小説レベリング100日チャレンジ

多架橋衛

32日目『白と黒』お題:実らない恋

『白と黒』



 そのホワイトホールは、今日もせっせと宇宙に物質を放出していました。ご存じの通りホワイトホールとは、宇宙が消滅して新しい次の宇宙ができた際、前の宇宙が残していったエネルギーの残滓が周囲に広がる現象のことです。アインシュタインの相対性理論で述べられているように、エネルギーと物質は物理においては等価な存在です。わたしたちの宇宙に様々な物質が満ち満ちているのは、こうやってホワイトホールがエネルギーを供給してくれているからにほかなりません。もちろん、前の宇宙が残していったエネルギーの残滓が尽きてしまえば、そのホワイトホールは寿命を迎え消滅することになります。

 ホワイトホールは新しい宇宙が始まってから自身の寿命を迎えるまで、ひたすら、物質を放出し続けるのです。

 こう聞くと、何ともさみしい一生を送っているのだなぁと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 ですが、実はそうではないのです。

 なんとそのホワイトホールはいま、恋に身を燃やしているのです。

 きっかけはほんの十数億年前のこと。

 いつもの通り物質を新しい宇宙空間に放出していたホワイトホールは、周囲の物質の存在分布に妙な不均衡を感じました。宇宙において、物質の存在分布に偏りが突然生まれることは不思議ではありません。不確定性原理からも明らかなとおり、空間のある一点において、エネルギーが一時的に変化するからです。これを量子ゆらぎなどと呼ぶのですが、このゆらぎがわずかな重力の不均衡を生み、物質が引き寄せられ、ついには星となります。むしろ宇宙の新陳代謝においては正常な現象なのです。

 また、こういった偏りが生まれたからと言って、物質を放出するホワイトホールはほかにもたくさん存在しますし、問題となるようなことは一切ないのです。

 とはいえ、きれいな球形であるはずの自分の周囲が一様でないというのはどうにも居心地の悪いものです。枕やマットレスが自分の体に合っていないような、あの違和感と同じです。

 そこでそのホワイトホールは居心地の悪さを解消しようと、物質の存在分布を均等にするため、著しく物質の薄い場所に向かって物質を放出しました。いっときは周囲の状態が一様になって、これで落ち着いてゆっくりできると思ったのですが。

 すぐさま元の不均衡な状態に戻ってしまいました。

 そのホワイトホールは意地になって、物質を放出し、不均衡に戻り、また放出し、を何度か繰り返しているうちに、とうとう原因を突き止めました。

 ブラックホールがいたのです。

 ご存じの通りブラックホールとは、物質がたくさん集まった結果、自らの重みに耐え切れなくなり、周囲に存在するあらゆるものを吸い込んでしまう存在です。なるほど、このせいで、特定の方向にある物質が吸い込まれてしまい、そのホワイトホールは居心地の悪い思いをしていたのでした。

 ほとほと困ったことになった、と頭を抱えます。ブラックホールはまだまだ若い食べ盛り、いっぽうホワイトホールはエネルギー切れを待つだけの老いぼれ。これまでのように物質を放出して周囲の均衡を保とうという力業ではどうやってもかないません。

 何かしらのメッセージを送ろうにも、ブラックホールはあらゆるものをすぐさま吸い込んで胃の中に収めてしまうので、読んでくれることを期待もできません。

 仕方なくそのホワイトホールは居心地のいい均衡状態をあきらめ、新しい宇宙への物質の放出という本来の職務にまい進することに決めました。

 ところが。

 いざブラックホールのことから気をそらそうとすると、どうしても気になってしまいます。

 そのホワイトホール自体は周囲に物質を均等にばらまいているので、微妙な物質存在の偏りかたから、ブラックホールがきょう一日でどれだけの物質を胃に収めたかわかります。

 今日はどれだけ食べたんだろう。

 今日は昨日よりちょっと少ないな。

 体調でも悪いのかな。

 明日はいつも通り食べているだろうか。

 そんな具合に、しらずしらずブラックホールの健康チェックをするようになったのです。

 ブラックホールは順調に成長します。

 成長すればするほど重くなり、重力も強くなり、吸い込む物質の量も増えます。

 最近は前にもまして一層食事の量が増えたな。

 それはつまり成長のあかしなのです。

 気が付けば成長具合を祝い、その気持ちが恋に発展するまではそれほど長くかかりませんでした。最初の出会いからざっと数千万年年しかたっていないのですから。

 最近はますますブラックホールのことが気になるホワイトホールでしたが、ブラックホールは光すら吸い込んでしまう存在、その顔を一目見ることはどれだけ目を凝らしてもかないません。

 そういった不可視性が、ブラックホールをより魅力的に見せました。漫画の目隠れっ子フェチと似たようなものです。

 ブラックホールが気になる、でもブラックホールのことはまったくわからない、だから余計に気になり、余計にわからないことが増えて、という恋心のインフレスパイラルを起こし、ホワイトホールはますます燃え上がります。

 せめてもっとたくさん食べてほしい、という思いから、今まで以上にせっせと物質を放出しました。もう自身の寿命なんて気にしていません。ブラックホールの成長だけが、今生の楽しみでした。自分の放出した物質を嫌な顔一つせず、むしろ嬉しそうに平らげていきます。ブラックホールはホワイトホールの存在などまったく気にもしていないでしょう。でも、それでよかったのです。

 いつしかホワイトホールは、自らの周囲の物質不均衡状態が気にならなくなりました。どころか、ブラックホールへの愛のあかしのようなものです。それはそれは幸せな日々でした。

 当然のことながら、そんな幸せは長く続きません。

 ホワイトホールが蓄えていた前宇宙のエネルギーの残滓は、あっという間に枯渇し寿命を迎えてしまいます。最後の最後にほんの小さな重力波だけを残して、この宇宙から消滅していきました。文字通り、後には何も残っていません。

 一方そのころ、自分の知らないところで熱烈な片思いを受けていたブラックホールでしたが、周囲に漂う物質の量が急に減ったことに気づきます。

 食糧は致命的な問題です。

 早速、近所で何が起こったのか調べ始めました。

 原因はあっさりと判明しました。

 特定の方向から流れてきていた物質が、ぷつんと途絶えていたのです。

 ジェットを放出する天体が消えたのか、それとも何かがなくなったのか、宇宙ではよくあることでしたが、何分量が量でしたので、どうしても気になります。

 ブラックホールは自分の体の中にある物質のうち、例の方向から来ていたものを調べ始めました。

 ブラックホールの周囲というのは非常に強く不均衡な重力によって引き寄せられたものが引き延ばされ、まるでスパゲッティのようになります。また、ブラックホールの内外の境界線である事象の地平面内では重力ポテンシャルの低さによって時間が止まってしまいます。

 小さなものが拡大され、かつ時間が止まっているので、ブラックホールは自分の中にあるものを簡単に調べることができました。

 そこで初めて知ったのです。

 どうやら、並々ならぬ思いをもって物質を放出し続けていたホワイトホールが、つい最近になって寿命を終えたようだ、と。

 ブラックホールは後悔しました。周囲のことにもっと目を向け入れていれば、生前のホワイトホールと何かやり取りができていたのかもしれない。せめて、思いを受け取るくらいのことはできていたのかもしれないのに、と。

 ですが、時間はかかりましたがホワイトホールの思いはきっちりと届いたのです。

 ブラックホールは以前にもましてせっせと周囲の物質を吸い込み始めました。

 体もどんどん大きくなり、いつしか宇宙一のブラックホールとまで呼ばれるようになりました。

 それでもせっせと成長を続け、いつしか吸い込むものもなくなり、この宇宙が終わりを迎えようとしていました。

 ブラックホール自身も、ホーキング放射により少しずつ冷たく、小さくなり、やがて蒸発してしまいました。

 後には、ほんの小さな重力の残り香だけがありました。

 その残り香は空間そのものに刻み付けられているため、ちょっとやそっとのことでは消えません。

 そしてその残り香は、この宇宙が本当に終わってまた次の宇宙が始まってからもしばらくは残り続けます。

 もうお分かりですね。

 この残り香こそがホワイトホールなのです。

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