第3章 磐井郡の合戦 2


 同年秋。磐井郡、河崎柵。


「意外とあっさり退いて行ったものよな」

 合戦の爪痕を見回りながら良昭が呟く。

「昨日は小手調べに過ぎぬのでしょう。国府気仙勢は登米に本陣を敷いたまま、我らのすぐ目の前に即応兵力を待機させておりまする。雪が降る前に本格的な攻勢に入るはず」

 その後ろに続く磐井軍武将金師道が答える。

 良昭が頷く。

「左様。丁度今は稲田の刈入れ時、多くの兵が我が家の仕事に戻り、最も陣が薄くなる時じゃ。それは敵も同じであろう。軽く叩いて音の鳴り様を試みるには良い頃合と見たのだろう。やがて刈入れが終われば兵も戻り、兵糧も集まる。閑期の手間賃目当ての傭兵も募りやすくなる。次こそ国府はこの柵を落としに掛かるぞ」

「それを言うなら我らとて同じ条件ですぞ! 気仙奴、為時のこいた屁のような小勢をぶつけてきおって! 来るなら本気で掛かってくるがよい、今度こそぐうの音も出ぬ程痛めつけてくれるわ!」

 良昭の傍らで唾撒き散らしながら為行が吼える。

(しかし、気仙も難儀なことじゃ。為時殿らも、我ら安倍と血縁を結んでおるのは為行殿や経清殿と同じ。だが、あちらは国府の直轄領。我らと国府に挟まれながら中立の立場を取る事も叶わず、国府の謂いのまま従う他選択の余地はなかった。府内でも経清殿らと同じく、苦しい立場に置かれておるだろう。現にこの通り早速戦の矢面に立たされ、同族同士の戦いを強いられておる。さぞ無念であろう)

 良昭は心中で嘆息した。戦の嚆矢を引いた裏切り者と謗る者も大勢いるが、敵味方に分かれたとはいえ、身内である気仙の置かれている苦しい状況に同情的な者は安倍内部にも少なからずいたのである。

「とはいえ、」と為行にしてはやや声を落とし気味に口を開いた。

「この度に限っては小手調べの小競り合いで済んで良うござった。攻め手の中に永衡殿をお見掛けしましたぞ」

 驚いて良昭が振り向いた。

「それは確かか?」

「吾輩も永衡殿との直接の面識は中加殿との婚礼の儀に同席した時のみじゃ。だが、その際に永衡殿が頼時殿から賜っていた銀の兜はよく覚えておりますぞ。あれは確かに永衡殿のはず。そうなると、恐らく敵勢には経清殿もおられたか」

 三者難しい顔を浮かべ立ち尽くす。

「嫌な懸念が当たりましたな」

 師道も複雑な表情を浮かべる。

 河崎柵の攻防は、奇しくも今や安倍氏における同族同士の殺し合いの様相となっている。

 とても愉快とは言えない状況に眉を顰める二人とは別に、良昭はもう一つの懸念を抱いていた。

(不穏分子を矢面に立たせる。……それだけで済めばよいのだが)





 衣川、並木屋敷。


 馬の鍛錬を兼ね、一加は今朝早くに屋敷を出た後に、衣川から門崎周辺まで遠乗りし、昼前に戻ってきた。開戦と同時に金ヶ崎の居城から衣川に召集されて以来、何かと気の滅入る毎日である。このままでは気も滅入るし、身体もなまる。

 五年前に勃発した戦の際、非常時の銃後の守りに備え、当時まだ女童であった一加も皆と一緒に軍事教練を叩き込まれており、弓馬の扱いは体に染みついている。阿久利川の一件より、いつも乗り慣れている栗毛から軍馬に乗り換えたが、すぐに手綱の扱いは思い出した。


 衣川関前の練兵場を通りかかり、思わず馬を止める。

 頼時の閲兵の下、鍛錬に勤しんでいるのは一加と同じく金ヶ崎から召集された常駐兵達である。

 鬼切部の戦にて、僅か百名足らずで真冬の須川渓谷を踏破し、秋田勢五百を壊滅に至らしめた貞任配下の陸奥勢最精鋭部隊。

 その教練の厳しさは格別と聞こえも高く、端で見ている一加も彼らの気迫に冷汗を覚えるほど。

 そこへ大きな銅鑼の音が響き渡り、頼時の鋭い号令で全員が揃って武具を収めた。

 昼食の時間である。

 程なくして、屋敷の雑仕女らが屯食を携えて現れる。

 その中に、一加の双子の侍女達の姿も見える。

 二人とも以前に比べ背丈も頭一つほど高く伸び、頬の赤身もすっかり抜けて、今や女童から一端の少女へと成長しつつあるようだ。

「おにぎりをお持ちしました」

「姐さまもお一つどうぞ」

 竹の皮で包んだおにぎりを受け取り、双子達と適当なところに腰を下ろして頂く。

 教練中は触れれば指を切りそうなほどに張り詰めた表情を浮かべていた兵士達が、皆顔を綻ばせ飯の包みを受け取って思い思いに寛いでいた。今も昔も、厳しい教練の日々に於て束の間の食事の時間程嬉しいひと時はない。

 包みを開くと、米に麦と刻んだ根菜を混ぜた小さなおにぎりが二つ。

 今は丁度稲の収穫期。兵隊達が訓練に汗を流しているすぐ向こうの田んぼで、兵直を割り当てられていない男達が妻子達と一緒に刈り取った稲をハセに吊るしている。米は収穫してもすぐには食べることが出来ない。何週間か風に晒し水気を飛ばす必要がある。そのため、収穫期は食糧の備蓄が一番乏しい時期でもある。

「早く今年のお米が食べたいものだわね」

「……いや、今年はどうやら米が採れぬ。一度ヤマセに当たっておるし、多くの稼ぎ手も戦の備えの為に搔き集めてしまったしのう」

 呟く一加に、近くに座っていた重任が答える。その隣には貞任の息子、千代童子が並んで腰かけていた。まだ数え八つの歳であった。

 所用で津軽に出向いている貞任に代わり、この日は重任がその息子の稽古をつけていたのである。

「お蔭で暫くはこの混ぜ物の小さい握り飯で辛抱せねばならぬが、まずは若い者に腹一杯食ってもらわねばならぬ。ほれ、拙者はもう腹一杯じゃ」

 握り飯を一口で頬張ると、もう一つを千代童子の包みへ分けてやった。

 そこへ練兵場中に響き渡るような大声が飛んでくる。

「おいこら! またそうやって倅を甘やかそうとなさる! だからこの息子はいつまで経っても寝小便が治らぬのじゃ!」

 薙刀片手に現れた母親の姿に、千代童子は「ひゃあ!」と悲鳴を上げて首を竦めた。

 金為行の娘であり貞任の妻、東和御前である。立烏帽子に甲冑姿で、柳眉を逆立てくわっと目を剥き吼える様子は、大虎殿の息女だけあって女だてらに胆沢の猛者達の中においても遜色がない。

「はっは、いつ見ても勇ましいのう義姉殿。どうやら貴殿の愛しい人が今戻られたようですぞ」

「何ィっ!」

 重任の言葉にくわっと目を剥いてあちらを向くと、丁度従卒達を連れた貞任一行が練兵場の門を潜り入るのが見えた。

「やあ、父上。ここに居られたか。只今外ヶ浜から戻ったところでござる」

 上機嫌で父に下馬の礼を執る父親に、千代童子が大喜びで駆け寄る。

「おお、良い子にして居ったか? お土産がある故、後で楽しみにしておれ」

「またお前様もそうやって甘やかす!」

 にこにこと息子の頭を撫でる亭主に向かって薙刀を携えて迫る。

「東和よ、そなたにも良い物を持ってきたぞ。その前に、ほれ」

 懐から差し出られた物に目を落とすと、思わず東和は言葉を飲み込んだ。

「帰路の途中で摘んで来たのじゃ。確かこの季節になるとそなたが決まって部屋に飾っていたのを思い出してな」

「……まあ」

 可憐な深山竜胆の花束を受け取った東和が、ぽっぽっと頬を染め、それきり静かになった。皆が安堵の溜息を漏らす。

「さて、本題はこれじゃ」

 貞任が声を掛けると、配下が一丁の武具らしきものを手にして前に出る。

「ほう、いしゆみか。実際に触れるのは初めてだが、思っていたよりも、ちと重いのう」

 受け取った頼時がまじまじと眺め、呟く。

「一先ず唐土より三十丁ほど買い取り、厨川に運ばせ申した。弓を扱うには長い期間の訓練を要するが、これならば矢を番えれば、後は狙いを定めて引き金を引くのみ、扱いは簡単じゃ。今後戦が長引き、多くの男手を戦や弓馬の鍛錬に長い間駆り出していては、田畑の耕作に大きな支障が出よう。万が一、止むを得ず未習熟の若者や女人を戦の護りに就かせる場合、役に立つかと思いましてな。尤も、そんな事態は万に一つとしても絶対に避けたいが」

 昼食を済ませた兵士達も興味津々と集まってくる。

「しかし、射るのは容易いようだが、矢を番えるのにかなりの力がいるぞ。もし女子供に扱わせるとしたら、これでは二人掛りじゃ。配備するならばそれなりの運用方法を検討せんといかんだろうて」

 頼時が難しい顔をして唸る。

「実はもう一つ面白い物を見つけてきましてな。これならば女人でも手軽に扱えるだろう。一加よ、そなたへの土産じゃ」

「私にですか?」

 双子達と一緒に弩をしげしげと見ていた一加が顔を上げ、差し出されたそれを受け取った。

「あら、可愛らしい(?)。これも弩ですの?」

 確かに弩には違いない。しかし大きさは娘の前腕ほどしかない。仕組みも大分簡略化されているように見える。矢の長さも一尺程度である。

「威力はありそうだが、射程距離は短いだろうのう」

 あまり肯定的ではなさそうな様子で頼時が腕を組む。

「まあ、試しに射てみるとよい。一加よ、あの棒杭を狙ってみよ」

 貞任が指さして見せるのは、先程まで兵士達が打ち込み稽古に使っていた太さ七寸程の木杭。距離は十数間程度(ざっくり約三十メートル)、一加の弓の腕なら十分狙える的である。

 兄に教えられながら矢を番える。確かに女性の腕でも難なく装填できるので扱いやすい。

「では、いきます」

 パァアン。「うわっ!?」

 思いの外反動が強く、一加は危うく腕を弾かれそうになり手元が狂う。

「うわっ!?」

 的から逸れた矢が様子を眺めていた家任の前を掠め、すぐ後ろの柿の木の枝を弾き飛ばしボタボタと柿の実が落下した。

「わあ、大当たりでございまする!」

「わーい、柿でございまする!」

 双子達が大喜びで歓声を上げる。

「しかし、まだ食うには早かろう」

 柿を一つ拾い上げ重任が呟く。それにこれ渋柿であるから。

「まあ、せいぜい護身用じゃな」

 頼時が溜息を吐く。

「……ところで、出向先にて、気になる話を耳にしました」

 貞任が表情を改めて父に告げる。

「どうやら、津軽の富忠様の居城に気仙の者が出入りしているようでござる」

 頼時が眉を顰める。

「……確かな話か?」

 安倍富忠は奥六郡北部並びに津軽方面を治める俘囚の頭であり、頼時の従兄弟である。津軽は、この度の戦においては頼時らが開戦の宣言を告げると同時に陸奥側に参集した磐井に並ぶ盟友であり、敵である気仙側の人間が易々と出入りできるはずがない。

「それだけではござらぬ。他にも宇曽利周辺の各頭目らにも気仙の気配が聞こえておりました。いずれにせよ、国府方に何かしらの調略の動きがあるのは確かなようです」

 難しい顔を浮かべ頼時が考え込む。

 その様子に、重任ら息子達が父の下に集まる。

「確かに、国府側は未だ表立って動いては居らぬ。水面下で何かしらの大きな企てを進めていることは十分にあり得る。……重任よ、そなたは一度遠野の屋敷に戻り、気仙の動向を監視せよ。閉伊郡は気仙の勢力圏じゃ。場合によっては牽制も必要かもしれぬ」

「はっ、速やかに」

 一礼し、重任は練兵場を退出した。

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