月を見ていた

葵卯一

第1話

 私は月を見ている。子供の頃も、そして今も。

手の届きそうな大きな月、細く欠け今にも星空に溶けていきそうな月。

 真冬の眩しいくらいの月と、真夏の真っ赤に染まった満月。私は空を見上げ、青い空に浮かぶ白い蒼月を見つめ、青空に溶ける月を目で追うのだ。

 世界中で月は見える。世界中の人間や、獣達が夜空に月を見上げるのだろう。

 私は子供の頃からそんな人間だったと思う。他人からは、さぞ奇異な人間に見えただろうと思う。(私自身には自覚は無いが)

 長く続いたこの国の不況は、私から夢を奪った。

 私は今、月とは関係無い仕事についている。

 天文学者になりたかった訳でも無いし、月の写真などで生きて生きたかった訳でもない。

 ただ好きな月を見つめ、月に関わって生きていたかっただけだったにも関わらずだ。

 十年前まで私はつまらない営業で車を走らせ、頭を下げ、売れない商材を店頭に積み上げていた。物が売れないのは私のせいでは無い、当然お客様のせいでも無い。

 売れない商材を開発するヤツ等と、同じような商品に溢れた世の中のせいだろう。

 同じ価格と同じような商材、どちらも同じなら広告されているメーカーの物を買うだろう。私のような者がいる木っ端中小のバッタ物のような商品に手を出すお客様は珍しい。

(結局小規模なヤツ等が大企業と戦うには安く売るしかないわけだが、仕入れから何から大量仕入れ・大量生産・大量運送で安くできるヤツ等ほどの価格と対抗するには、人件費と原材料を下げるしかないって事は解るだろう?)

 同じ原材料ならば、出元は遠い南米かカノ大陸国家か。畑も農家も見た事の無い人件費の安い、管理されてない畑の怪しい物しか使え無い事も解って欲しい。

 そして工場も、安くて衛生面も機械も人間も最低の状態で動かした物しか使え無い。

最後に売り場に並べるのも、オレのような営業と運送の混ざった男がするのだろう。

(そこまでやっても、大企業に勝てないのはなんでかねぇ・・そこまでやったからか?)

 やってしまったからだろうか?バッタ物はバッタ物、偽物は偽物って事で。

 味も安全性も、解るヤツにはわかってしまう。徐々に売り上げは落ちて、次ぎの商品を開発しては頭を下げて入れ替える。欺しと開発の自転車操業だ。

 そんなクソみたいな商材を売らせておいて、「売り場を増やせ」とか「顧客開拓」とか無理難題を吹っ掛けてくる上の連中。

 若かった俺は夜中まで走り回り、月を見上げては酒を飲んで帰っていた。

(十五年くらい前までは罰金も緩かったんだよ)

 それが十年前、ちょうど飲酒運転の罰則が厳しくなった頃だ。

 オレとオレの車は宇宙旅行をするように夜空を飛び、山道のカーブから転がった。警察と消防と救急車、それぞれにお世話になって一発免許取り消しとなった。

 他人を巻き込まず、ガードレールと山の木と道路に迷惑を掛けただけで済んだのが唯一の救い、後で聞けば車は大破して炎上、上がる煙を見たドライバーが映画の撮影と勘違いしたくらいの大騒ぎだったらしい。

 車が酔っ払ったオレの変わりになってくれたのか、オレはむち打ちにもならず、足を少し擦りむいた程度の軽傷で済んだのだ。

 酔っ払ってたオレが警察に全部話したせいで、次ぎの週には労働基準監督署が立ち入りに入り大騒ぎになったらしい。おれは通院と言う名の自宅謹慎中の話だ。

 色々有って首にもならず、今は会社の倉庫で在庫管理を任されているのは運が良い方なのだろう。

 社長派と専務派が何やかんやして、副社長が社長になったとかオレには関係無い話だ。その時にいたオレと同じ営業連中は、会社の体勢が変わって良くなったとか希に飲み会で聞くが、腫れ物に話すようなヤツと「英雄だ」とか言ってくるやつの二通り。それも十年も経てば距離も離れて行った。

 そしてオレは倉庫に近い自宅から自転車で通い、偶に酒を飲んで歩いて帰っている。

やはり夜・公園で酒を飲みながら月を見てゆっくり帰るのは気分が良い。

 営業の時より給料は下がったし、残業も殆ど無いがオレにはちょうどいい程度の給料は貰える。一人暮らしで交友関係もなければそんなに金は使わないものだ。

 営業時分に結婚もしたが、家には殆どいない帰った所で疲れ切って話もしない。そんな二人に子供が出来なかったことが一番の正解だった。給料も下がってオレも何だか馬鹿馬鹿しくなっていた時に別れ話が出た、オレは引き留めず彼女は振り返らずだ。

 それで五十歳、一人楽しく余生までの時間を月と共に夜を過ごしている。

 再婚とか子供とかなんだそれ馬鹿馬鹿しい、五十男に子供が出来たら子供が成人する時は七十だ。二十歳がどれ程の大人かはオレが知っている、まだまだ子供だ。

 そんなヤツに七十男がなにが出来るって言うんだ?後十年で、死んで行く姿を見せてやれって言うのか?

 失われた十年二十年ってのは良く出来ていると思う、学校卒業して十年二十年。

 その位の歳に恋愛や結婚・出産まで辿り付け無かったヤツにまともな家庭を作れる気がしない。(オレはそうだと自覚がある)

 十年二十年は長い。体感ではそれ程長くは無いが、生まれたてのガキが成人するくらいには長い時間だ。

 その期間を家庭に恵まれず過ごした結果、二十歳の男は三十になり、三十の男は四十だ。 結婚なんてした所で上手く行く筈が無いとオレは思う。

「よっこいしょ」体はあの頃より重くなったが、月は黙って見てくれている。それだけでオレの人生は満足だ。

[探索機はやぶさ、イトカワタッチダウンに成功]

 人類は、いつの間にか宇宙に浮かぶ小惑星にまで手を伸ばし、無人の探査機がその欠片を持って帰るような時代になっていた。

([始めてのお使い]も大人が本気でやるとスゴイもんだ)

 新聞に書かれていた記事を読み、ちょうど同じ内容をTVのコメンテーターが説明する。

 この国の悪い所だ。一つ目新しい物が見付かると、野良犬か鳩のように集まって、啄んで食い散らかす。そのくせ直ぐに忘れて別の獲物を探し、後追い記事など見向きもしない。

 日本のマスコミが腐って行くの仕方無い事なのだろう、大衆がそうさせているのだから。(多少の大衆記事でも、知っておかないと話が出来ないからなぁ)

 会話の出来る・出来ないで職場の人付合いも変わる。雑談や駄弁・下らないスキャンダルでも、人間関係の潤滑剤として仕入れておかないと仕事が回らないって事が有るから。仕方無しに見ている人間も多いだろうとオレは思うよ。

(だから見て見ろよ回りを、下らない人間関係を無視出来るスマートフォンを持ったヤツ等は隙あらばあの板と、にらめっこして突いてやがる)

 スマートフォンの普及で、日本人の殆どは解ってきているんだよ。親とか友人とか教師とか、全てつまらない・煩わしいだけの縁に過ぎないって事が。

 TVではガキ達が一過性の流行りに乗せられて、天体観察をしていた。多分物理の教師・・違うか、科学・・理科の教師か?それがまだ明るい原っぱで星図片手に西と東の空を指さしている。

(望遠鏡か)あれも彗星や流星が見える度にCMされ、買った半年後には倉庫行きか納屋行き、それか中古市場に流れて行く運命だ。

 子供の頃どこかで見た気がする、あれはどこで見たんだろうか?

 白い筒と光る銀、指先に触れた大きく丸いネジ。汗ばむような夏の空気の中、オレは蚊取り線香の煙に守られ、星を見ていた記憶がある。

(そうだな・・もう一度買って見るのも悪く無いよな)

 狭い部屋だが独り身のオレだ、物の置き場所くらいは確保出来る。それ程高い物で無ければ買ってもいいだろうか。

 そうして次ぎの休日には電気屋に足を向けた。

 昔は時計屋とか眼鏡屋で売っていたのも不思議だったが、今は電気屋で売っているのも謎だ。

 ギラギラ煩い巨大なTVとウロウロする店員は視界に入れず、天井からぶら下がる看板を頼りに望遠鏡のコーナーを探す。マッサージ椅子で寝ているお年寄りや、どう考えてもそんな顔にはならないだろうと思う美顔器具が置いてある。

 久し振りに電気屋に来たが(ここも随分変わって変わってしまっているなぁ)と言うのが正直な感想だ。炊飯器や電子レンジを見ても、何が高品質で最新式なのか解りもしない。

 ハードディスクやSSDを買いに来た時には見もしなかった生活家電達の向こうに、ようやく見つけた。子供の頃に見たような、筒型の望遠鏡が並ぶコーナーだ。

(1000倍?1500倍?集光率?)なんだか凄そうな数字が並び素人が近寄る事を拒絶しているような天文学の象徴共。

 零の数が多ければ良いってもんじゃないだろ?こっちは専門家じゃ無いんだ、解りやすくシンプルなのが良いに決っている。

 それが解らないからこんな端に追いやられているんだろ?ちょっといいやつ位で良いんだよ普通一般家庭の人間は。

(・・月が綺麗に見える程度でいいんだが・・)置かれた星のパネルや大きく引き延ばされた月の写真。天体写真に興味が無い訳では無いが、写真を撮るよりのんびり眺めている方が、自分には性に合っていると思う。月は刻一刻と変化するのが魅力であって、1枚の写真として眺めても、美しさは解るが感動はしないだろうな。

 

 月の光・体に感じる夜の風・細い月から目を離せば星が光り、月もまた時々雲に隠れ少し目を離せばまた明るい顔を出す所が良い。

 夜風に体が冷やされ、(もうここまでか)と帰って眠るようなのがオレには魅力を感じるのだ。

 置かれているパンフレットを見てもよく解らない物は仕方が無い、ズブの素人には所詮望遠鏡は敷居が高いのだろうな。

(今日は帰るか・・)値段だけは一応確認しても、割引きとポイントを考えても大体予算以内だ。子供の頃にあれだけ欲しかった物が今は安く感じる。

オレも、それだけ歳を取った物だと苦笑するしかないな。

 家に帰りPCの電源を起ち上げ、早速望遠鏡を調べて見た。

 星の自動追尾やAI機能で光りの調整、見たい星を入力するだけで自動で方角と高さまで調整してくれる物まで多岐にわたる。

(・・・戦車の大砲とかミサイルとかの技術でも使ってるんじゃないだろうな?)

 そう思わずにはいられない程自動化されてビックリだ。見た目からして大きな筒だ、榴弾の発射台と見間違えられるような地域では星の観測もさぞや難しかろう。

『月が良く見える望遠鏡を教えて下さい』っと。

 最近は便利な物でこんな事でも質問すれば、色々なヒト達が教えてくれるのだ。優しい国日本と世界の有識者に感謝しなければならないな。

 その日の夕方には多くのコメント返信があった、様々な機種と多くの意見が返って来て目移りする。大体のコメントは『ここ十年くらいの物ならどんな物でもオーケー』のようなものだった。(それが解らないんだなぁこれが)

 写真を撮りたいとか、あちこち持って行って観測したいとか。用途別に説明して下さる方もいて大変参考になりましたと返して置く。

「どんな物でもいいと言われると、逆に悩むんだよなぁ」人間とはおかしな物だよ。

 ア〇ゾンや楽〇で売っている物をスクロールしてもどれもピンと来ない。

(これはオレが望遠鏡を本気で求めて無いからか?だから食指が動かないのか?)

 少し頭が熱くなっているようなので一息入れる、夜の一息と言えば冷えたビール[発泡酒]と缶詰か?缶詰は・・鯖の味噌煮が有ったか?

 グビグビと喉に流し込み、体の中から冷やしてやれば良い考えだって出てくるだろう。

 そんな風に思っていた時季が私にもありました。

 翌朝窓の明るさで目が覚めた、どうやら昨晩出した最高に良い案は[布団を引いて寝る]

だったようだ。

(果報は寝て待てと言う事だろう、望遠鏡は逃げやしないし、月はいつだって空に浮いているのだからコレで良いんだ) 

 

 それから数日後の事だ、オレの家の郵便受けに不在者届けが入っていた。

 黒い猫が差し込んだ黄色い紙札、時間は今日の昼間、普通の家なら仕事中か外出中の時間だった。

(社会人だろうと学生だろうと、この時間に家なんかにいる筈ないだろ?仕事があるんだ)と、まぁ世の中には色々な人間がいるからな、ずっと家にいるヤツだっている事だってあるだろう。そう思い直し、不在届けの電話番号に掛ける。

 今日来たならまだ宅配所にある筈だ、「ハイ、今は居ますから、ええ大丈夫ですお願いします」そう言って電話を切ると丁度一時間後に黒い猫がやってきた。

「こちらでよろしいですよね?」「ああ・・はい、サインはここで?ハイどうも」

 ありがとうございました、そう言って彼が持って来た巨大な箱に少し呆れる。

 宛名は・・[鈴木・幸恵]知らない名前だ、箱の中身は精密機械・・益々解らん。

 だが受け取り先は、伝票上私の部屋と私の名前になっていた。

(仕方無い、中身が解らないでは返品のしようも無いからな)

 覚えの無い不気味な箱は厳重に梱包され、テープを切って見れば新聞紙を緩衝材にした中央に更に箱・・・(望遠鏡?)それもレンズ径の大きい結構高いやつだ。

(手紙・・か?)封筒に入れられた便箋には『少し前に子供に買ってやった物ですが、置き場所も無くなったので差し上げます、大事にしてくいただけたら幸いです』と有った。

(ちょ・ちょっと待て。なんでこの人、オレが望遠鏡を探していると知ってたんだ?)

 それに送料だって、ネットでメーカーを調べても望遠鏡は古い物じゃ無かった。

 急いでPCのログやスマホの履歴を探る。酔ってる時に思わず無心でもした可能生だってある・・・・有った。

 星を見る会・月見の会・星好同士の集い・酔っ払って適当にログインした中に、望遠鏡を買いに行った事、よく解らなかった事等の愚痴を吐いていた。

 その中の一人からメッセージが届き、何個かメッセージを送った後、こちらの住所を送ってしまっていた・・・

(個人情報の保護と重要性が叫ばれる中で、見知らぬ人に自分の住所を特定させてどうするよ)馬鹿なのかオレは。

・・?伝票に確か・・相手も住所が記入してある・・なんでだ?

向こうも酔ってたとか・・じゃないよな、良い人なのか?貰ってもいいのかコレ?

(そうだ!まずは、メッセージ先にお礼、いやなんだ何か送るか?お金を払うべきか?なんだどうしよう)

 その後、鈴木・幸恵様宛にお礼のメールを送り、お礼の手紙と図書カードを数千円分。酒でも送るのが良いのだろうが相手先は女性だ、旦那に変に思われると相手先に迷惑が掛かる。

(後は時季を見て御中元のゼリーか缶詰[フルーツだぞ]を送るくらいはするべきだろう) 忘れないように伝票の住所を控え、メール先も保護して消えないようにしておく。

 いい歳してワクワクが止らない、アレコレとしなきゃあならない事があるが、それは・

・・さておいて、ここまでして置いて望遠鏡に触れないのもアレだし組み立てを始めるか。(三脚は・・ネジは・・っとレンズキャップはまだ外さずに・・コッチはコウして・・)凄く楽しい、プラモデルとかには手を出した事は無いが、趣味の物を組み立てるのはなんて楽しいのだろう。

「中々良い、いや思った以上にスゴイ」確かに使ったような後はある、それでも余程丁寧に使ったのだろう金属やレンズに痛みなんて全然無い。

(汚れも綺麗に拭いてくれて、三脚の足も綺麗なもんだ。子供が大きくなれば確かに邪魔になる大きさだが・・・それに正直ありがたい。

 初心者のオレからすれば、結局何を選ぼうかと悩んでいる間に段々面倒になっていただろうからなぁ)

 今も昔も同じだな。親の与えるものでも、子供の頃は道具の価値ってのは解らないもんだから。実に勿体ない、元の持ち主もきっと三十・四十になればこの望遠鏡の事を思い出すのだろう。そしてオレのように欲しくなるのだろう。

 ・・・・所で、望遠鏡を始めて買った人間の心理として、最初に箱から取り出して組み立てたヒトは多いだろう。そして気が付いたのではないだろうか?

『コレは室内で使う物では無い』と。

 ウキウキと折角組み立てたは良いが、外に出して使うにはまた1度折りたたみ、この重量と精密部品の集合体を運ばないといけないのだと。

(使う前に倒したり、傷付けたらしたら馬鹿だろ・・・・しょうが無い)今日の所は箱に戻して置く事にしよう。明日だ、明日には公園デビューさせてやるからな。

 便箋には手書きでお礼をしたためて、明日の昼休みに投函する事にした。久し振りの手書きの手紙、オレは字が汚いので大変だ。 

 結局あーだこーだと文面を考え、文字に書きだし清書するだけで一晩掛かった。文才が無いというか不器用というか、本当にしょうが無い話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る