第8章 小松柵炎上 2

 


 小松柵陥落より三日後。衣川、並木屋敷。


 この日、貞任は胆沢より主力の軍勢を引き連れ衣川に着陣した。安倍当主となってからは厨川から鳥海柵に拠点を移していたのである。


「……兄上か、よう来てくれた」

「無事で何よりじゃ。しかし、そんな襤褸切れのようになるまで戦いで熱くなるとはそなたらしくないのう」

 身体中に深い傷を負い床に臥せていた宗任が病床から這い出し兄を出迎えようとするのを止め、見舞いに足を運んだ貞任が笑う。

「面目ない。……源氏の強さを、今更ながら思い知らされたよ」

 弱々しく答えるが、彼の目からは義家らを相手に戦い切った満足さが微かに滲んで見えた。

「則任や入道殿は金家の磐井屋敷に逃れたらしい。闇夜の乱戦で散り散りに逸れてしもうて心配しておったが、先程息災の連絡があり安心しておった。……それよりも、軍の指揮に携わっていた武将の多くを死なせてしまったのが只々無念じゃ」

 俯く宗任の掌に涙が落ちる。

 慰めるように貞任が弟の肩を叩く。

「痛ェっ!」

「おお、すまんな。いずれこの雨は暫く続く見込みじゃ。その間は敵も身動きとれぬだろう。今のうちにゆっくり養生するがよい。今にそなたには死ぬほど働いてもらわねばならぬからの」

「はは、怖い怖い。それを聞くと、もう暫く臥せっておった方がよさそうじゃ」

「はっはっ、戯言を!」

 ばんばん、と弟の背中を叩く。


 宗任の寝巻の背に、血が滲んだ。




 小松柵陥落より二週間余り後。磐井郡萩馬場付近、国府軍陣地。


 ――士卒を休し、干戈を整へ、追ひ攻撃せず。又霖雨に遭ひて、徒に数日を送る。粮は尽き、軍中は飢ゑ乏し。


 小松柵の勝利から日数が経過していたが、この二週間ほど長雨が続いており、衣川付近とこちら側を隔てる幾本もの川が増水し渡河する事も叶わず、兵士らは軍備を整え休息をとりつつも陣から身動きも叶わぬまま、徒に時ばかりが過ぎていた。

 膠着状態にあるとはいえ、兵を抱えていれば動かずとも糧食は費やされていく。一万を超える大軍となれば猶の事。兵糧は枯渇し始め、兵らの食事も事欠くようになりつつあった。

「とても今が夏の盛りとは思えませぬな」

 例年にない冷夏に肌寒さを覚え、長袖を着込んだ元親が、薪の傍で湯が沸くのを待ちながら書見をしていた義家の傍に腰を下ろす。

「まさか長月を目前にして火に当たることになろうとは思わなんだ」

 白湯を啜りながら義家も渋い顔をする。

「安倍の動向、御曹司はどうお考えでござるか? 物見の報告では衣川関に続々と兵を集結させているようだが、それ以上の動きは今のところ見えぬ様子。我らと同じく川を渡れぬだけじゃ、と言ってしまえばそれまでだが、これまで彼奴等は真冬の栗駒山を踏破して攻め寄せたこともあれば、霧中に奇襲を仕掛けてきたこともある。その度に形勢を覆されておりまする。この長雨も、何やら嫌な気配がしてならぬ」

 眉間に皴を寄せながら雨曇りの空を見上げる元親に頷き頼義が口を開く。

 今は丁度雨は止んでいたが、またすぐしとしとと降り始めるだろう。

「もし俺が安倍の軍師ならば、雨が止み俄かに晴れ渡ったその時を狙う。敵を対岸におびき寄せてな、こちらの岸に辿り着く手前を見計らって川上で堰き止めていた川の水を一気に流す。……まあ、黴の生えたような手じゃ。流石にこんな古典芸能こてこては用いぬか。何より、川下の田畑が皆水に浸かってしまう。やはり、この企画では貞任から没を食らうな」

 手元の書面に目を落としたまま含み笑いを漏らす。

「心配には及ばぬ。奴らは必ず仕掛けてくるさ。この長雨が止むと同時に、確実にな」

 主の言葉に、元親の顔がますます険しいものになる。

「だが武則もそれは十分承知しているだろう。我らより余程安倍と付き合いは長い」

 顔を上げ、こちらとも割と長い付き合いになった忠臣を見やる。

「そなたの鬼切部の話を聞いていてな、そして俺自身が奴らと戦い苦い思いをしてみてな、いくつか分かったことがあってな。奴ら、思いの外古典的手段こてこてに忠実だという事じゃ。まあ、古典というのは原点でもあるから決して馬鹿にはできぬがな。特に強く印象に残るのは、どの戦でも我らが先に攻めていた。これに対し奴らは常に護りと見せていた。……なのに結局我らは奴らに攻められ負けた」

 元親もそれに思い至り顔を上げた。

「……調虎離山ちょうこりざんか!」

 即ち、調はかって虎を山から離す。

 義家も頷く。

「要は、我らが好機と思い先に腰を上げたが奴らの思う壺となる。それを踏まえた上で武則は今後の策を練るだろう。だが、奴らが先に動くのを待ち続け、ここで徒に時間を費やしていては何時ぞやの多賀城の二の舞じゃ。果たして清原の連中、どうやって安倍に先に仕掛けさせるつもりか」

 二人揃って腕を組む。

 ふと顔を上げた義家が、呆気に取られて立ち上がる。

「――一加?」

 幕営の合間を清原兵達が幾人も行き交っている中に、一目見て女武者と判る後ろ姿があった。

「御曹司?」

 訝る元親を置いて、歩み去っていく後ろ姿を追いかける。

「一加、なぜこのようなところに居るのじゃ!」

 まさか小松柵で虜にでもされたか?

 駆け寄り声を掛ける義家を胡乱な眼差しで振り返る。一加ではなかった。

「……これは、陸奥守の御曹司様。わたくしに何か御用でございまするか?」

 不審そうな眼差しを向けていた女武者が、相手の素性に気が付くと畏まって一礼した。

「いや、すまぬ。……人違いであった」

 義家は詫びるが、落胆が態度に出たのだろう。フン、と冷たく相手が鼻を鳴らす。

 よく見れば一加と似ても似つかない。比べてみれば背丈も随分小柄だし、歳も幾らか若年だろう。あからさまに冷ややかな眼差しを義家に向けているのは、自らの一門に対し服従を示した相手と侮っているからか。何よりも一加と違うのがこの眼差しである。どんなに怒りを露わにした時でさえ、相手を蔑むような表情を浮かべることは決してなかった。

「妾は清原一門の家人、藤原千任ちとうと申しまする。以後、お見知りおきを」

 そう簡単に自己紹介を済ませると、くるりと背を向けて去っていった。

 その後姿を見送りながら、義家は自嘲の呟きを漏らす。

「……まったく、俺は、」

 何をやっているのだ、と頭を抱えているところに、険しい顔をした元親が駆け寄ってくる。

「御曹司、良くない知らせが入りましたぞ!」

 心底苛立たしそうに元親が告げる。

「兵糧の徴発に向かった友軍が、かなり広い範囲で掠奪を働いているとのことでござる!」




 村に近づく前から、きな臭いような匂いが鼻を突いていた。

 義家達が村に辿り着く頃には、丘から見下ろせる集落の家々全てから炎が上がり、家の前で立ち尽くし泣き崩れる民らや、薙刀で追い立てられる者達が悲鳴や怒号を上げ、啜り泣きに暮れる様子が繰り広げられていた。

 燃え上がる集落は、この一邑ばかりではない。俯瞰する風景のあちこちで煙が濛々と昇っている。

 それら狼藉を働いているのは、全て清原兵らと見えた。

「あいつら……っ! おい、一体どういうつもりかっ!」

 義家らより先に丘の上から呆然と掠奪の様子を見下ろしていた他陣の清原兵らに元親が詰め寄り一人の胸倉を掴む。

「国府の御曹司様、我らもこの有様に驚いているのです! 我ら清原は同じ奥羽の同胞に決してこのような乱暴は致しませぬ!」

「あれは荒川太郎様率いる第三陣の兵達ですじゃ。武則様に近しい者らの陣でござる。儂ら光頼様に忠誠を誓う出羽侍にしてもあのような非道は許せませぬわい!」

 もう一人の清原兵も、見るに見かねた様子で声を荒げて答えた。

 荒川太郎とは吉彦秀武の呼び名である。

(吉彦秀武。あいつの指示か!)

 大鳥井山の屋敷で居並んでいた残酷な男の顔を思い出し、義家は胸が悪くなった。

「助けてェっ!」

 悲痛な叫び声に掴んでいた胸倉を離し村を見下ろすと、秀武配下の兵士達が、泣き叫ぶ若い娘を抱え上げて連れ去ろうとしているところであった。

「あいつら奴っ!」

 刀に手を掛け踏み出そうとした元親より先に、「こら、やめんか!」と怒鳴りながら傍らの清原兵達が娘を救いに駆け下りて行った。

「……こんな阿鼻叫喚が、ここら一帯すべての邑で繰り広げられておるのか?」

「それも我ら国府に与する軍勢によってじゃ……」

 血の気の失せた顔で呟く元親に、掠れた声で義家が返す。

「……もはや我らは侵略軍。あの秀武という男と共に戦を続ける限り、この地獄絵図はこれから何度も繰り広げられようぞ。――十郎よ、武則の策、何となく察せられたな」

 山々から不吉な黒煙湧く光景を見下ろしながら、義家は強張った頬を微かに吊り上げる。


 ――磐井郡仲村の地に入らしむ。陣を去ること四十余里なり。耕作の田畠・民戸は頗る饒なり。則ち兵士三千余人を遣はして、稲禾等を刈らしめ、将に軍粮に給せんとす。


 源氏の活躍を礼賛する『陸奥話記』の作中においても、国府軍の兵糧掠奪の様子について右のような記載がある。


 ぽつぽつと、焼け跡の上に再び雨が降り始めていた。

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