ななしの少年

冥鳴仁魑

第1話

 2222年2月22日22時22分22秒。

 ──僕は死んだ。


 死因は不明。

 それどころか、どこの誰かすら分からないらしい──生前何をしていてどうして死んだのか。

 僕の遺体は隅々まで検査、解剖されたが、特に外傷も無く薬物が投与された痕跡も見当たらない至って普通の健康体だった。

 自分が解剖されているのを見るのは初めてだったので少々びっくりしたが、痛みを感じないというのは不思議だ。というより、身体の重さ自体を感じない。

 何故なら僕は今、宙に浮いている。

「幽体離脱? いやでも、僕はもう死んでるし……霊体になったのかな」

 霊体になった経験も当然無く、少年ははしゃぐ。

 自分が死んだことを知った時、大抵の人は悲しむ、絶望する。はたまた喜び、解放されたと感じる者もいるだろうが、この少年はそのどれにも該当しない。

 未だ名も無き少年は、ただ冷静だった。

 冷静に状況を分析するその様は、大人のようでありながらも好奇心旺盛な子供らしさに溢れている。

「漫画みたいに壁をすり抜けられたりするかも!」

 そういって、解剖室の隣の部屋に移動してみたり、自分を解剖しているおじさんに悪戯してみたり。おじさんは気分を悪くしたらしく、解剖室を出ていった。

 だが、そんなことは意に介さないというように、少年は次の行動に移っている。

(僕の遺体はのちに燃やされる訳だけど……もし遺体がこの世から消えたら僕も消えるんだろうか?)

 ふとそう思った。

 もしそうだとしたら、遊んでいる場合ではない。別に遊んでいた訳では無いんだけどね。

 適応していた、現実に。

 取り乱すことも喜ぶことも嘆き悲しむこともせず、考える。

 そうしなければ、少年は完全にこの世から消えてしまうかもしれない可能性があるからだ。

 肉体は死んでいたとしても、精神までは死んでいない。

(だって、自分の名前すら分からないままに死ぬのは嫌だもの)

 僕の遺体と霊体になってしまった現状に関連性があるのかという点が疑問だ。

 取り敢えず、現状整理……かな。

 僕が把握しているのは、

 ①2222年2月22日22時22分22秒に死んだ。(これはカルテを見た、記されていたのは死亡時刻だけだ)

 ②名前も、どこの誰かすら分からない。死因も不明。

 ③現在は霊体になっていて、遺体は保管されている。

 ④幽霊っぽいことは大体できそう。

 ……整理してみたはいいけど分からないことだらけだ。

 まあ、遺体と霊体については関連性は無いと思っていいだろう。

 解剖されても痛みを感じなかったのに、身体が消えたら霊体の僕も消えるなんて可笑しい話だ。

 現状の疑問が解決したのはいいとして、そろそろ移動するかな。解剖室にずっといても何も分からないままだ。

 僕を見つけなきゃ。僕の名前を。

 僕を知るために──。


 僕には、物心ついた時から見る夢がある。

 内容は様々。

 でも必ず、同じ女性が出てくる。その女性が僕に向かって喋るのだけど、その言葉だけが聞こえなくて……。

 そして目が覚める。

 生前の記憶なんてこれっぽっちも思い出せないのに、夢のことだけは覚えている。名前ぐらいは思い出させて欲しいものだ。

 名前も、過去も分からないままに成仏はしたくない。

 兎にも角にも手掛かりが夢の女性しかない以上、その女性を探す他ないだろう。

 だが、どうやって探せばいいんだ?

 名前なんて当然知らないし、しかも夢に出てくるだけ。この世界に実在しているのかすら不明なのに。

(取り敢えず外をぶらぶらと飛んでみるか……)

 しかし、飛べるというのは面白い。

 鳥にでもなったみたいだ。翼は付いていないけど。

 解剖室のある病院から外に出ると、真っ白な大粒の雪が降っていた。どうやら季節は冬のようだ。

 雪は触れると溶けて消えてしまうが、霊体の僕には触れさえもしない。僕の身体をすり抜けて降り積もっていく。

 何故僕は霊体になったのだろう。

 この世に未練があったのだろうか。

 考えても分からないけど、それでも無意識に考えてしまう。

 家族は、友人は、恋人は、ペットは──居たのかな。だとしたら今頃どうしているのだろうか。僕が居ないことを悲しんでいたりするのかな。

 センチメンタルな気分になってしまった。

 夢の女性という手掛かりしかないし、実在するのかも分からないが、それでも名前すら無い僕にとっては唯一の情報だ。

 とにかく探すしかない、その女性を。

 僕を助けてくれるかもしれないその人を。

 ……病院からは随分離れたところに来た。

 ブランコやジャングルジムなどの遊具がある。どうやらここは公園のようだ。ベンチもあるから少し休もう。

 霊体だから身体的には特に何も無いのだけど、精神的に疲れた。

 ベンチに腰を下ろす。

 僕が触れたいと思えば、物にも干渉できるようだ。

 相変わらず人には見えないようだけど。

 さほど離れていない隣のベンチで女性が泣いていた。スーツを着ているので多分社会人だ。

 声を掛けようにも幽霊なのできっと聞こえない。そう思ったのに。

「あのっ!」

 ……声を掛けてしまった。

 だって、だって泣いている女性の横顔が、夢の女性にすごく似ていたから。

 もしかしたら……なんて思ったから。だとしたらすごい偶然だ。

「な、な゛んでずか……?」

 女性がこちらを見た。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡れている。

 歳は20代前半といったところで、とてもかわいらしい顔立ちだ。

 というか、僕が視えるのか。まさか声が聞こえるだけでなく姿も視えるなんて。

 それにしても、夢の女性と瓜二つだ。

 この人が僕を助けてくれるかもしれない唯一の人なんだ。

「……僕を、助けてください。」


 少年はまだ知らなかった。

 女性との関係も、この出会いが偶然ではないことも───。

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