第196話 留学

「奏介、ジムまで送るか?」


家を出ようとすると、親父にそう切り出された。


「いいよ。 道もわかるし、ロードワークついでに走る。 行ってきます」


はっきりそう言い切った後、玄関を飛び出し、ジムに向かって走っていた。


こっちのジムに通い始めてから、1週間が経つけど、相変わらず言葉がわからない。


唯一の救いといえば、2個上の『塚田 弘人』が日本人ってことくらい。


弘人は語学学校に通っているせいか、英語も日本語もペラペラなおかげで、俺の通訳を率先してやってくれていたし、料理が得意なようで、簡単なものなら作り方も教えてくれた。



中田ジムのとリッキーのジムで大きく違うところは、誰も何も言わないこと。


指導もしてくれないし、トレーニング内容も自分で考えなきゃいけない。


もし、トレーナーをつけるとしたら、個人で契約しなければならず、試合に出るのもプロモーターと契約しなければならない。


スパーリングも自ら率先して発言し、自分の強さを見せつけなければ、相手になんかしてくれないし、リッキー自身がボクシング場に姿を現すことなんかほとんどない。


『甘えを捨てろってこう言うことか…』


そんな風に思いながら、毎日のように弘人とスパーリングをしていた。


千歳にラインやメールをしたけど、返信はなく、日を追うことに、寂しさはいら立ちに変わっていた。



そんなある日のこと。


黒人でヘビー級のボクサーである『ショーン』が俺の前に立ちふさがり、顎で『リング上がれ』と合図してくる。


黙ったまま頷き、スパーリングを始めたんだけど、その巨体はどんなに打ち込んでもビクともしない。


思いっきり右ボディを放った瞬間、車で撥ねられたような衝撃が顔に走り、たったの1発でダウンしてしまった。


『マジか… これがヘビー級… マジハンパねぇ…』


ゆっくりと立ち上がろうとすると、膝がガクガクと震えてしまい、立ち上がることができず。


やっとの思いで立ち上がったと思ったら、視界には天井にぶら下がる照明が飛び込んできた。


『あ… あれ? 俺、立ったよな? なんで?』


疑問に思いながらゆっくりと起き上がり、何とか立ち上がろうとすると、ショーンが俺の腕をつかみ、立ち上がらせようとしながら何かを話しかけてきたけど、何を話しているのかわからず。


するとショーンは弘人を呼び、少し話をした後に切り出してきた。


「『なんで一瞬立てたの?』って聞いてるよ」


「なんでって… 立たなきゃ負けるじゃん。 俺、ボクサーだし」


弘人が通訳をすると、ショーンは大声をあげて笑い始める。


『そんな面白いこと言ったか?』


不思議に思いながら弘人と話すショーンを眺めていた。


「ショーンが『これから毎日スパーしよう』って言ってるよ」


「OK。 絶対倒す」


はっきりそう言い切った後、リングを降り、壁に貼られた英雄さんの大きなポスターを眺めては、帰宅後に英雄さんから預かったグローブを手入れし続けていた。



来る日も来る日も、ショーンに叩きのめされ続ける日々。


どこをどう打ち込んでも、まったくと言い程効かないし、どこをどう攻撃していいのかわからない。


『ヒントだけでも見えればなぁ…』


そう思いながら自宅に帰り、カレーを作りながら考えていた。


すると、親父が帰宅してきたんだけど、親父はキッチンに立つ俺を見て驚いた表情を浮かべている。


「お帰り?」


「た、ただいま… お前、料理できるのか?」


「ああ、弘人に教わったんだよ。 美味いかはわかんないけどな」


そう言いながら食器にカレーをよそい、親父と二人で食べ始めていた。

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