第5話
その日諒は、とある駅の改札口にいた。
仕事帰りのサラリーマンやOLたちが大勢行き交う駅の改札口の隅っこで落ち着きのない様子で立っていた。周囲をきょろきょろと見渡したり、スマホを確認する様子からいち早くここから去りたい気持ちが透けて見えた。
(どうしてこんなことに)
小さなため息を吐くと少しだけ心の緊張が緩んだ気がした。
あの時送られてきた菓子箱とメール。そのせいで今ここに諒はいる。ナスの人こと、有馬志乃とのお食事のためだ。
誘い文句というより強制なのでは? と疑うような都合聞きに諒は負け、返事をした。正直その日は無理であろうという忙しい日を狙ったのだが相手は是と答えた。打つ手なしである。
(原田さんも絶対に行けって言ってたもんなぁ)
無駄に悩むことが性分ではない諒はメールが着て早々に原田に相談していた。既婚者であるから経験が豊富だろうという諒の勝手な思い込みでの相談だが、これが功を奏して服装から仕草まで女子とはこういうものである、という講義を受けた。めちゃくちゃ勉強した。
諒は伊達に年齢=彼氏なしではない。男のことなど皆目見当がつかないし、これから理解できるかと言われると不安の一言である。そもそも今日の食事だって果たして有馬がそういうつもりで誘ったのかすら怪しいところだ。
諒の中の男というのは身近では父しかおらず、その父も他界した今、親しい男などいないのだ。
今日はナスが美味しいお店と聞いて本音は楽しみにしていた。ナスに目のない諒はこの日のためにナス断ちをしてきたぐらいだ。ただそこに男女のお付き合いという不確定要素が加わるとどうしても尻込みしてしまう。これが女友達とだと唯々楽しい食事で終わるだろう。
しばらく考え込んでたら目の前にスリーピーススーツが現れた。
「こんばんは。遅くなってすみません。待ちましたか?」
少しだけ走ったのか所々髪が乱れている有馬がそこにいた。
完璧な様しか見たことがない諒は少しだけ茫然と見つめていると有馬が恥ずかしそうに髪を直し始めた。
「遅れそうになって……、ちょっと焦りました」
「あ、そんなに待ってませんよ。私の方が予定より早く着いちゃっただけですし」
言外に大丈夫だと伝えると、ふわっと笑って「ありがとう」と言った。
(案外この人よく笑うのね)
最初に会った印象だと仕事ができる人間という感じだ。そしてなぜかほんの少しだけ冷たい印象を受けた。と言っても野菜選びに悩んでいる人にわざわざ声を掛けるという時点で優しい人である事は間違いない。恐らくスーパーの明かりと諒との身長差がそう感じさせたのだろう。
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