ひと夏彼女

夏 露樹

第1話 お別れから始める恋物語

「私、秋になったら転校しなくちゃいけないんです」


窓からこぼれる初夏の日差しが古びた木造廊下を照らす午後。


克己かつきの目の前に立つ少女は微かにうつむき、申し訳なさそうに言った。

校舎端の図書室の前だった。


「知ってる。それまでの間だけでいいんだ……それまでの間だけでいいから俺の彼女になって下さい」


深々と頭を下げた克己の頬を西日が優しく染めていた。


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そもそもの出会いは掃除の見回りだった。


男女の出会いのシチュエーションとしては決して頂けたものじゃないが、現実がそうだったんだから仕方がない。



「1年2組。小笠原玲子おがさわられいこです」


職員室前の廊下、職員室側の壁に張られた各種の掲示物の前。

壁を背にした克己の向かい側に並んだ新米風紀委員の列の中から、放課後の校内の生徒たちのざわめきを横目に、一人の少女が列から歩み出て克己の横に並ぶと、向かいの生徒達に挨拶した。


けしてスレンダー過ぎない均整のとれた体躯、切り揃えたわけではないが清潔そうな長めの黒髪は襟足に触れるか触れないかのギリギリ。


(可愛い子だな)。

それが克己の素直な感想だった。



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2年の新学期、新しいクラス編成で集まった生徒はみな克己の見知った顔ばかりだった。


それはそうだ、田舎の小さな町。町立の小中学校と、町にただ一校の県立高校。

山形県の南西の端、隣県新潟との県境に位置する大国町に只1校の県立大国高等学校。

山形の繁華街へ行くにも、隣県新潟の繁華街に行くのも同じ時間という恵まれない土地柄。

周囲を山に囲まれて、町外へ出るには必ず東西どちらかのトンネルをくぐらなければ下界へ出られないと言うちょっとした隔絶地だ。

ほとんどの生徒が小学校からの、いやともすれば幼い頃からの顔馴染。

知らない顔を探すのが難しい位だ。




「立候補者が居ないなら推薦はありませんか」

議長の問いかけにクラスが静かになる。


こういう時何処のクラスにも要らぬお節介をする奴がひとりや二人は居るものだ。


「櫻井克己君がいいと思います」

 窓際の女子が挙手して高らかに告げる。


克己にしてみれば大きなお世話だし、第一彼女は克己の力量を期待して推薦したのではない事は言われなくても克己には分る。


自慢じゃないが入学からこの方、漫然と日々を目立たぬように過ごしてきた克己に推薦を受けるいわれは断じてない。


各種の生徒会委員を選び終わって最後に残ったのがみんなが嫌がる風紀委員。


都会のマンモス校ならいざ知らず、田舎の普通校に風紀を乱すような猛者は少なく、克己の通う高校の風紀委員の主な仕事は放課後の校内清掃がキチンと行われているかどうかの採点作業である。


各学年の教室はもちろん、視聴覚室から保健室までおよそ校内の部屋と言う部屋には教室の黒板以外にも連絡用の白板等が設置されており、毎日その黒、または白板に見回った風紀委員の手による点数が記入されている。


点数は1から5まで。


5の『大変良く出来ました』から1の『やり直し!』までの5段階。


流石に1が記入されることはほとんどないが、教師陣の記憶に寄れば「無い訳では無い」そうだが、何時いつのことだかも定かでは無いらしい。


まあそんな訳で清掃の見回り作業もとかくマンネリ化しており、風紀委員などという肩書からみなが想像するような、良くアニメなどで描かれるくそ真面目な風紀委員でも、生徒に畏怖いふされるような風紀委員でもない事は恥ずかしながら全校生徒の周知するところだ。


学生の情操教育の一環でもある清掃作業の採点を各教室に掲げる事で生徒の自覚を促す。というお題目は立派だが、果たしてここの生徒がそんなに立派だろうかと、他ならぬ風紀委員長を押し付けられた克己自身が首をかしげているのだから何をか言わんやというところだ。




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結局なんのことはない、一年次目立たぬようにと何事もそつなく、かつ常に首肯しゅこうして過ごしてきたのが仇となり、「克己君ならなんでもそつなくこなすし。なんでも聞いてくれるから」と言うわけで俎上そじょうに載せらてしまったわけだ。


内実は、温和に見せている外面とは裏腹に、どうして結構な激情タイプだと自分では思っているのだが、悪目立ちしないよう猫を被っていただけなのだが。




クラスメートからの援護射撃。否、克己に言わせれば戦場で後ろから味方に銃撃されるが如き展開に内心は中指たてて暴れ出したい心境だったが、これまでおとなし生徒を演じてきた手前強く拒絶も出来ずに押し切られてしまった。


 それだけならまだしも、とどのついでに初めての委員会でも上級生の「俺達3年は受験等で忙しいから役員は是非に2年生に」の一言で2年生の修羅の宴が始まったのだ。


「俺部活が忙しくて……」


「私は家の手伝いが……」


その後の詳細は省く。


克己にとって思い出したくもない展開だったとだけ記して置こう。


かくしてめでたく職員室前の廊下、風紀委員達の前で克己は訓示を垂れているわけだ。


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(こんな可愛い子後輩に居たっけ)首を傾げて克己は考える。


1年後輩と言う事は、ほぼ小中高とエスカレーター進学の地元民ならばこれまでもどこかで見かけていてもおかしくはないはずだが克己の記憶にない。


とはいえ、考えてみれば他学年との交流なぞ、それこそ部活が同じとか、今の様に委員活動が一緒になるくらいしか無い訳で、見憶えない顔が居ても不思議じゃないのかと克己はひとりごちる。


 克己は心の思いが顔に出ていないか気にしつつ、委員長として眼前に並んだ委員たちに指示を出す。


下級生たちが巡回を気負わず出来るように1,2年の清掃担当場所の巡回を1年の委員と2年女子に任せる。


「3年の教室は俺が回るから」と言いおき他の3年清掃担当範囲を2年男子に任せる。


ちなみに清掃の見回り巡回に3年生は参加しない。


別に参加が認められていないわけでも、巡回が免除されているわけでもない。

俗にいう根拠も歴史も定かでない伝統とでもと言った所だ。


3年生が放課後何をしているのかまだ2年になったばかりの克己にはわからないし、詮索する気も無いが、たまに女子が暇つぶしの様に顔を見せるだけで男子は見事に顔をみせない。


どうやら3年生が委員会以外顔を見せないのは風紀委員だけではないようなのでこれについては取り立てて文句を言う者も居ない。


そもそも田舎の事で、近隣に他の学校が無い事もあって。

特別偏差値が低いとかいう訳でも無く、辛うじて募集人員に足りる入学希望者しか居ない学校故、あらゆる面でぬるい学校なのだ。


上級生の教室に点数を付けるというある意味度胸のいる作業を下級生にやらせるのは心苦しいからというポーズをとる克己。


一応下級生の前でいい所を見せようという見え見えのスタンドプレーだが、可愛い後輩の前では見栄を張りたくなるのも男子高校生のお約束だ。




「克己君だけ独りで先輩達の教室見回るの大変じゃないの」


きびすを返して見回りに向かおうとする克己の背中を聞き覚えのある女子の問いかけが追いかける。


 振り返る克己の眼に入ってきたのは、誰あろう克己を風紀委員に推薦してくれた憎っくきクラスメート星野杏ほしのあんずだった。


綺麗に切り揃えたボブカットが瑞々みずみずしいうなじを強調して、活発な性格も相まってボーイッシュな杏の魅力を引き立てている。


正直あけっぴろげで眩しい杏の性格は克己の苦手とする所だ。


人をみんなが嫌がる風紀委員に仕立て上げてくれた杏だったが、まさか自分がもう一人の風紀委員に選ばれることまでは見越せなかったらしい。


克己にしてみればざまあみろといった感じだが。

「風紀委員二人必要なんだぜ。一人は克己でいいとして。もう一人どうするんだよ」

こう無責任な男子生徒に茶々を入れられて。

「推薦者の杏だろ」とこれまた考えなしの男子生徒の発言で杏を地獄に道ずれにすることに成功したのは男子生徒の熱い友情、なんかでは決してないとは思うが。


まあ杏はクラスでも可愛い部類に入る女子ではあるし、巻き添えを食らわせたことで留飲りゅういんを下げる事が出来たのを良しとして克己は黙ったのであった。


「下級生を思いやるのはいいけどさ。慣れさせるためにも一人ぐらいは上級生のクラスの見回り連れて行った方がいいんじゃないの」


 すかした顔で言い放つ杏の言葉に内心鼻白みながら克己は咄嗟とっさに下級生の列に声を掛ける。


「小笠原。ついて来てくれ。点検は俺がやるからお前はついてくるだけでいい」


(まったく、思春期の男子と言う奴は)。

自分を笑って克己は歩き出す。


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退屈な放課後にわずかな楽しみを見出した克己だったが、委員長だからといって毎日気に入った後輩を指名して引きずり回すわけにもいかず、その後は巡回メンバーを日々入れ替え、たまに巡ってくる小笠原との逢瀬を心待ちにするチキンな男子高校生の日常がしばらく続いた。




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放課後の昇降口。

「お前部活どうすんの」級友に問いかけられ克己は気の無い返事を返す。


「んーダンスでもやろうかと」


「ておい。うちの学校にダンス部なんて無いだろうが」


「いやだから……」


実を言えば克己も隣の級友も1年次部活と言うものをやっていない。


 世間的には帰宅部に所属していたという認識になっている。


部活動をやっていないと内申書にもそのよしは記載される訳で、いい大学に行こうとかいい勤め先を志望しているやからはもれなくなんらかの部に所属している。


克己が帰宅部だったという事はつまりそういう事で後の説明は要るまい。


実際には入部希望だった写真部が3年生の卒業で部員数が部としての存続人数を割ってしまい自動的に廃部になってしまっていたのだ。


 いきさつを聞いてみればやむを得ない状況だったのだが、入学前から友人と入部を楽しみにしていた克己達は容易にあきらめきれず。早朝から職員室の生活指導の教師の元に押しかけ、部の復活を掛け合ったりしたのだが。

教師の話では、残った部員も既に他の部へと行き先を決めており「今更お前達が入部しても部の存続人数には足りんのだよ」という教師の言葉には、入学したての1年坊主だった克己にはそれ以上返す言葉もなかったのだ。


いやそれ以前に小学生に毛が生えた程度の中坊時代にたまたま見掛けた写真雑誌に感化されて級友と盛り上がったという他愛ない志望理由だったせいもあるのだが。


克己がダンスなぞという自分でもこれまで思った事も無い事を考え始めたのは、他でもない、可愛い後輩小笠原令子との出会いがきっかけだったのだが、そんなこと見栄を張るのが避けても通れぬ男子高校生の克己に言える訳もない。


「最近動画サイトでダンス動画とか良く載ってるだろ」


「ああ あるな、踊ってみたとか、 CGの奴とかも」


「あれ観てて自分でもあんな動画作ってみたくなってさ」


「なるほどなあ……」


 級友はそうは答えた物のその口ぶりはおよそ肯定的な響きではなかった。


まあ実際動画サイト云々の話は嘘でもなく、気に入って良く観てはいたのだが。「自分で作る」の部分はサイトで見かけたCGのダンス動画を「小笠原に踊って欲しいな」という実に浅ましい動機であったのは哀しい事実だ。


友達の手前ダンスなんぞと言ってみたが実のところ克己にダンス経験なぞ有る訳もなく、小笠原にダンス動画の演者を依頼するにしても自分がステップの一つも踏めないと小笠原に踊ってくれとも言い辛い。


かような訳で男子高校生が1階校舎端の階段下の踊り場で一人もくもくとステップの練習をする羽目になった。


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「何やってんの」


呼んでもいない杏がなぜに人が密かにレッスンしてる所に通りかかるのか。


風紀委員の件といい、ここで出張でばって欲しくない、というタイミングで現れるこいつは克己の疫病神なのだろうか。


いやまあ人の通りの少ない場所とはいえ秘密の小部屋と言うわけでもないのでたまに通りがかった人に目撃されることはあるのだが。


「なんでもねぇよ、ただの体力づくり」


「ふーん」


あからさまに信用してない口振りで薄ら笑いを浮かべて消えていく杏。


(男子高校生のうぶな熱情が貴様なんぞにわかってたまるか)。


自分に言い聞かせて克己は拙いステップを続ける。


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「ちょっと待ってて」


克己の言葉に怪訝な顔をして小首を傾げて立ち止まる玲子。


そんな姿も克己には堪らなくキュートに写る。


久しぶりに二人で行う巡回の途中、克己は克己にとってはいつもの階段下を覗き込む。


別に用が有って覗いた訳ではない、というのはもちろん真っ赤な嘘だ。


「どうかしたんですか」

克己の思惑通りいつもは黙ってついてくるだけの玲子が自ら克己に話しかけてきた。


「いや、別にどうもしないんだけどさ、ただ」

ここで克己はわざと言い淀む。


「ただ、何ですか」


小笠原の方から話のきっかけを作らせようとした克己の策にはまって玲子は食いついてくれたが、克己はうまくいった嬉しさと共に可愛い後輩の好奇心を利用して己の都合のいい状況に持ち込もうとしている自分に湧き上がってきた罪悪感にそれ以上何も言えなくなり、怪訝な顔をする令子をかしてそそくさとその後の巡回をむしろぶっきらぼうな態度で済ませてしまった。


思春期、がたし。


実際には誘い水に小笠原が乗ってきたところでダンスの話に繋げて、ダンス動画の件まで持ち込めればと企んでいたのだが、あろうことか自分自身のチキンぶりに計画をはばまれるとか悔やんでも悔やみきれない。


落ち込むこと数日、情けない話だが克己はあれ以来日課の巡回に参加しても小笠原とは碌に目も合わせず、声もかけられない有様だった。


チキンこのうえなし。




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「引っ越し何時いつだって」

問いかける女子の声に別の女子が答える。

「9月18日だって」


「ええっ」驚いた声が続ける。

「もう2か月しかないじゃん」


夏休みまであと数日を残すばかりの放課後、巡回を終えて教室に戻ろうと歩き出した1年女子の会話に克己はいぶかしんだ。


(誰のことだろう)「引っ越し」克己の周囲に引っ越しを予定している人物はいない。


「お父さんの仕事の都合とはいえお祭りの次の週に転校とか可哀そう」


(だから誰のことだってばよう)。角を曲がって姿を消した女生徒のもう見えない後姿に克己は胸の内で問いかけた。




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その日も克己はいつもの如く階段下のほぼ掃除用具置き場のスペースで人目を気にしながらステップを踏んでいた。


踏んでいるのは動画サイトで観たCG美少女が踊っているステップだ。


何故実在の人物が踊る「踊ってみたシリーズ」ではなく「CG動画」なのかと言えば、単に振付が分かり易いから、という単純な理由からだ。




ダンスに自信があればこそアップ出来る「踊ってみた」の真似なぞおよそ出来る自信が無い克己に選びうる動画がそれしかなかっただけだ。


一心に足元を見つめてひとしきり踊り、汗を拭こうと足を止め、壁に立てかけられているモップの柄に引っ掛けたタオルに手を伸ばした時、こちらを見つめる視線に克己は気づいた。


階段の下に潜っていた時にはまるで気付かなかったが、一歩階段下を踏み出してみると柱のすぐ脇にオフホワイトの室内履きにくるまれた白い2本の足。


何の気なしに視線を上げた克己はそこで凍り付いた。


「小笠原…」


思わず声がうわずった。


なんと言葉を繋いでいいか咄嗟に思いつかず、言葉を濁してタオルに手を伸ばし汗を拭う。


無視するわけにもいかず、ひと拭い汗を拭くと小笠原に視線を戻す。だが言葉は出てこない、


何故ここに小笠原が立っているのかはわからないが、おそらく通りがかった時に足音に気付いて覗いたんだろう。


「あの。それって……」


一拍置いて小笠原がおずおずと話しかけてくる。


「うん。ダンスの練習」


かろうじて答えるが後が続かない。


ひとりで妄想していた時には、いざ話しをする機会を手に入れた暁にはあれを話してこれを語ってと、これ以上ない位に饒舌に振舞えた妄想の中の自分は何処へ行ってしまったものやら、考えていたはずのセリフがものの見事に1語も出てこない。


ただ考えていたはずの単語が意識の表層を滑って口にとどまってくれない。




「凄いですね……」


何が凄いのかまったくわからないし、自分のステップがお褒めに預かれるようなもので無いのはいくら鈍い克己でもわかる。場を取りつくろおうとして咄嗟に小笠原の口をついて出た言葉だろう。


「いやあ全然だけど。小笠原はダンスとかは」

期待もせずに克己は聞いてみたが。


「いえあたし運動神経鈍いし」ぎこちなく微笑みながら答える玲子。


「誰だって最初は踊れないさ」フォローにもならない言葉を掛けて克己もぎこちない笑みを返す。


「それでこの間ここ覗いてたんですね」


小笠原の言葉に苦笑を返すしか出来ない克己。




「そのうち一緒に踊ろうぜ」口をついて出た言葉に克己自身が驚いた。

「!」

だが、一瞬驚いた表情を見せた玲子の次の言葉は逆に克己を驚かせた。


「お誘いは嬉しいんですけど。私もうじき転校しなくちゃいけないんです」


その後、家に帰って自室のベッドに腰掛けるまでの間の事を克己は良く覚えていない。


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