第8章 小松柵炎上 1


 康平五(一〇六二)年葉月。衣川小松柵。

 

「……兄上、いい加減ににもう休んでくだされ。我らが気が気でありませぬ」

 一昼夜片時も離れることなく矢倉から南の向こうを睨み据えている宗任に、心配を通り越して呆れたような口振りで則任が声を掛ける。

「敵が目の前まで迫っていることを思うとな、とてもおちおちして居られぬのじゃ」

 振り向こうともせずに、宗任が返す。

 清原・国府の連合軍は、一昨日に多賀城を出立し、松山道を経て栗原から中山へと進み、萩馬場に宿営しているという。小松柵から磐井川を挟んで五町余り(約五百五十メートル)、風向き次第では竈の煙すらこちらまで届く距離である。敵の兵力は定かではないが、相当な規模であろう。

「そうは言っても、昨夜からずっと立ちっぱなしではありませぬか。休める時に少しでも休んで頂かなければ、いざという時にへばられては堪りませぬ」

「……そうだな。いい加減待ち草臥れた」

 意外とあっさり弟の言い分を聞き、宗任は梯子に足を掛ける。

「暫し横になる。何かあるまで起こすなよ!」




 ひと月ほど前。

 清原参戦の報告に、急遽衣川に参集した一同らは、改めて状況を確かめるなり一様に押し黙った。

「……勝てぬ」

 やがて、経清が一言で断言した。

「やはり貴公もそう見るか」

 真任が厳しい面持ちで顔を上げた。

 経清が強面の眉間に深い皴を寄せながら頷く。

「国府に仕えていた立場から言わせてもらうが、鬼切部にしろ、黄海までの膠着状態にしろ、清原が全ての戦局を握っていたのじゃ。言うなれば、清原がどちらに転ぶか次第で戦の勝敗は決まっていたと言ってよい。当初から清原が安倍に組みしていたなら、今頃天下は白河から二分されておったろうて。そして近隣諸国は清原の顔色次第でどちらにも靡き得る。それゆえに国府は再三に亘り協力要請を嘆願してきたのじゃ。だが、当主光頼は頑として動こうとはせなんだ。それが、この戦が十余年も長引いた所以でもあるが」

「なぜ、今頃になって我らに反旗を翻したか!」

 経清の言葉に、拳を握り締めながら家任が呻く。

「武則じゃ」

 腕を組み黙していた貞任が口を開く。

「奴がとうとう清原を牛耳った。他に考えられぬ。最早清原は、我らの知る清原ではない」

 一同が息を飲む。彼の為人ひととなりは皆が知るところであり、――皆が警戒していたところであった。

「奴は清原と奥羽、その制覇しか見えておらぬ男じゃ。戦においては手段を択ばぬ。犠牲も厭わぬ。源氏のような、仲間を庇い合って自滅するような愚かも致さぬ、蟻の行列のような軍勢じゃ。……特に奴の腹心、吉彦秀武には注意せよ。もし、あの男を敵勢に見かけたとしたら、戦場は酸鼻極まるものになると知れ。――皆よ!」

 一同を見回しながら、貞任が告げる。

「もとより勝ち目のない戦じゃ。今更慌てて見せても始まらぬ。ただ胆沢の狼らしく戦え! 何処で倒れようとも陸奥の土じゃ。せいぜい、最後の最後まで悪足掻きしてみせようではないか!」

「――或いは戦を避ける手立てがあるやも」

 誰かがぽつりと呟くのを聞き、貞任は呵々と大笑しながら答える。

「それがあるなら死んだ親爺もくたばる間際まで苦労せんかったさ! のう、」

 優しく笑いかけながら、呟いたものを見つめて言う。

「既に戦は十二年も前から始まっていたのじゃ。……もう後には引けぬさ」




 夜半。

 宗任は兵卒に叩き起こされ、押っ取り刀で矢倉へと駆け登り、息を飲んだ。

「――俺は夢でも見ておるのか?」

 唖然として、それ以上の言葉が続かない。

「……奇遇じゃな。どうやら同じ悪夢に魘されておるらしい」

 先に矢倉に上がっていた良昭が、血の気の失せた顔で無理に笑おうとする。

 新月の闇の中、山々の合間を炎の大河のようにこちらに流れ押し寄せるのは全て敵の松明か。

(いつの間に、これほどの兵力を参集させていたものか)

 今目の当たりにしている敵の総勢、一万と聞いても驚かぬ。

「既に兵の配置は整えておりまする!」

 参謀の一人、安倍貞行が報告する。柵を守備する自軍の総勢は八百余り。

「宜しい。……則任よ、敵はどう動くと考えるか?」

 傍らにいた弟に問う。

「夜討だもの、火攻めと決まっておりまする」

「おぬしもそう思うか。して、持ち堪え得るか?」

 則任が肩を竦める。心なしか、その肩が震えている。

「……あの数ですぞ?」

 は、と宗任が鼻で笑う。同じ見通しとは矢張り兄弟か。否なところばかり似てしまう!

「火攻めに備えよ。此処で可能な限り足止めし、敵を消耗させる。……皆、焼け死ぬ前に、いつでも逃げ出せる用意もしておけよ!」

 振り返り、階下で指示を待つ将兵らに叫ぶ宗任の背後の山々から、闇夜の真っ赤な洪水のように無数の火矢が放たれた。



「話が違うではないか!」

 慌てて甲冑を着込み前線へと駆け付けた頼義らが攻撃陣に指示を出す武則に食って掛かる。

「柵攻めは翌日正午以降、一番名乗りは義家を、と打ち合わせておったのを忘れたか!」

 掴みかからんばかりの剣幕で詰め寄る。不意を突かれ先陣を奪われるとは恥辱の最たるものである。

「まだ寝惚けておられるか? 戦など情勢次第で常に頃合が変わるもの。いつ何時など敵を前に日取りを打ち合わせて戦う馬鹿がおるか。或いは源氏の戦ではそのような作法がまかり通るかもしれぬが、ここは陸奥ぞ。我らのやり方に従ってもらおう。気に食わぬなら後ろで二度寝でもしておられよ!」

 頼義の激怒を軽くあしらいながら武則は配下への指揮に戻る。

(……これは完全に清原に主導権を奪われたな。まあ、あれだけこちらが下手に出ていたのじゃ、そんなことになるだろうとは思っておった)

 この度の陸奥攻略における軍勢は七陣で編成されており、内訳は清原勢一万余、それに対して源氏・国府勢は五百程度に過ぎず、実質この戦は国府より口実を得た清原軍による奥六郡侵攻と言ってもよい。

 呆然と立ち尽くす頼義を他所に、「さて」と義家は配下に声を掛ける。

「ああいう謂い様をする連中じゃ、指図に従ってやる筋合いはない。我らは我らの戦をするぞ! 源氏の作法を見せてやれ!」

 応っ! と威勢よく答える配下の騎馬らを従え、義家は川沿いに馬を走らせた。

 このまま進めば、一加と初めて出会った河原を横切ることになる。

 複雑な思いを振り払うかのように、義家は手綱を握り締めた。




 小松柵の周囲が炎を上げている。

 闇夜の空に届くほどの火勢は、きっと並木屋敷からも良く見えるはず。今頃衣川の皆は大騒ぎだろう。

 だが幸いなことに燃えているのは外周に留まり、未だ砦内部まで炎は届いていない。

「はっは、よく持ち堪えてくれるものじゃ!」

 宗任が見下ろす矢倉の屋根にも、カン、カンと火矢の当たる音が絶え間なく聞こえるが、突き刺さり燃え移ることはない。この矢倉をはじめ、小松柵内側の屋根や柱は全て鍍金を施した鋼鉄で葺いている。いつか頼義に詰られた通り、この砦を含む国府領に接する各要所は鬼切部当時の決戦に備え大金を叩いて補強を施していた。

 加えて、この柵は衣川関に次ぐ天然の要害でもある。


 ――件の柵、東南には深流の碧眼を帯び、西北には壁立の青巌を負ふ。

 

 敵の正面は川に遮られ、後ろも絶壁に護られている。

 確かに、火攻めを受け続ければいずれ焼け落ちるだろう。だが、どのみち敵はここまで踏み込むことはできぬ。そのうち夜が明ければ、衣川・金ヶ崎より援軍も到着するだろう。或いは間に合わずとも闇に紛れて脱出できよう。

 ここでの仕事は、反撃の機会までひたすら敵勢を消耗させることである。

(……よし、いいぞ。どんどん射掛けて持ち矢を費やすがよい!)

 手に汗握りながら火の玉の海のような敵勢を固唾を飲んで見下ろしている宗任の元に、喘ぎながら梯子を上ってきた兵卒から耳を疑うような報告を受けた。

「宗任様、砦壁が破られ、敵が侵入いたしました!」

「何だとっ!?」


 矢倉から砦の内側を見下ろすと、自軍兵士らと薙刀振るい剣戟を交わしているのは見慣れた甲冑姿、嘗ては友軍と親しんでいた清原方の敵兵達である。その中には黒衣に身を包んだ見慣れぬ装束の兵達も見えた。

 目視で把握できるだけでも少ない数ではない。

(いったいどうやって……?)

「内側から門を破られるは時間の問題でござる。如何なされるかっ?」

 階下で貞行が叫ぶ。

 宗任が言葉に詰まる。

 既に敵の侵入を許した。最早この砦の護りは盤石ではない。いずれこのままでは中から食い尽くされ殻ばかり残る有様となろう。

「――開門用意!」

 突如真下から聞こえる号令に驚愕し、宗任が欄干に張り付いた。

 見ると、安倍軍武将安倍時任が小松柵守備隊主力を門に集め太刀の鞘を鳴らしたところであった。

「時任、何の真似じゃっ⁉」

「宗任様、最早これしか道はないのでござろう。貴方様は逃げられよ。我らが囮になりまする!」

 ニッと時任は覚悟を決めた晴れやかな笑顔を見せる。

「待て、早まるでない。……もう少し思案すれば、何か良い策が思いつくはずじゃ!」

「その思案の間に、我が主の首を打たれてしまったのでは堪りませぬわい! 宗任様、共に戦えて楽しゅうございましたぞ! ――全軍突撃にィっ!」

「開門!」

「前へエェっ‼」

 涙ながらに引き留める宗任の声も虚しく、時任率いる守備隊八百は清原勢一万余の只中に斬り込んでいった。

 



 宗任らは小松柵を放棄し、衣川へと敗走した。

 炎上する砦の熱気が、ここまで距離を経てすらも背中に感じる。

「……なに、これが初黒星。たった一回負けただけでござる」

 そう自分に言い聞かせるように則任が呟く。

 砦に侵入した敵精鋭と刃を斬り交わし生き残ったのは三十騎に満たない。

「……それにしても、新月の夜で良かった。夜闇に紛れ敵の目を掠めるには都合がよい」

 せめてもの幸いと、気休めにもならぬことを独り言ちる。

 その他は、皆無言であった。

 その新月の闇の中を、こちらに向けて馬を走らせて来る者らがある。

「備えよ!」

 さっと身構える一行の周りを、幾十騎もの騎馬武者が忽ち取り囲む。

「小松柵から落ち延びられる安倍方の武将らと見るが、――相違ないな?」

 聞き覚えのある敵将の声に、宗任が愛想よく答える。

「やあ、これはこれは御曹司。お久しゅうございますな!」

 ハッと息を飲む気配があった。

「……宗任殿か。懐かしいな。何時ぞやの宴ではお世話になり申した」

 低頭する義家に宗任はケラケラと笑い声を上げる。

「何時ぞや、とは、以前ここで開いた宴のことかな? ……それとも黄海で開いた宴でござるか。いずれも楽しゅうござったな!」

 義家が答えぬ代わりに、周りの騎馬達がじり、と怒気を込めてにじり寄る。

 やがて顔を上げた義家が薙刀を握り直す。

「……その黄海で受けた我が一門の屈辱、今宵御身を以て晴らさせてもらうぞ」

 フン、と鼻で嗤うと、宗任もまた、刀を抜いた。

「今宵月明かりが射さぬというのがちと残念じゃ。そなたら源氏に今一度、我ら胆沢狼の白き衣が翻る様をご覧じて、再び心底慄かせてやれたものを。――諸共よ、戦の続きじゃ。一人も討ち漏らすなよっ!」

 眦鋭く豹変した宗任の号令の下、一斉に得物を振るい上げた安倍武者達が源氏の騎馬達に斬りかかっていく。

 しかし、周到に練り込まれた黄海盆地の奇襲戦ならいざ知らず、源氏を相手に正面切っての騎馬戦である。

「ぐあっ!」

 袈裟懸けに薙刀の斬撃を受けた貞行が血を噴いて地に転がった。



 ……明くる朝、身体中を己の血と返り血で染め、半死半生で衣川関まで生還したのは宗任只一人のみであった。


 ――賊衆、城を捨て逃げ去る。則ち火を放ちて柵を焼き了んぬ。


 この攻防戦で安倍軍は敗退し、護りの要、小松柵は清原・国府勢の手に堕ちたのである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る