第7章 カレーは案外辛くない

第44話 違和感の真相は

 さすがの誠司もそれからしばらくの間は私の前にその姿を現すことはなかった。


 それはもしかしたら単純に仕事が忙しいだけなんかもわからんけど、とにかくあいつがおらん方が私の周りは平和やった。思い返せば昔からそう。あいつが現れんほうが事件はなんにも起こらんのよ。


 そう。やっぱりあいつはうちのカレーなんかやない。あかん、私もすっかり騙されよったんや、やっと気がついた。


「でもそれ、やっぱりなーんか違和感ない? 真知ちゃん」


 うちのお茶の間でそう口を尖らせるのはミクさん。今日は生後三ヵ月になったうちの息子、悠吾ゆうごに会いに、お店やなくて住居の方に来てくれていた。


「またそんなこと言う。いや、誠司ならやりますって、衝動でうごく、いうか、そういうとこ昔からあるもん」


「そうかなあ……」


 このやりとりはミクさんにあの日の出来事を話してから度々あった。私が何度誠司の勝手ぶりを熱く証言してもミクさんはこの通りに「そうかなあ……」と首を捻るばかり。


「じゃあなんや、いうんですか? その『違和感』ちうんは」


 私がそう訊ねるとミクさんは「んん」と考え込んで結局は「なんかなあ」とだけ答えた。そしてどこを見るでもなくぼんやりと宙を眺めて、やがて「誠くん、ちうより」と呟くように言う。


「瞬くんのほう……かも?」


「……え?」


 思わず聞き返した。


「いや、なんとなくね。そう……潔く引きすぎ、いうか、なんかそんな気いせん?」


「うーん……。ほでもあんな、理不尽に殴られよったら、ね。初めて殴られた、言いよったし、怖かったんとちがうかな」


 仕方なかった、と今となっては思うけど。


「ほでも結婚前提にしよったんやないん? そうでなくても、将来の話とかもしてたでしょう?」


 たしかに、それはそう。それやのにあんなにあっさり振られるとはたしかに想定してなかった。でもまあ、それもまた今となってはもう済んだことやし。


「あかん。なんやもやもやしてまった。ねえ真知ちゃん、誠くんと連絡出来んの?」


「ええっ、嫌ですよ」

 せっかく会わずに平和に過ごせよるというのに!


 私が断固拒否をするとミクさんはあからさまにがっかりした様子で「あー、あかん」と何度も繰り返して項垂れてしまった。



 違和感……。考え過ぎと思うけど。でもたしかに誠司からの言い分は聞いてない。でもこちらから連絡するのは今でもやっぱり気が引ける。なかなかに酷いこともたくさん言ったし……。


 それなら、瞬くんに? 彼とはあの日以来連絡を取ってない。そもそも通じるんかもわからん。でも、もし通じたとしてもなんて聞けばいいんか……。「嘘ついてないよね?」なんて言えるはずないし、なによりあんな記憶今更思い出したくないと思うし。


 でも思えばたしかに。誠司があんなに怒りよるんは、まして暴力なんて不良時代ならまだしも社会人になってからは知る限りでは初めてやった。


 やっぱりなにか、ほんまの理由があったんかな……?



 その数日後、私は悠吾の予防接種のために産婦人科医院に隣接する小児科医院を訪れていた。


 建物自体は別でも、駐車場は産婦人科と共同。小児科の待合室の大窓からその景色を何気なく眺めていた。歩く人や車を乗り降りしている人にはお腹の大きな妊婦さんもちらほら見られて懐かしい。


 私もあのくらい大きかったっけな、巨大児やったもん、もうちょっと大きかったんかも。双子ですか? なんて言われたこともあったもんな。


 そんなことを考えていると、見覚えのある気がする一台の車が敷地内に入ってきてゆるりと停まった。


 まあたまたま同じ車種なんやろな、そう思っていた。だってまさかが、産婦人科や小児科に用があるはずがないもん。けどその運転席から降りてきた男性を見た途端、私は息も忘れて固まった。


 なんで瞬くんが……?


 彼は後部座席のドアを開くと中から女性が降りるのを優しく手助けしよる。


 その女性は、お腹が少し膨らんだ妊婦さんやった。


 ぞくりと寒気がした。表現しづらい、足元が痺れるような感覚。幻を見るような、そんな気持ち。


 お姉さんや妹さんでないことは二人の雰囲気からすぐにわかった。いとこ、友達、いろいろと考えを巡らせるけどどれも当てはまらん。


 だってそれは、間違いなく幸せいっぱいの新婚夫婦の雰囲気やったから。


 二人は私が見ていることに気づくはずもなく、仲睦まじく寄り添いながら産婦人科の自動ドアへと消えていった。


 しばらく呆然として、息子の名前を呼ぶ看護師さんに気が付かず困らせてしまった。



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