学園祭
並木道を人の波が埋め尽くしていた。
ふと影が差す。
中天に煮詰めたミルクのような雲が居座って、太陽を隠していた。
学園祭といえば秋。けれど、春や初夏に催す学校もそれなりにあるらしい。梓真たち四人が訪れていたのは、その学園祭真っ盛りの、
すでにキャンパスの中。
心地の良い午後だった。湖からの風がひんやりとして、まとわりつく暑熱を払ってくれる。
これで人混みさえなければ――と、不適切な考えが頭に浮かぶ。彼には風情がわからない。人通りのない祭りほど、味気ないものはないのに。
もちろん梓真にも言い分はある。
中高年夫婦や子供の姿もちらほらとあるが、ほとんどは二十歳前後の若者だ。中には時折、真琴に不純な視線を向ける者もいた。
こんな時梓真の悪相は便利だ。ひと目見て退散する。
それを知ってか知らずか、真琴は細い両腕で伸びをして、艶のある唇をほどいた。
「あっくんとこんな風に歩くのも、久しぶりだね」
「そう……かな」
今日の真琴はひと味違う。肌も露わなノースリーブと、ふわりと広がるフレアースカート。髪を上げて大人っぽさも増している。
「お祭りも久しぶり」
「そうか……」
当たり前だが、彼女は大学を出ているのだ。きっとモテたはず。彼氏は?
……いなかったかもしれない。大人びた口元にせっせとイカ焼きが送り込み、艶々にしている。
「おい、足ばっか食うなよ」
「えー」
「俺の分がなくなるだろが」
手にぶらさげたパックには、ゲソが数本、さらに割り箸の刺さったイカ頭があった。
「ほれ」と割り箸をつまんで差し出す。
そこには、くっきりはっきりと梓真の歯形が残り、真琴は躊躇のあとかぶりついた。
「別に固くねえだろ」
「ん……」
もぐもぐと口に納める真琴。顔がほんのりと赤らんだことに、梓真は気付かない。
「ね……」
「うん?」
「あの二人、最近仲良いと思わない?」
「そうかあ?」
二人とはもちろん、前を歩く輝矢と理緒のことだ。
朱に近い黄色のワンピース身につけた理緒は真琴以上に目立つ。おごそかなキャンパスを凛として歩く姿は蒼天の太陽のようだ。
その周りには見えないバリアーが存在するようで、飢えたハイエナたちも突破できずにいる。彼女の眼光によるものだ。
「ね……」
「うん?」
「もしかして、理緒ちゃんと輝くんとくっつけようとしてない?」
「!!」
梓真は食べかけを吐き出した。
「な……アホか!!」
「えー、だってー、この頃あっくん、なんだか理緒ちゃんと距離を置いてるみたいで……」
「ん、んなことあるか!」
「そうかなあ」
「おまえ、腹減ってんだろ。だからへんな妄想が浮かぶんだよ。馬鹿なこと言ってないで、なんか食え! もっと」
「んー……じゃ、あれ」
彼女は綿飴の屋台を指した。すると梓真は誇らしげに笑い、
「……いいことを教えてやろう」
「あっはい」
「綿飴を買ってはいけない!」
「え、なんで?」
「いいか? 元は小さな飴玉だからって、ナメちゃいけねえ」
ダシャレだ。
「たしかに見た目は完璧だ。買いたくなるし、一口二口はおいしくいただける。だがな、あっという間に飽きがきて、顔も手もベタついて、楽しさは怒りに変わり、半分食べる前に捨てたくなるんだよ」
「へ、へえ……」
「だからな、綿飴に幻想を抱いているんなら、買わずに、おいしそうだなあって思うだけにしとけ。夢は夢のまま取っておくんだよ」
「……」
梓真の力説を、真琴はともかく受け入れる。
しかし逆らう者もいた。
「ね、輝矢。あれ半分こしない?」
「うーん……いいよ」
と、綿飴屋に向かう二人。
当てつけが?――梓真は舌打ちをする。
そこは漫画研究会、いわゆる漫研が出している店らしく、綿飴はオリジナルのカラーイラストがプリントされた袋に包まれていた。
袋から取り出し、二人は左右から食べ始める。傍目からは恥ずかしくなるほどの熱愛っぷりだ。
理緒は心から喜んでいるようだが、輝矢の心境ははたして?
(ああいうの好きなんだよ、あいつは……)
輝矢は、馬鹿ップルを演じているのが楽しいのだ。たぶん……
もやもやする梓真の袖を真琴が引いてくる。
「ね、あれ何かな」
屋台の隣には背中を向けた老年夫婦が座り、机を挟んだその向かいには、メガネを掛けた中年紳士の姿があった。
手には鉛筆、頭にはチェックのベレー帽と、往年の画家を思わせる。
(似顔絵か。だが、なんか変だな……)
そこは工業大の漫研。一ひねりも二ひねりもしていた。
描き終えた一枚を受け取って、老夫婦が笑顔をこぼす。よくよく見れば、その絵は水木しげる風のアレンジがされている。
ベレーの男は画風を真似るオルターだった。幟には「お好みの画風で描きます」とあり、そばにはピカソや手塚治虫などの画家や漫画家の名前が、サンプル画とともにずらり貼られている。
「へえ、すごいね」
まず興味を示したのは輝矢だった。
「梓真、描いてもらわない?」
「よせよ」
「あんたにはこの、梅図かずお?とかいいんじゃない」
「けっこうだ」
「ね、これどう? ひよどり祥子!」
「やめろ……」
真琴が指したのは陰りのあるタッチの、少女漫画風美少年だった。
「おまえら、SCCだったら、こんなの以外に、他に見るとこあんだろ!」
「そうかなあ」
「こんなのって、失礼じゃない」
「他にって?」
首を傾げる真琴。梓真はあわてて辺りを見回す。
「…………あれとか」
遠くに歓声があった。
道の外れに人が集い、その中央に鎌首のような何かが
理緒は態度を一変させ、
「そうね。行ってみましょ! ほら、早く!」
「え、ちょっと……」
と、輝矢の腕を取り駆け出していく。
「あっくん、行っちゃうよ?」
「ったく、なんなんだ、あいつは……」
「すごい!」
“竜“がいた。
流れるような長い細身の東洋の竜――理緒は子供のように目を輝かせる。
竜だけではない。ペガサス、鳳凰、シーサー、etc.etc.……。周囲には所狭しと想像上の生き物たちで溢れていた。
もちろんすべてオルターだ。
「ポボスを連れてこなくて良かった」
「あは……」
「えー、なんで?」
「だってよ……」
目の前にゆったり、少女を背にしたユニコーンが通りがかる。幼い少女は愛らしくその首にひしと掴まり、ユニコーンも怖がらせないように蹄の運びを遅らせていた。
梓真はユニコーンのもも肉を強く押してみる。
「人工筋肉だ」
「へえ、すごいね」
「すごい? どうして?」
「まこにはこれが、馬の足に見えるよな」
「見えるけど……?」
毛皮に覆われていればいざしらず、馬のようなむき出しの筋肉を再現することは簡単ではない。人工筋肉を部位毎に形成し、組み立て、さらに“らしく“動かさせなくてはならないのだ。
「ポボスがいたら赤くなって逃げ出すぞ。なんとなく動物に見えるってだけだからな」
なにしろ機能を優先した、犬にしか見えないネコ科動物、というお粗末な造形だ。設計者の不勉強は疑いようがない。
「で、あいつはどこ行きやがった?」
理緒は動物たちの間を行きつ戻りつふらふらしていたが、やはり気になるのは竜らしく、遠巻きにする観客とは対照的にどんどんと近づいていく。
そんな理緒に声を掛ける少女がいた。
「乗って……みない?」
「え?」
「この子だけ、誰も遊んでくれないの」
「……ええっと、じゃあ……」
「シルシュ!」
それが名前らしい。
少女に応え、竜の首はトグロを巻いてゆっくり地上へ戻る。
そのスケールに観客がどよめいた。
「さあ」
「えっと、ここ?」
少女は笑顔で答えた。
間近で見る竜の頭には精緻な細工が施されていたが、その後ろには、それを台無しにする大穴が開き、内部には座席まであった。
安全性を優先した結果なのだろう。……まあ巷には、頭と胴を串刺しにされた馬の遊具も存在するのだから、これくらいは目を瞑らなくては。
「待て待て」
そこにそっと足を掛ける理緒を、梓真があわてて引き止める。
ぱっと見恐る恐る。けれど実は彼女がノリノリなこと、梓真にはお見通しだ。
ジト目で睨む理緒を後目に、梓真は少女に向かう。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「うん、確かめた。何回も……」
「あんた、何者だよ?」
「
梓真の外見にも動じず、おっとりとした口調で一礼する。
主催者と名乗りはしたが、職員や教員のようには見えない。つまりこの“幻想動物園“とやらはサークル活動で、彼女はいち学生に過ぎないのだろう。
それは梓真をより不安にさせた。
「まず試しに、あんたが乗って見せてくれよ」
「……そんなの……」
少女の顔が曇る。
「あ?」
「……恥ずかしい。人前で、そんなこと……」
「あのなあ……」
梓真は頭を掻く。どうにもつかみ所のない少女だ。
「いいじゃない別に。わたしは乗るわよ」
「お、おい」
もはや隠そうともしない。理緒がさっさと座席に座り込んでしまう。
止めようと梓真も駆け寄る。そこに玲亜が囁いた。
「心配なら、あなたも一緒にどうぞ」
「いや、そういうことを言ってんじゃなく――」
「怖いの?」
理緒が挑発する。
「……んだと」
「怖いんでしょう」
「……いいだろう。乗ってやるよ」
梓真をノせるのは簡単だった。
「理緒ちゃん、どうだった?」
「すごい! 楽しい! もう最高!!」
「梓真は?」
「……あー……」
元気をフルチャージされた理緒と、魂が離脱しかけている梓真。対照的な二人だった。
「だらしないわね」
言い返そうとする梓真。しかし、怒りより先に胃の中身がこみ上げ、口を閉じるほかなかった。
「ずるい、わたしも乗りたい! あっくん、もっかい一緒に乗ろ!」
「…………勘弁しろよ……」
「……先生、もう無理じゃない?」
「……うーん、そうねえ」
それは梓真を案じての言葉ではなかった。
先ほどとは打って変わり、アトラクション“ドラゴンライダー“には大勢が押し寄せ、順番待ちが絶えないほどの大人気となっていた。
その仕切りに玲亜も大忙しで、乗れる頃には日が暮れているだろう。
三人は無人になったケルベロスの背に梓真を乗せ、回復を待ちながら動物園の盛況ぶりを見守ることにした。
そこへ玲亜が訪れる。
輝矢が声を掛けた。
「もういいんですか?」
「うん、替わってもらったの。疲れちゃった」
「あの竜、首の関節は8個かな? 持ち上げるだけでも難しいのに、あんなに自在に動かすなんて」
少女が顔を輝かせた。
「結構、くわしい。……高校生?」
「はい。星川市の、東稜高っていうとこから……」
そんな田舎のマイナー校、知りませんよね――とばかりに、輝矢の声はどんどんと小さくなる。
ところが予想外の答えが返ってきた。
「……知ってる。明日、試合するんでしょ? わたしも出場するの」
「……えっと……」
「
首を振る一同。
意外な成り行きに言葉もない。
そんな中、
「来て」
玲亜は理緒の手を取り、にっこりと微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます