脱出
輸送車は川沿いの道を一直線に北へと突き進んだ。
荷室に状況を伝えたあと、梓真は無言をつらぬき、ただひたすら後ろに注意を向けていた。
そのすえに、山野目がようやく口を開く。
「俺の記憶じゃ、オルターってなもっと礼儀をわきまえてるやつらだったがな」
「俺の記憶じゃ、軍人はもっと礼儀正しい集団だったが」
「おっ、言うねえ」
どちらの言い分も正しい。軍隊は――少なくとも日本では――発砲に過剰なほどの制限が設けられている。まして、民間人に……
そしてオルターも、礼儀はともかく倫理機構はモラルの厳守をAIに強制する。
では人に対し、危害を加え殺すことはないのか?
――否。
命を選択する場面、それが訪れる可能性は平和国家日本においても存在する。
たとえば、一体のオルターが複数の溺れる人を発見したら?
全員を引き揚げたとしても、救命処置に優先順位が発生する。誰かを救うため、誰かを見殺しにしなくてはならない。
そんな時、AIが思考のループに陥らないよう、彼らには権利が与えられている。
命の選択権。誰かを後回しにする権利。
まして、軍用オルターは――
「あれがオルターってのは眉唾だが、素人なのはたしかだな。……せっかく装備一式揃えておいて、詰めが甘い」
「まともな指揮を執ってたら?」
「へっ」
山野目の親指が、首を横に引いた。
(眉唾、ね……)
仕方ない。
日頃の彼らを知る者なら、あれをオルターとは思わないだろう。装備を盗み出したテロリスト――そのあたりが妥当な推理だ。
だが梓真は自分の本能を信じた。
そもそも、オルターの倫理をそこまで信じきっていいののだろうか。
いわゆる“人工知能の反乱”について警鐘を鳴らす科学者も多く、それだけに軍用オルターの倫理機構は幾重にもセーフティーが掛けられているし、これまでの運用において問題が起きたことはなかった。例外と呼べそうなのは、例の、人が直接指揮を執るきっかけとなった完全無人化部隊の乗っ取り事件くらいだ。それもAIの暴走ではない。主犯はあくまで人間だった。
狂った人工知能はSFの古典、フィクションにおける格好の素材だ。それはオルターが世界のすみずみまで行き渡った現代においても変わりはない。しかし先ほどの秩序だった襲撃は“暴走”とはかけ離れている。狂った人工知能――そのワードから連想されるのは、粗野で野蛮な、およそ知性を感じさせない動作だろう。あの、オルターキラーのような……。
すると――
梓真の直感が間違いでないのなら、あの迷彩服の背後には人間がいる――ということになる。
(ま、何を言っても無駄か……)
梓真は反芻の言葉を飲み込み、かわりに夜空を見上げた。
星は、ない。
日が暮れて間もないせいか、ヘッドライトのためか、瞬くものは信号だけだ。
小さな青が黄色に変わり、それから赤へ。無人の野を律儀に導いている。
迫り来る十字路を、山野目はブレーキを踏みつつ、完全に止まろうとはしない。
右に曲がる。その半ば――
「おい、待てよ!」
梓真は無視され、それどころか輸送車は橋に背を向け加速を始める。
男は静かに言った。
「おい少年、まさか、公務員の交通違反がどうとか言い出さないよな」
「……どこへ行くつもりなんだ?」
「城へ戻る。それしかねえだろ」
「脱出を諦めんのかよ!?」
梓真はサイドミラーに目を遣る。
後方の橋。あれを渡れば、また別の設定線へと行き着く。
「さっきはラッキーだった。もう一度連中に出くわして、逃げられると思うな」
「でも、明かりがない。こっちにはいないんじゃ――」
「そう言い切れんのか? 待ち伏せの可能性は?」
「なら、川を渡ってから、待ち伏せていないような場所を抜ければ――」
山野目はハンドルを叩いた。
「こいつは馬力こそあるが、道なき道は行けねえよ」
「……」
「もっとも、徒歩でってなら、抜け道もあるかもしれんがな」
「それは……」
今の輝矢には無理だ。理緒に背負わせる? いや、その状態で襲撃されれば、それこそ逃げおおせることはできないだろう。
「それに、城にいる連中はどうなる?」
「え?」
「あいつらも出発しているだろう。軍を装った襲撃者の存在を知らせなくていいのか?」
「……」
梓真には負い目があった。
見捨ててきた前のクルマの人たちはどうなっただろう。追っ手がかからなかったのは、彼らが道を塞いでいたからに他ならない。
「……わかった、城に戻ろう。ただ……」
「ただ?」
「少し寄り道をしてくれねえか」
梓真はその場所を告げ、荷室へと移った。
「……これからどうなるの、あっくん」
真琴は不安を隠さない。
台に伏せていた輝矢も、顔を上げた。
「車外カメラの映像、見たよ」
「……」
「いったい、なんなんだろうね」
「……わからねえよ」
輝矢は薄い笑みを返すと、また腕を枕にする。
「……まこ、手伝ってくれ」
「え、何? どうするの?」
「ディアナを直すんだ」
「あ、ああ、うん……」
「悪いね、まこせんせ、梓真」
普段なら輝矢の出番だ。
「ううん! ぜんぜん!」
「いいさ。ゆっくり休め」
理緒の視線が輝矢を気遣う。梓真とは、最後まで交わることはなかった。
「…………」
「ちゃんと見ろよ!」
それは襲撃の様子を写した映像だ。
梓真は端末を正面に回すが、神木の顔は苦虫を噛み潰したまま……いや、かえって悪化したかもしれない。
梓真は芙蓉少尉と面会を求めるつもりでいた。山野目によれば審判唯一の士官、最上位にあたるらしい。
城への帰還を果たした梓真は、仄明かりと、それなりの秩序で迎えられる。
大会の性質上、発電器には事欠かない。照明が回復した屋内は往年の輝きを取り戻し、出場者たちは場所ごとの分担や連絡などに分かれて、より効率的な回収作業を行っていた。
その実質的に取りまとめていたのは、芙蓉ではなく神木幸照だった。
「もう、大助かりですよ」
芙蓉はほくほくとして頼みにしていたが、梓真に対しては決して友好的ではなかった。
「襲撃を警戒して、全員で脱出?」
神木は梓真の説明を繰り返すと、不愉快さを表にして黙り込んだ。
そこに芙蓉の苦笑いが割って入った。聞き捨てならないひとことを伴って――
「実は本部から連絡がありまして……」
「少尉! 通信が回復したんですか!?」
山野目がすかさず迫って、頭二つ低い上官を仰け反らせる。
「あ、あの、それがほんの数分で、それも、こちらの呼びかけには応答がなく……」
がっくりと山野目の肩が落ちる。
「出場者全員が池の周囲から離れないように、迎えを寄越すから、と」
「何か理由は言ってましたか?」
「造反者……武器とオルターを不法に持ち出す計画があるらしいから、装備の管理を徹底するようにとのことでした」
「これを見ても、あんた方はそれに従うのか? 本部とやらは、こっちの実態をわかってねえだろ?」
梓真はふたたび端末を向けた。芙蓉は画面に見入るが、神木は――
「おい! ボサッとするな、動け!」
と、梓真を無視して指示を飛ばした。
手を止めていたのはメティスと同型の機体。しかしメティスとは違う。
装甲服だ――梓真は即座に見破る。オルターは仕事をさぼったりしない。
その機体の作業再開を待って、神木はようやく梓真に向き直った。
「本部の指示に従え」
「なんで――」
「その映像が事実で、何者かが襲撃を企てているとしても、ここで救援を待つことにどんな問題がある?」
「……」
畳みかける神木の言葉には、有無を言わせぬ凄みがあった。
返す言葉が見つからず、徒労を感じ始めていたところへ、今度は六角までが輪に加わる。
「俺らには、その場で待機しろって指示が来たぜ」
「その場? その場ってどこだよ」
「最初の配置場所に決まってんだろ」
「じゃあなんでここに来た?」
「ひゃっは、俺たちが素直に従うかよ」
彼らの対応はともかく、その話は神木の考えを補強した。
そして芙蓉少尉も――
「神木さんの言うとおり、お城の中で襲撃に備えればいいのでは? 周囲を警戒して、立てこもって救援を待つ、ということで」
本部からの連絡は彼女らにとっては指示ではない。命令だ。抗うことはできない。
ところが意見を異にする軍人もいた。
「……俺はここを出るべきだ思います」
「なぜです、曹長?」
「この城はこもるにはいいですが、二つしかない出口を押さえられたら逃げようがありません」
「だからそのまま救援を待てば……」
「やつら、装甲車まで持ち出してました。砲撃で建物ごと潰されますぜ」
「……で、やつらは何者なんだ?」
重々しく、神木が問う。すかさず答えようとした梓真を、山野目が阻んだ。
「さて、どこからかテロリストが紛れ込んだのか、そもそも最初から出場者の中にいたのか……」
「テロリスト?」
「狙いは武器と軍用オルターの滷獲、と思うがね」
「ふむ……」
元同僚らしく、二人の会話はざっくばらんだ。
「その説が正しいとしてだ、ここには戦闘に特化したオルター四十チームが集まっている。生中な戦力で制圧されるとは思えんな」
「さて、どうだか……」
(くそ、頑固親父)
神木は梓真たちとは見えているものが違うらしい。いや、この場では梓真と山野目だけが余所者だった。神木の脇に控える厳つい側近二人も、山野目の話に唖然としている。
(どうすりゃいい……)
説得は難しい。なら、彼らを見捨てて自分たちだけ抜け出すか?
(だめだ、戦力差が大きすぎる。見つかれば格好の餌食だ)
すると、ここに留まる選択しかない。だがそれこそ敵の狙いだろう。
神木も取り巻きの大男も、やがて元の作業へ戻っていった。一人、芙蓉少尉だけがおろおろとしている。
すると神木がまだいたのかという顔で口を開く。最後通告だ。
だが、そのじろりとした目つきが大きく逸れる。
振り向くと、昔なじみの姿があった。
「おまえ、だいじょ……」
「なに?」
「……いや」
目の前を、涼やかな笑顔が通り過ぎる。後ろには理緒もいた。
「父さん」
「……なんの用だ」
「僕もここを脱出するべきだと思う。もう一度梓真の話を聞いて」
「……」
「本部の指示には従わなくったって、別に罰則はないんでしょ?」
「だが――」
「その通信、本物?」
「……」
誰も答えなかった。何か、不審なところがあったのかもしれない。
神木は目を逸らし、眉根に深いしわを寄せ、ひとこと。
「そうだな」
輝矢はにっこりと笑い返した。
(この、人たらしめ!)
籠絡され、決断を翻した神木は、まず側近を呼び戻し、とんぼ返りでどこかに走らせる。
それから梓真に言った。
「おまえの言い出したことだ。説得を手伝ってもらうぞ」
「あ、ああ、もちろん」
わらわらと集まった各チームの代表と審判、合わせて百名近い人間を神木は見事に説き伏せる。梓真の出番はほとんどなかった。異論や反発も出たが、最終的にほぼ全員、三十七チームの賛同を得て、翌朝七時の出発が決定された。
「梓真、起きて」
まどろみの光に彼女を見つけるのは何度目のことだろう。今朝は堅そうな鉄の扉から。
昨晩の記憶が蘇る。
(そうだ、輸送車に戻ってテントを張って、俺はクルマで寝ることにして……)
肩にかかる短い髪を淡い緋色が染めていた。
凛とした、いつもの彼女。彫刻のように無垢な作り物ではない。生々しくて艶めかしい。
微笑むその唇も――
「あなたたち、ホント仲いいわよね」
(……たち?)
寝返りを打ってみると、すぐ横には上下逆さまの真琴の顔があった。
「……!」
跳ね起きる梓真。理緒は鈴を転がすような笑い声を立てる。
「や! これはだな、その……」
「目は覚めたみたいね」
「……まあ」
梓真は目をこすりながら足を組んだ。
質問は唐突だった。
「梓真、幼なじみって、どういうもの?」
「……あ?」
「二人を見てたら、そういう関係っていいなって、ちょっと、ね」
「……」
まだ半ば脳は眠っている。いろいろ疑問が浮かんでくるが、梓真は彼女の言葉をそのまま受け止めるしかなかった。
「わたしの生まれたところには、機械的に接したり、親身になってくれたり、いろんな人たちがいたわ。けど、それって幼なじみとは言わないわよね? なぜかしら?」
朝の、起き抜けに始める話題ではない。
常識知らず、しかし知識欲は旺盛。梓真はうすうす感じていた彼女の幼さを初めて目の当たりにした気がした。
……でも、他ならない彼女の問いかけだ。
梓真の説明はあくびから始まった。脳の覚醒は、まず酸素を取り入れることだ。
「……そりゃあ、立場が対等じゃねえからな。その人らは、育ての親、なわけだろ?」
「そうね」
「だから……」
たとえば、同時期に作られたオルターでもいれば幼なじみと呼べたのだろうが……
「それで、先生のことよ。どう思ってるの?」
「どうって、そうだな……手のかかる保護者、みてえな?」
「何それ?」
理緒はまた、くすくす笑う。それが治まると今度は――
「じゃあ、輝矢は?」
「あいつは……」
ためらう梓真。さまざまな意味で言葉にしにくい。
「あいつは、なんでもできてなんでも知ってる、すげえやつさ。だけど……」
けれど、輝かしいはずの彼の未来には病魔が立ちはだかっている。
きっと長生きできないだろう。――梓真は口ごもった。
それを理緒はどう思ったのか。立ち上がって、生気あふれるあの瞳を光の中に溶かした。
「朝食の準備できてるから、早く来なさいよ。そっちの、手のかかる保護者と」
寝ぼけ眼の真琴を連れて輸送車を這い出すと、ゴザは朝日を照らす池のほとりに敷かれていた。
「ごめんね、理緒ちゃん。交代で様子見るって言ってたのに」
両手を合わせる仕草とは裏腹に、真琴の顔はいたずらっ子のように笑っている。
対する理緒も、輝矢も仏顔。
「いいんですよ、先生」
「そうですよ。ほら、おかげ様でこのとおり」
「そう。それなら良いんだけど」
「……」
本当に回復したのならいい。けれど、もしまだ……
梓真は押し黙り、口にせっせとカレーを運んだ。
「あっ」
紙ナプキンを取ろうとした輝矢の手が、ふいに動いた理緒にぶつかる。
「ごめん……」
「いや、わたしこそ……」
顔を合わせず謝罪しあう二人。それはドラマで見た新婚夫婦のようで、梓真の妄想をかき立てるのに十分だった。
真琴の先ほどの謝罪。本当なら、理緒と輝矢は一晩中テントにいたことになる。
そうなると、何もかもが疑わしく思えてきた。理緒が始めたさっきの会話、あれは自分の想いを遂げるため、三人の関係を調べていたのではないか?
梓真のジト目に輝矢が気がつく。
「軍のレーション、けっこうイケるね」
「……ああ」
「毎日でもいいくらいだけど、僕はそろそろお母さんの料理が恋しいかな」
「あ……」
たちまち自責の念がわき上がる。
母のことをすっかり忘れていた。連絡もなく、心配しているに違いない。
「今日中に帰れるといいけど」
「……そうだな」
しみじみとした輝矢の口調は、事態の深刻さをかえって梓真に実感させた。
彼らは今、見えない銃口を突きつけられている。日常に――母の待つ家に帰るためには、それを実力ではねのけなくてはならなかった。
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