事故の傷
「おまたせいたしました。本日は携帯端末の交換とのことでよろしいでしょうか?」
その声と姿に梓真は胸をなで下ろした。
携帯端末キャリア・A社の星川支社は、平日の午後ともなると、そこそこの混雑を見せ、込み合う客を二つの窓口が受け付けている。
幸いなことに、二十分後に彼を担当した受付嬢は人間だった。
女性は梓真のひび割れた端末を受け取り、営業スマイルをややしかめる。
正直、出費は痛い。こづかいのほとんどを部費の補填にあてているからだ。
しかし、オルターとの対面を避けられた幸運は、それすらささいに思えてくる。
去年の悲惨さは、よく覚えていた。
受け付けたオルターを前にして、冷や汗に塗れた指が何度ペンを落としそうになったことか。
「処理が完了しました。今、すぐにご使用になれますよ」
渡された最新の端末はさらに心を弾ませ、ふだんは愛想のない口をなめらかにした。
「今日はオルターじゃねえんだな」
何気ないひとこと、のはず。
ところが受付嬢の顔はたちまち愁いを帯びる。
「……あの、ご存じありません?」
何を?
女性はささやくように打ち明けた。
「この前、ちょっと事件があって、誰かに壊されたの。あれよ、たぶん。例の……」
部室に舞い戻ると、ぴったりと寄り添って座る二人の姿があった。熱心な様子でモニターに見入っている。
「やってんな。感心感心」
「遅いわよ」
せっかくの労いを、理緒は非難で報いた。
「しょうがねえだろ。商店街まで行って戻ったんだから」
「一人で大丈夫だった?」
輝矢はモニターを向いたまま、邪気を秘めた笑顔を浮かべた。
「……おかげさんでな」
「……ああ、待って」
瞬時、輝矢は真顔に戻る。一度キーボードを叩くと、理緒を抱えるようにして手を伸ばし、コントローラーを譲らせた。
「ここでね……こうした方が早いんだ」
「ええ、わかった」
理緒は輝矢の肩越しに答え、輝矢が下がるのを待ってコントローラーを握り直した。
位置関係は元に戻りはしたけれど――
(少しくっつきすぎじゃねえ?)
二人を尻目に鞄を机の横に掛けると、そこでようやくそれの存在に気がつく。
(なんだよ?)
ポボスが意味ありげに鼻先を向けていた。が、梓真は無視を決め、二人と一匹の後ろに回り込む。
モニターには、簡易表示されたディアナが格闘武器で迫る様子が映し出されていた。視点はメルクリウスのもの。つまりバーチャル空間において、理緒操るメルクリウスと自立稼働のディアナとが戦っているのだ。
ディアナの動作はシミュレーターのトレースではなく、ケーブルで繋がったディアナ本人によって行われていた。
時折画面を横切るのはメルクリウスの腕と武器。理緒=メルクリウスは果敢に迎え撃っていたが、その対応は鈍く、移動もディアナの速度に追いついていない。
もどかしさを理緒の表情が伝えていた。
そもそもディアナは射撃に特化した機体だ。格闘戦においてメルクリウスがディアナに劣ることはない。シミュレーターは彼女の未熟さをありのままに伝えていた。
(それだけじゃねえんだろうが……)
理緒はオルター同士戦わせることを嫌悪している。たとえそれがPC内の模擬戦闘であっても。
画面右下、ボディの状態表示ウィンドウには、メルクリウスの胴体、両腕、足などの各所に赤や黄色の警告が出ている。対するディアナはオールグリーン。どこにもダメージは表示されていない。
「あ……」
ディアナの攻撃がメルクリウスの右手を弾いて武器が落とす。猛攻は続き、ガードした両腕をたちまちのうちに使用不能にされると、為すすべ無く立ち尽くし、最期の一撃を受けメルクリウスは稼働を完全に停止した。
「……」
理緒は両手を放り、短く息を吐く。
「いやあ上出来上出来」
「ううん、そんなこと……」
「ねえ梓真?」
「さあ? 俺は、最初っから見てねえし」
「じゃ、おさらいしよっか?」
「……わかったわ」
ただうなずいた。憂える顔もなかなかかわいい。
「いや、待てよ。その前にだな……」
梓真は机の隅に目をやった。
ゴーグルだ。
「これを使えるようにならないとな」
「……」
「……だよね、やっぱり」
「……どうしても?」
彼女は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ああ。なんでだ?」
「わたし、こっちのほうが……」
と、目の前のコントローラーを示す。
「そりゃ、輝矢のだ」
「もう一個同じの作ってよ」
「そんな余裕はねえ。……あのな、使ってみりゃ分かるが、これのほうが簡単だぞ」
「……」
気になるのは、頭を覆うセンサー部だろう。知らない人からすれば、この外観は洗脳か拷問用の機械に見えなくもない。
だがそこには重要な機能があった。
BMI――ブレイン・マシン・インターフェイス。思い浮かべることで機器を操作する装置だ。
音声操作は、オルターによる判断の余地が大きい。とっさの正確な指示が必要とされる戦闘時において、適切で短い言葉を探し出さなくてはならない。
一方、輝矢手製のコントローラーは瞬時の操作に優れ、マイクと併用すれば万能の操縦性を発揮してくれる。欠点は習熟に時間がかかること。すべての動作をスティックとキーボードでまかなうことはできない。どの部位をオルターに任せ、自分が受け持つのか。まばたきほどの時間で判断するには十分な経験が必要だ。
だがBMIは経験なしの的確な操縦を可能とした。
使用者の脳波と脳の血流を計測し、指示をそのまま対象に伝達する。つまり、頭に浮かべたイメージで瞬時かつ具体的にオルターたちの操作を行うことができるのだ。
「てわけで……」
「ちょ……ま……」
梓真の手にしたゴーグルから、理緒は逃れようと立ち上がりかける。
その両肩を輝矢が掴んだ。
「部長命令だから、諦めて」
観念したのか、抵抗が止んで、梓真はゴーグルを彼女の頭に被せた。
「んな怖いもんじゃねえよ」
けれど、彼女は不安そうに、装着されたそれのあちらこちらを手で探っている。
「始めるから座れ。……輝矢」
「はいはい」
梓真はPCのキーボードを輝矢に任せ、自分はゴーグルのケーブルを手繰ってその先端を背面に差し込んだ。
スピーカーが電子音を鳴らした。
「準備OKっと」
「じゃ、やんぞ。……だから、心配すんなって」
イスの上の理緒は、緊張した様子を隠そうともしない。
「……あれ、梓真、こないよ?」
「うん?」
画面では、脳波解析アプリが起動中。左上のウィンドウには回転する3Dモデルの脳がある。しかし全体はグレー表示となって、計測器が何も拾っていないことを示していた。
「理緒……」
「壊れてるんじゃない? 接触が悪いとか」
梓真の視線に理緒が答える。梓真はケーブルを差し直し、端子をグリグリと押し込んだ。
そのたびにPCからは音が鳴る。
「どうだ?」
「何もなし」
「むう……」
さてどうしよう?
理緒は頭からゴーグルを外し、
「ねえ、やっぱり、もうあきらめて――」
そう言いかける。
が、それはけたたましい扉の音にかき消されてしまった。
「おっまたせー! まこ先生たっだいまとうちゃーく!」
「ごきげんですね、先生」
「待て止せかまうな輝矢。こういう時のまこはな――」
しかし、時すでに遅し。真琴が輝矢にしなだれかかる。
「ね、聞いてよ輝くん。教頭先生がね、おまえは駄目だーって、もっとしっかりせんかーってお説教するのよー」
「はあ……」
こっそりと逃げ出す四つ足オルターも、彼女は見逃さない。
「ああー待ってよポポちゃーん!」
「先生、行かせてあげて。バッテリー切れみたいだから」
それは正しかった。
ポボスは部室の端の充電器にお尻を乗せ、“おすわり”の姿勢を取る。
梓真はなんだかいやな予感がした。が、
(ともかく、今はコイツを片づけちまおう)
と理緒の外したゴーグルを、今度は真琴に差し出す。
「これちょっとはめてみ?」
「これ、わたしのじゃないよ?」
「いいから」
真琴は素直に従う。
すかさず輝矢が報告する。
「感度良好。さすがまこ先生」
梓真も画面を確認する。
理緒の時は灰色だった脳のそこここに、反応を示すマゼンタと濃いブルーが現れていた。
ブルーは脳内電流によって生まれた頭皮上の電位を、マゼンタは脳内の血流変化を示す。
「相変わらずすげえ反応だな」
「うふ、そうでしょ? 先生いつもビンビンなんだから」
……言い方はさておき、装置の異常でないことは確認できた。
ちょうどその時――
ポケットが、シャカシャカとした音を鳴らした。入手したての端末だ。
だが梓真は、画面を確認したまま固まってしまう。
「あっくん、出ないの?」
「あ、いや……」
「?」
「ちょっと、休憩にしよう」
そう言って部室を出た梓真だったが、なかなか応答ボタンに指が届かない。
呼び出しは続く。
辛抱強く、彼の性格を知り抜いているかのように――
梓真は、閉めた扉に背中からもたれ掛かった。
夕暮れには少し早い。渡り廊下には強い日ざしが降り注いで、本校舎の一角を暗い影に沈めていた。
手元に目を移す。と、最新型の携帯端末にあの日のイメージが重なる。
あの駐車場の、無惨な姿のオルターだ。
梓真がオルターの顔を正面から見ることはほとんどない。
だから、なのだろう。一年前、A社を訪れた時の記憶が鮮明に蘇り、あれが彼を応対したオルターだったことを思い出していた。
(これを見るたび思い出しそうだな)
発信者はまだ諦めていない。
ようやく梓真は応答ボタンを押した。
『……そんなにわたしと話したくない?』
不機嫌を通り越し、あきれるような声だった。
梓真はとぼけるだけだ。
「いいや」
『……ま、いいわ。……ところで、わたしに何か言うことがあるんじゃない?』
「別に」
掛けてきたのは姉の朋子だった。
忘れかけていたその声は、深いため息のあと本気モードに切り替わる。
『昨日、お母さんから電話が来たわ。瑞希が帰ってきたって。……どういうことか説明して』
「興味あんのか?」
『興味とかじゃなくて、家族でしょ!』
「家族? 一人で出てったくせに……!」
『……ごめん』
「……」
『ごめんね、あっくん』
卑怯だ――梓真はそう思った。
こんなにあっさりと謝られてしまっては、怒りの矛先を無くす。
梓真はまぶしい空を見上げながらこれまでの経緯を白状した。
『ほお。……つまり君は、なりゆきで同い年の
「そこを強調すんなよ……」
憂慮すべきことは他にあるだろ――そう言おうとして留まった。こちらから攻撃の材料を与えたくない。
『替わって』
「あ?」
『その
「……」
部室に戻ると、なぜか真琴が歌っていた。
「とてもとっても言いにくいー♪ そこが魅力なのー♪ メル、クリ、ウース♪」
さすが音楽の先生、きれいな声だ。音程もブレてない。
輝矢はモニターを指さし、何やら理緒に説明している。
「ほら、三回ともこことここの反応が同じ。これが真琴先生の“メルクリウスのイメージ”なんだ」
「へえ……」
「……ちょっといいか?」
「……何?」
「替われってさ」
「は? 誰よ?」
「いいから!」
「……」
怪訝な顔をしながらも、理緒は端末を受け取り席を離れた。
「あの、どちらさま? ……え……いえ……はい。……いえ、そんな、違います……」
視線を戻すと、輝矢が見つめていた。
「お姉さんでしょ」
「……まあ」
嘘を
「彼女になんの用かな」
「もういーい?」
「はい、どうもです、先生」
「……ごくろうさん」
真琴がふう、と言いながらゴーグルを外す。そこへ理緒が戻ってくる。
通話は切れていた。
「なんの話だったの?」
「……戸締まりに気をつけろって」
含みのある言葉に、梓真は口を閉ざして毒づいた。
事情を知らない輝矢は当たり前に受け取る。
「ああ、遅くなることもあるからね」
「そうね、遅いと危険よね。……深夜とか」
(……突然、こんな時だけ電話しやがって)
梓真にはまだ、姉に対する気持ちが整理しきれていない。
同じ事故に遭い、一緒にリハビリに励んだ五つ年上の姉。本当は自分にもっとも近しい存在のはずだった。
それが――
退院すると、逃げるように関西の大学へと復学してしまう。そんな彼女を未だ許すことができないでいた。
自分と母を見捨てた――それは思い込みに過ぎない。けれど思慕と裏返しの感情が、ずっと心に燻っていた。
「さて、どうするんだい? 部長」
(事故……そうか、事故か)
「梓真?」
「小野先生にもらったプラグインがあったろ」
「ああ、試してみる?」
輝矢がふたたびラップトップをいじり始める。それを醒めた目で見ている理緒に、梓真はふたたびゴーグルを差し出す。
「ほら、もう一度だ」
「……」
いちおう手に取るも、なかなか装着しようとはしない。よほど気が進まないようだ。
「恩田さん、気分でも悪いの?」
「え、いえ……」
真琴の声に、理緒がようやく頭に乗せる。
「あのね、偉そうにしてるけど、最初、梓真の脳波も検知できなかったんだから」
「……へえ」
二人から、同時に視線を受け取る梓真。
話してもいいよね?
そう、輝矢の目は訴えている。梓真が無言を返すと、輝矢はさらに続けた。
「それで小野先生、えっと、梓真の主治医の先生に相談したら、これをもらったんだ。事故のせいで脳が測定しづらくなってるんだって」
「ま、助手にでも作らせたんだろうさ。あの人はアナログ畑の人だからな」
「……」
「ほら、出てきたよ」
「……そう、よかった」
心底、ほっとした様子の理緒。
ややぼんやりしてはいるものの、モニターにはさっきまではなかった電位と血流の変化が映し出されていた。
「おまえも、事故とか、頭を強く打ったりしたことなかったか?」
「……さあ、覚えてないわ……」
理緒は言葉を濁したが、覚えがないというのはおかしい。よほどの怪我でないかぎり、あのプラグインは必要ないはずだ。
「理緒ちゃん、よかったね!」
「あ、はい……」
抱きつく真琴に戸惑う。そろそろ慣れないと。
「これで今度の試合もばっちりね」
「これから、うんざりするほどイメージ解析をしなくちゃいけないんですけど」
「あー、そんなことしてたね、うんうん」
それでも、今後の見通しがついたことは間違いない。
しかし梓真は素直に喜べなかった。ふいに浮かんだ疑いが頭をもたげたからだ。
(事故、事故、俺と同じ頭……脳の……)
重傷を負った四年前の交通事故。記憶の欠落で、梓真はその詳細を思い出せないでいた。
運転していたのは朋子で間違いない。
(じゃあ、瑞希は?)
梓真の妄想は止まらない。
(一緒に乗っていたのなら、妹は家出ではなく、どこか別の場所で治療を受け、そして……)
視線から逃げるように、理緒が顔を逸らした。
(まさか、な……)
梓真は頭を振り払う。
――ありえない。
(瑞希が別人のフリをして目の前にいる、なんて、そんなことは……)
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