喪失

(ん……? なん……だ?)

 何かの物音に梓真は目を覚ました。

 空は暗く、体も重い。さすがに夜明かしはしていないようだ。

 いったん体を起こし、もう一度辺りを見回したが、何も見あたらない。

 ……

 いや、それがおかしい。景色から、あるはずの何かが抜けていた。

(理緒……マルス!)

 理緒だけなら不思議はない。動けないはずのマルスまでどこにもいないのだ。

 警察が押収したのか? それとも――

(まさか、この騒動もマルスを盗むため? 理緒はそれを追いかけて……)

 言いしれぬ不安が梓真をさいなむ。どれくらい正体を失っていただろう。

 一帯は深い闇の底にあり、眼に映るのはあのガスタンクだけだ。

(捜し物っつったら、アイツの出番だが……)

 梓真は重い足を倒れたままのポボスまで運んだ。

(動けない……よな)

 最後の頼み、輝矢にかける。だが電話は繋がらなかった。

 ところが、途方に暮れる梓真にかすかな音が届く。ガスタンクの方角だ。

 焦燥が駆り立て、梓真は走り出した。始めはゆっくり、次第に速く。疲れた体に鞭打った。

 やがて地上の月に見慣れた姿を見つけて、梓真は安堵の息を吐く。

 重なる影は間違いなくマルスと理緒だ。

「おまえら、いったい何やっ――」

 駆け寄る梓真の言葉が詰まる。目にしたものはあまりに異様だった。

「……誰かにやられたのか?」

 違う。

「……意識がないのか?」

 違う。

「手当してる……んだよな……」

 ……違う。

 悪夢の再現だ。

 偽物ではない――本物のマルスが、理緒の頭を持ち上げていた。

「何やってんだ、マルス。……放せよ」

 現実を、梓真はようやく受け入れる。しかしマルスに応じる気配はない。

「……聞こえないのか?」

「……あ、ず……ま……」

 歪む理緒の口元が言葉をもらす。こめかみにマルスの指が食い込み、目と鼻はふさがれていた。

「このっ!」

 梓真が飛びつきその指を掴む。もちろんびくともしない。

 そこから鳴った不快な響きに、理緒のうめきが重なった。

「おい! なんとか言えよ!! ……くそっ」

 憤りは輝矢にまで向けられる。だが端末は、やはり不通のままだった。

 答えたのは、またしても理緒だ。

「あず……ま……わたしは……いい……や……く……ここ……」

「……」

 軍用オルターに停止ボタンは存在しない。強制停止の手段はたった一つ、部室に保管している停止キーだけだ。取りに戻る時間はない。それまで理緒は無事でいられないだろう。

 多少の損害を与えてでも、この場でマルスを止めるしかない。

 だが、どうやって?

(軍用オルターを止める方法……んなもん、都合よくあるはずが……)

 辺りを見回す梓真の目に、オルターキラーの脱ぎ捨てた服と装甲が飛び込む。

 そこに無傷のパイルバンカーもあった。

「理緒、待ってろ!」

 手にしたそれはずっしりと重く、梓真は持ち上げるのをやめ、そのまま左腕を差し込んだ。

 立つと肩が抜けそうになる。梓真はパイルを右手で支え、二人の下へと舞い戻った。

 マルスは梓真をまるで警戒していない。

 ためらいがぎる。

(これでマルスを攻撃する? 俺が?……)

 およそ想像もつかない。彼はいつでも梓真の味方だった。さっきだって、その身を挺して守ってくれたのだ。

「あ、ず……」

 うめく理緒が足下の手がケースを指さす。クレイのAIの入った、あのジュラルミンケースだ。

「こいつを取りに戻ったのか……」

「わ……たしは……放っと……いて……」

「……」

 理緒の頭がめき、と音を立てる。

 猶予はない。梓真はパイルの狙いをマルスの腕から背中に切り替えた。

 腕を壊せば理緒は解放されるだろう。しかしその衝撃が彼女に及びかねない。

 ならAIを破壊する?

(あり得ねえ……絶対!)

 先端を腰部のバッテリーに向けた。損傷が即停止に至る、オルターのもう一つの急所だ。脊髄を避けて下向きに穿てば、そこに命中させられる。

 だが――

 見慣れた灰色の一次装甲を前にして、梓真はまたしても躊躇した。

(俺を信頼してるから、だから無警戒なんじゃねえのか? 狂ってるわけじゃなく、何か大事な理由があって……)

 頭を振って、考え直す。

(理緒を殺す理由ってなんだよ! 馬鹿か俺は!!)

 すべて言い訳だ。マルスへの攻撃を理性が拒絶している。

 しかし感情は、苦悶する彼女を許さなかった。

 ようやく心が決まる。

「ぐうっ!」

 射出音に悲鳴が続いた。覚悟はしていたはずが、想像以上の衝撃で背中から倒れ込んだ。

(くそ……)

 左腕の骨が震え、しびれがじんわり広がっていく。

 右腕を下にして起き上がるが、状況にほとんど変化はなかった。マルスは変わらない姿勢で理緒を掴み上げたまま。背中に穴は開いていたが、バッテリーを壊すには至っていない。

 梓真は荒い息で立ち、ふらつく足でマルスに寄る。左の肩から先が鉛のように重かった。

(くそ、くそ……)

 体全体で押し込むように構え、もう一度引き金を引く。

 瞬間、体と意識が飛び、梓真に空白の時間が訪れた。


 ――――

 ――

 ごめん、梓真……

(誰……だ……?)

 朦朧とする意識にばんやりと輪郭が映るが、そこで彼の意識はふたたび途切れた。


「~~~~!」

 声にならない叫びを上げて、梓真は目を覚ました。

「あ、ごめん。痛かった?」

「痛いなんてもんじゃ……くっそっ……」

 思わず寝返りを打ちながら左腕を押さえると、ざらつく硬い感触があった。肩から手のひらまですっぽりとギブスが覆い、体も病衣を身に着けている。

「でも良かった。なかなか起きないから……」

「……」

 輝矢の泣きはらした顔に微笑が浮かぶ。

 病室のベッドに横たわっていることに、梓真はやっと気づいた。

「待ってて。今誰か――」

 立ち上がる彼の手を梓真は掴んだ。

「梓真?」

「……どうなった?」

「……」

 輝矢は無言で座り直し、また笑顔を見せる。

「ヴェルのダメージはひどいけど、元通りになるよ、たぶん。クレイのAIも大丈夫っぽい」

「……マルスは?」

 その言葉に輝矢は視線を落とした。

「……大会には、間に合わないだろうね」

「なんで!?」

 掴みかかる梓真に、輝矢はふたたび目を合わせる。

「基盤や配線があちこち焼き切れてるし、センサーも大部分かイカれてる。それに……」

「……」

「AIもやられてる」

 輝矢を掴む手の力が抜ける。

「……直せないのか?」

「無理……」

 その言葉を噛みしめるように、梓真は静かに体をベッドへ落とした。

「梓真……」

「……」

 アプリケーションの替えは利く。バックアップもある。メルクリウスやディアナからコピーしてもいい。しかしハードウェアと相互に依存しあうパーソナルデータだけは、保存の手段が存在しなかった。

 輝矢の言葉が正しいなら、彼にとってのマルスは永久に失われたことになる。

「それで、回収したのか? ポボスとマルス……の……」

「そりゃもう、大変だったんだから。メルクリウスとディアナを急いで動けるようにして」

「そうか……」

「それから、家に電話したけど留守みたい。あとでもっかい掛けてみる」

「いろいろと、ワリイな」

「まあ、どこかで返してもらうから、あはは……」

「……」

「……とにかく、僕はいったん戻るよ。梓真だって――」

 腰を上げる輝矢を、またしても留める。

 一番大事な問いを、まだしていない。

「……理緒……は?」

 ――彼女の正体を知られてしまう、知ってしまう。

 恐る恐る、返事を待った。

 ところが――

「彼女は、いないんだ」

「……いない?」

「どこにも姿が見えないんだよ」

 肩すかしに口がぽかんと開く。安心と落胆、どっちつかずの気分だ。

 すると彼女は、自力でどこかに消えたことになる。

 では、あの声は理緒だったのだろうか?

(ま、いいやな。とりあえず無事なら……)

 安堵する梓真に、輝矢が顔を曇らせる。

「梓真、ごめん……」

「なんだよ、いきなり」

「僕の……せいだ。僕が、梓真を……こんな……」

 輝矢の声はほとんど嗚咽だ。

「……おまえはなんも間違えてねえだろ」

「……」

「……」

 沈黙する部屋に、突然、ノックが響く。

「はあい」

 輝矢が涙を拭い扉を開くと、そこには意外な人物が立っていた。

 あまりの意外さに梓真は目を疑う。

 男は輝矢へ一瞥を送ると、文字通り戸口をくぐって梓真へと歩み寄った。

「初めまして、加瀬梓真くん。神木幸照という者だ」

 慇懃な挨拶がいわおのような顔から放たれる。

 神木幸照。SC優勝三回を誇り、SCをやる者すべてが知る、そして梓真にとっても憧れの人物だ。

 間近で見て自己紹介までしているのに、梓真にはまだ信じられなかった。縁もゆかりもない自分に、なぜ面会に来るのか。

 唐突すぎる対面は、梓真の心をかき乱した。

「あ、あんたがなんの用だよ……ですか」

「息子を迎えに」

「……息子?」

 もちろん梓真ではない。なら――

 輝矢の声は、梓真以上に震えていた。

「何しに来たの、父さん?」

「だからおまえを――」

「普段はほったらかしのくせに」

「お母さんが心配してる。帰ろう」

「母さんを理由にしないでよ!」

「……わたしも、心配している」

 特注サイズのスーツがしぼんで見えた。あの神木幸照を、輝矢が困らせている。

 その様子に、梓真の憧憬も萎えていく。

(ただの不器用な父親……。実体はこんなもんか)

 親子の会話に口を挟むこともできず、ただ黙り込む梓真に、ふたたび神木が話を向ける。

「加瀬……梓真くん」

「……はい」

「今回は災難だったね」

「いえ……」

「なんでもオルター絡みだとか?」

「ええ、まあ」

「父さん……」

 輝矢が割り込もうとする。何か予感があるようだ。

「きみの部活、SCCといったかな? 悪いが、輝矢は退部させてもらいたい」

「父さん!」

「……」

「きみも息子の病気のことは知っているだろう?」

「父さん! その話はもう済んだはずだろ!」

「無茶はしないという約束でな。わかってるだろう、おまえは大事な跡取りなんだ」

「会社は、ねえさんが継げばいいじゃないか!」

(ねえさん?)

 初耳だった。彼から聞いていたのは梓真と同じ母子家庭ということだけだ。……もしかして行方不明の妹もいたりするのだろうか。

「あの子は……残念だが、人の上に立つ器ではない」

「相変わらず、辛口だね」

「だがおまえは違う。おまえには誰からも好かれる才能がある」

「……」

「それでいて計算高い。……なあ、梓真くん?」

「そりゃもう」

 初めて梓真は笑った。案外とわかってる父親だ。

「でも……だからって……」

「機体が一つ壊れたそうだが、替わりはあるのか? 梓真くん」

「……」

「やはりな。そもそもSCは、高校生が出場するようなものではない。金銭的にも、精神的にも」

「いや、……でも、SCは危険なものじゃ……。それはあなたが一番よく知ってるでしょう?」

 梓真は痛みも忘れ、半身を乗り出した。これまでの彼を否定されては、言い返さずにはいられない。

 しかし男は、容赦ない眼光を彼の体に突き刺した。

「その格好で言うのか?」

「いや、これは……」

「違う! 今度のことは、梓真に責任はない!」

「おまえが怪我していた可能性は?」

「……それは……」

「なら、そういうことだ。……梓真くん、きみも辞めるべきだとわたしは思う。今は学生らしく勉学に身を入れて、進学か、就職してから再開しても遅くはないだろう?」

「……」

「そろそろおいとましよう。輝矢、おまえも来るんだ」

「……なんで……」

「彼の体に障る。そんなこともわからんのか」

「……」

「では梓真くん、体を大事にな」

 こつん――扉の閉まる音を最後に、病室には静けさが訪れた。

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