ナスが原因でエリート社長に捕まりました
稲子
第1話
大手企業に勤める常盤 諒(ときわ りょう)は今年二十八才になる恋人なし=年齢のOLだ。
高卒で入社してから総務部にずっと在籍しており、それなりに信頼され任されている仕事も技量が必要なものが多くなった。真面目で誠実な諒を周りは良く思って可愛がってくれており、それに応えようと彼女も努力を怠らず精一杯務めた。
そのおかげか彼女は今や職場で後輩達を教育する立場になっている。
諒は名のせいか男性だと思われることも多く、人と会う度に驚かれることもままある。小さい頃はそれがとても嫌で、先生など初めて会う人に「常盤諒くん」と呼ばれるのが好きではなかった。君付けで呼ばれることがとても恥ずかしいお年頃だったのだ。
それも今となっては本人にとって初対面の人にインパクトを与え覚えてもらえる、少しだけメリットのあるモノだと考えるようになった。
そんな諒は最近になって一人暮らしを始めた。
生まれて初めての経験だ。
諒は三人家族の次女で二歳上に長女がいる。彼女は今でも実家暮らしをしている。母を1人にしておけないからだそうだ。
父は数年前に他界した。ガンだった。みるみるうちに疲弊していく父を見るのは辛く、けれど懸命に母と共に支えた。
最期は家がいいと在宅療養という形で退院し、その後あっけなく死んだ。看取ったのは偶然有休で家にいた諒と母だった。
今でも父の最期の姿が目に浮かぶ。引きつるように呼吸をし始めた父は目を見開き起き上がろうとした。けれど起き上がることは出来なかった。大きく呼吸をし取り込もうとする姿と浅くしか吸えていない音、大きく痙攣する身体。その光景は諒の目に焼きつき、数年経った今でも心に深い傷をつけたままだ。
「どっちがいいんだろう……」
諒は今アパート近くのスーパーにいる。
今晩の食材を買いに、仕事帰りに寄ったのだ。そして手には今が旬のナスが握られており、たくさん積まれている中からどれがいいかと選りすぐっている最中だ。そのさまは鬼気迫るものがあるらしく、彼女の周りを人が避けるように通っていた。
ナスは諒の好物であるから彼女が真剣になるのも致し方がないのかもしれない。
「右手にあるナスの方が質がいいですよ」
「ひゃっ」
突然背後から聞こえた声に諒は驚き飛び上がった。その拍子に棚に足を打ち付けてしまいガツンと鈍い音がした。
「いったぁ〜」
「ああ、すみません。そんなに驚かれると思わなくて。真剣に悩んでいる様子だったから」
打ち付けた足を抱える諒を心配そうに見つめる男性がそこにいた。
百五十八センチの諒が見上げるほど身長が高い。頭一つ半ほど離れていそうだ。高身長のおかげかスリーピーススーツがとてもよく似合っていた。
「大丈夫ですか」と問われてハッと自分が見惚れていることに気づいた。
「騒がしくてごめんなさい、大丈夫です。あの、野菜の良し悪し、わかるんですか?」
諒は男に言われた右手にあったナスを見た。男はニコッと人好きな顔をして陳列棚から他のナスを手に取った。
「ナスはヘタの部分がツンとしっかりしていて、尚且つボディに艶と張りがあるものがいいですよ。小さな棘もあるからあまり触らない方が身のためですが、出来ればそういうものが良い。新鮮ですから」
男は諒に「いくついりますか」と確認してから選んだものをカゴに入れてくれた。
「ナス、お好きなんですか?」
選んでくれている間にそう質問したら笑いながら「目利きするのが仕事なもので」と言った。
「そういう仕事をしているから分かるようになっただけで大好物! というわけではないですよ。貴女は好きそうですね」
先程までの真剣な諒を思い出しているのか、くつくつと笑う男に今更ながら自分の行動が恥ずかしくなってきた。
お礼を言う諒に男は別れ際「また会いましょう」と言った。なぜ「また」なのか首をひねるが、近所に住んでいてこのスーパーにもよく来るのだろうと結論付けた。そのぐらいこの地域にはこのスーパーぐらいしかないのだ。
そしてその日の晩、諒は男に選んでもらったナスで麻婆茄子とナスの煮浸しを作った。とても美味しかった。
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