隆に立ち向かう湊は、兄――もしくは、親友とも呼べる大切な存在だった。

 

 深い水の中にいるからだろうか?

 

 そのやり取りが、目の前で起っているはずなのに、どこか遠くに感じた。


************


「都」

 

 湊が名前を呼ぶと、金色の瞳がゆるりとこっちを見た。実験装置のガラスケースに額をあてて、視線を合わせる。


 「聞こえているだろう? お前は僕が助ける。宿命から解き放ってみせる。だから、待っていてほしい。未来を――希望をもっていてほしい。夢を見ていてほしい」

 

 それは、湊の心からの願いだった。

 

 都の存在は湊にとって、一筋の希望であり――光でもあった。


(お前には心からの笑顔が似合う)

 

 都が泣き笑いのような表情を浮かべて、疲れたのか瞳を閉じる。


 「ありがとう、湊。あなたのその言葉だけで、励まされるわ」

 

 奈美は湊の頭を撫でる。


 隆は興味を失ったのか、部屋から出ていった。


**********


 それは、覚えている記憶のカケラ。

 

 都は吐き気を感じて、ベッドから起きあがった。美和と和江に気がつかれないように、洗面所に駆け込む。

 

 指の隙間から血が滴り落ちていく。

 

 全身の血が逆流していく感覚が気持ち悪い。

 

 遺伝子の崩壊が始まっていた。

 

 蝕まれていく身体。

 

 長生きできないのなら。

 

 未来さきが見えないのなら。

 

 生まれてきたことが、間違いだったのかもしれない。

 

 あの時、母親と一緒に死ねればよかったのに。

 

 そうすれば、楽になれた。

 

 苦しまずにすんだ。

 

 悩まずにすんだ。

 

 なぜ、生き残ってしまったのだろうか?

 

 存在している意味はあるのだろうか?

 

 ここにいるのだろうか?

 

 生きている価値を見いだすことができない。

 

 都は無表情で血を洗い流していく。

 

 身体が弱い弟を、ばれるまで演じきれるだろうか?

 

 それとも、三人の誰かが気づくのが先だろうか?

 

 遺伝子操作を受けて、誕生した子供だと知られるのが早いだろうか?

 

 目や髪色をカスタマイズされて、色々な研究のために作られた欠陥品は受け入れられないと、家を追いだされるだろうか?

 

 弄ばれた命など気持ち悪いと、思われるのがオチだ。

 

 もう、時間がないのだと理解していた。

 

 終焉の足音がそこまで、迫ってきていた。





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