お題『イメージ全体をみつめなおし、内容の肉付けを行う』_『蛹を隔てた女たち』

『蛹を隔てた女たち』


 これは、神崎つぐみの恋の話だ。いや、恋になれなかった想いの話だ。


 その少女と出会ったのは、諏訪園女学院に赴任してから、1年目のことだった。安っぽい蛍光灯の光を弾く濡れたような黒髪の印象ばかりが先立つ娘だった。長い前髪の間にちらつく蒼玉のような瞳に、ちりと焼け付くような何かを覚えた。影のある、美しい少女。それだけならよかった。名簿で彼女の名前が「諏訪園礼子」というのだと知り、ようやくつぐみは自分がやっかいごとを押しつけられた事に気がついた。

 名簿を見てようやく分かった。社交の際とずいぶんなりが違うのでつぐみには気づけなかった。

 彼女は諏訪園家唯一の、汚点だったのだ。

 

 諏訪園礼子といえば、諏訪園家前当主の妹として良くも悪くも名高い。彼女は、歳をとらないのだ。故に御年86歳ながら、すんなりとした少女の肢体を椅子に放り投げている。

「先生は、女になるというのは身体性に依存すると思いますか? 精神性に依存すると思いますか?」

 礼子のその言葉を、つぐみはよくよく覚えている。それが彼女とまともに会話した、だた一度きりの記憶だからだ。秋口で、窓から金木犀の香りをはらんだ風が彼女の黒髪をそよそよと揺らしていたのを覚えている。

 二人きりの教室。相対する少女と女。

 嘘をつく理由は無かったと思う。少なくともつぐみはそれを心からの答えだと思って口にした。

「女になるというのは、精神性に依存することです。ただ蛹を経て、蝶になることが女の証ではありません」

 その言葉に、す、と彼女の瞳が色を失うのが分かった。前髪が重く垂れ、その表情が見えなくなる。

「先生は、嘘つきね」

 突き飛ばすようなその言葉は、つぐみの心を貫いた。展翅板にはりつけにされたように、つぐみの心はそこから動けなくなった。

 礼子の教師を務めて三年。諏訪園女学院を離任する今となっても、それは変わらない。


「みなさんは女になるために来ました」

 そう言って、まろい頬の幼い少女たちを見回す。

 脇にはこのガイダンス業務を引き継ぐ教師が控えている。熱心にメモをとる様子に、つぐみはわずかに安心を覚えた。

「みなさんはもうすぐ蛹期という時期が来ます。今は子供の体ですが、蛹期になると体が作り替えられ、大人の女の体になります。それを蝶になると、この学園では呼びます」

 少女たちはきょとんとしている。無理もない。ここに居るのは外部生たちであり、蝶となる過程を教え込まれていないのだ。

「あの……」

「なあに?」

 小さな頭の波の後ろ側、小さくあげられた手に、つぐみは声をかけた。

「蝶になれない子は、どうなるんですか」

 不安をふんだんにまぶしたその声は、つぐみにあの未成熟な女を思い出させた。老獪な表情。まろいだけの肢体。艶を失うことのない髪。礼子という女。目の前にちらついた幻影を振り切って、つぐみはなんとか笑顔をつくった。

「蝶になれない子なんていませんよ。ここには選ばれた娘たちしか居ないんですから」


 諏訪園女学院の離任まで2日となった時、礼子に変化が現れた。

「……どうしたんですか」

「妾腹と友達になった」

 会話が成立したことにまず驚き、その内容に更に驚愕した。諏訪園女学院で「妾腹」と揶揄されるのは一人しか居ない。柳財閥の不義の子、千鳥栞だ。そういえば栞は同じく諏訪園に連なる諏訪園杏子とも仲が良かった。その縁だろうか。

 ちりちり、ちりちりと、なにかが焼け付いているような気がした。はりつけにされた心の下の、展翅板が熱くてたまらない。

「あなたも、人に心を許すことがあるんですね」

 その一言は、ぞっとするほど皮肉げな響きをはらんでいた。

「妾腹は、先生と違って嘘をつかないからね」

 そう呟く礼子は女の顔をしていて、つぐみは思わず目を背けた。

 彼女をかつて女だと言ったのに、つぐみは女の彼女を直視することができなかった。


 諏訪園女学院の離任まで1日となった。

 つぐみは、彼女とつぐみだけの教室に諏訪園礼子を呼び出した。

 こんなことをすれば本来懲戒免職ものだが、いまやもう離任する身だ。すべてがどうでもよかった。

 礼子は変わらず、長い黒髪をまとわりつかせてつぐみの前に現れた。椅子を勧めるが、彼女はつぐみの教卓に肘をつく。

「先生、明日ここを居なくなるの」

 礼子から答えは返って来ない。ただ虫を見るような目で、つぐみを見ている。

「ひとつだけ教えて欲しくて」

 つぐみの喉に続きがつっかえる。咳き込んだ勢いで、それを吐き出した。

「……なぜ、私のことを嘘つきと言ったの」


「だって先生、私の体が女じゃないから、恋ができなかったんでしょう」


 礼子の言葉に、展翅板が熱された鉄板のようになった気がした。心が熱く、ただれそうだった。

「先生。先生私と社交で会ったことがあるよね。ずっと私のこと好きだったんだよね。だからここに来たんだよね。でも私の体が子供だから、恋しきれなくて苦しんでたんだよね、それなのに」

 礼子はうっそりと笑う。女の顔で笑う。蛹になれなかった少女は、それでも確かに女だった。

「心が女だから女ですなんて、嘘ばっかり」

 あはあはと笑う声が、がらんどうの教室に響いた。

「恋もできないくせして、言葉ばかりが達者なのね」

 その一言が、とどめだった。

 私の恋になれなかった想いの、終わりだった。



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