4ページ

 

 

1月4日


 今日は朝から水をかけられた。


 いつの間にか無くなっていた、お母さまの形見の髪留めが見当たらなくて探していたのだ。

 探しに庭に出ようと扉を開けて、外に一歩踏み出した瞬間。


 嫌な水音と共に、頭から水が降ってきたのだ。


 何事かと見上げれば、扉の真上、二階の窓からフレアリアが花瓶片手に覗いていた。


「あら嫌だ、お姉さま居たの?」


 百歩譲って気付かなかったとしても、その行動はおかしいだろう。


 普段花になど全く興味を持たないフレアリアは、屋敷内に飾られている花瓶に触れた事もないだろうに。

 そんな彼女が花瓶の水を入れ替えるなど、殊勝な事をするわけがない。よしんば気にしたとしても、メイドにやらせるのがおちだ。


 あんなタイミングよく、私の上に水が降ってくるはずもない。


「ごめんなさあい。でもお姉さまには汚れた水がお似合いよお」


 耳触りな言葉遣いと共に、フレアリアは去って行った。


 私はと言えば、くしゃみが一つ。


 慌てて部屋に戻り、タオルで拭いて着替えたけれど、こんな状態で大雪の外には出れないと今日は諦めた。


 いつまでこんな子供じみた嫌がらせが続くのだろう。


 吐息と共に、無意識にバルコニーに目をやった。

 あれからバルトは来ない。そういう約束だったから。

 

 それでも。やっぱり……寂しいな。


 春よ来い、早く来い。

 

 私はひたすらに祈り続けるのだった。




1月5日


 風邪を引いた。原因は考えずとも分かる。

 凍える雪の中で水浸しになってしまえば、これは当然の結果だろう。


 熱で頭がガンガンする。

 気持ち悪い、食欲もない。


 廊下から、賑やかな声がする。高笑いするフレアリアの声だ。

 甲高く不快なその声が更に私の頭痛を激しくした。


 今日はもうとことん寝よう。




1月7日


 ようやく熱も引いて体を起こせるようになった。粥が美味しい。

 メイドを呼ぼうと廊下に出たら、足に何かが当たった。


 拾い上げたそれは、よれよれのボロボロになった髪留め。

 探していた、あの髪留めだ。


 誰が、どうして……それも考える必要のないことだ。

 原因は「あれ」で、結果が「これ」だ。


 ポロポロと涙がこぼれる。


 バルトに会いたい、それだけを思った。




3月11日


 肌寒い日が続くが、雪はすっかり溶けて木々には新芽が目立ち、すっかり春となった。

 けれどバルトはまだ来ない。


 毎晩遅くまで待ってみるのだけれど、昨夜も彼の姿を見る事は無かった。

 今夜はどうだろうか、と心待ちにしていたら、父からの呼び出しがかかった。


 父と会うのはどれくらいぶりだろうか。


 雪の時期は領地内のトラブル対処で忙しくなる。父はほとんど屋敷に居なかった。


 その間の義母とフレアリアの嫌がらせは熾烈を極めていたけれど。

 父が戻ったなら、それも鳴りを潜めることとなるだろう。


 久方ぶりに──義母の命で、使用人達より粗末なものばかり食べさせられていた──まともな食事がとれた私は、父の部屋へと向かった。


 入るとそこにはフレアリアもまた居た。


 そして告げられる。


 王立学院への入学と──私の婚約について。


 寝耳に水とはまさにこのことだった。

 婚約?

 私が?

 誰と?


「相手は王太子だ。光栄に思え、お前如きが将来王妃になれるのだからな」


 誰が光栄に思うものか。なぜ私が見知らぬ王子と結婚しなければいけない?なぜ大変な王妃教育を受けて、愛も何も無い王の側で一生を過ごさねばならないのか?


 けれど何の力も無い私が、父に逆らえるわけもなく。

 ましてや貴族ではこういった政略結婚など珍しくもない。


 貴族に生まれた以上、私には我儘は言えないのだ。そう、母のように──


 呆然としたまま部屋に戻った私は、ベッドに突っ伏して泣いた。

 誰にも聞かれないように、声を押し殺して嗚咽を漏らす。


 バルト……貴方に会いたい。

 約束の春はとうに来たよ。


 何かあったの?

 忙しいの?

 まだ、来てはくれないの──?


 会いたい、バルトに会いたい。

 けれど私は彼の素性も何も知らない。


 情けない事に、私は彼の事を本当に何も知らないのだ。だから自分から会いに行くことも出来ない。


 教えて貰えなかったのは、ひょっとして教えたくなかったから?


 彼にとって私との逢瀬はただの遊びだったのだろうか。


 嫌な事を考えてしまう。


 きっと今夜もバルトは来ない。

 もう寝てしまおう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る