第50話 ラクで、楽しい
「……なんで」
なんとか返した私の声は、よれよれと戸惑ったものやった。
「べつにミクや周りにうるさく言われよるから、ちわけやない」
誠司は言い訳をするようにそう話した。
「なら、なんでよ」
訊ねると「ふー」とため息のようなもんをはいてからちろりと横目にこちらを向いた。
「楽しい」
「……へ」
「『素』を出せる、いうんは、ラクや。ラクで、楽しい」
いきなり、なにを言いよるんか。
「おまえとなら、こんな俺でもちゃんと家族作れるような気がした」
「なにを……。幸せに出来んって言うたやん」
「ああ。けどそれはほかの
瞬くんの顔が浮かんだ。彼はあれでちゃんといいお父さんになれるんかしら。
「今更そんなこと言われても……」
「なんで。どうせ俺に遠慮して彼氏のひとりも作れんのじゃろが」
言い返そうと思って誠司の顔を見たその時、その向こう遠くに見覚えのある二人の姿が見えた。
あれは……瞬くん。とその彼女、か奥さんか。
あかん。今誠司と瞬くんが鉢合わせたら絶対ろくなことにならん。下手したらほんまに警察沙汰やし、そうでなくても妊婦の彼女さんの前でなにをしだすか。
咄嗟にあたふたしたけど余計に不自然になってしまい結局は「なんや」と誠司を振り返らせてしまった。
「あいつ……!」
その刹那、私は急いで誠司の手を掴んでその場から離れるように思い切り引いて駆け出した。
「な」
さすがの誠司も不意を突かれたらしく、よろけるようにしてそのままついてきた。
だいぶ進んだところでようやく足を止める。息は上がって、へたりこみそうになって膝に手をついた。誠司はそんな私を見下ろしながら「ほんにお人好しやの、おまえは」と呆れ顔で言う。お人好し、そうなんかな。私は、ただ守りたかっただけよ。
今のこの、誠司と二人だけの時間を。
「……浮気」
ぽつりと言うと、誠司は「はん?」と気の抜けた返事をしてきた。聞こえてないとあかんから、また言い直す。
「浮気せんって、約束できるんなら……」
「あ、なんか挟まったなあ」
は?
「ちょ、見て。歯になんか挟まった。キャベツかもやしか、肉? わからん。ここの奥歯」
恥ずかしげもなくこんな外で「あー」と大きく口を開けてくる。それもこんな大事な話の途中になんでやボケ。
「もう、どこよ? なんもないよ?」
付き合う私も私ですが。
「下や下、
「左? こっち?」
「あほ。俺の左じゃ」
「ああ、そうか。で?」
「
「あー……ある、かも。うん、あるある」
ほんま、なに、これ。
家族やん。こんなん。
「取って」
「はあ? 無理無理、自分でやって」
「出来んから言うとんじゃろが」
「嫌やよ、ひとの口に手入れんのなんか」
「はあん? 人助けじゃろが」
はー。もう。
「浮気、せん?」
「……あ?」
まだ口の中に指を入れてみたりして足掻く誠司は「なんの話」という顔でこちらを見る。ほんまにアホが。
「だから、……浮気せんなら、結婚してもいいって話」
すると相手は口に入れていた指を出して「あ、取れた」とキャベツかなにかの繊維を見せてきた。はあ、よかったなあ。
そうしてそれを眺めつつ少し黙ると、やがて「浮気なあ」としみじみ呟く。本来即答できん時点でアウトやけどな。
「三回まで、とか決める? いや、十回くらいは余裕ほしいな」
こいつはほんまに。
「やっぱなし! お断りっ!」
私がそう叫ぶと誠司は残念がるそぶりもなく「ははん」と愉快そうに笑った。そして「ならしゃーないな」とまた夜道をぶらぶらと歩き出した。
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