第177話 お見舞い
ジムを飛び出し、階段を駆け下りると、ジムの前でカバンを斜めがけしたカズさんとバッタリ。
カズさんは俺を見るなり、切り出してきた。
「ちーの見舞いか?」
「はい。 ロードワークがてら行ってきます」
「じゃあさ、これ渡しといてくんね?」
そう言いながらカバンを渡され、不思議に思いながら聞いてみた。
「なんすかこれ?」
「タブレットPCとワイヤレスイヤホン。 新しいの買ったからやるって言っといて。 入院中ってかなり暇だろ? 海外ドラマが履歴に残ってるから、それ見て暇つぶししてろって言っといてくんね? あ、MP3プレイヤーいるか? 欲しいならやるよ」
「欲しいっす! ホント、カズさんって優しいっすよね」
「いらない物を押し付けてるだけだよ」
その後も少し話をし、カバンを斜めがけした後、千歳のいる病院に向かって走り出した。
二人で走った道を一人で走り、土手沿いに出る手前で左に曲がり、千歳のいる病院へ。
病室に入ると、窓から差し込む光の中で、千歳はベッドの上で寝息を立てている。
そっとカーテンを閉めた後、ベッドの横に置いてあった椅子に座ると、千歳は眉間にしわを寄せ、顔をゆがめていく。
その表情を見ていると、英雄さんから言われた『相当メンタルやられてる』『もう走れない』という言葉を思い出し、唇に唇を重ねていた。
唇を離すと、千歳はゆっくり目を開け、思わず顔がほころんだ。
「おはよ」
小さな声で告げると、千歳は不思議そうな表情をし始める。
「トレーニングは?」
「ロードワークついでに来た。 足、痛む?」
「ううん。 今は全然痛くないよ」
「手術するんだってな」
「うん。 2週間くらい入院だって」
「毎日来るよ。 ロードワークついでに来る」
「プロなんだし、ちゃんとトレーニングしなよ」
「ロードワークついでだから良いんだよ。 そういや、カズさんから預かってきたんだ。 これ、新しいの買ったからあげるって。 おすすめの海外ドラマが履歴に残ってるから、それ見て暇つぶししてろってさ」
そう言いながら、カバンからタブレットPCとワイヤレスイヤホンを出し、テーブルの上に置いたんだけど、千歳は手を伸ばすことなく、ぼーっとそれを眺めるだけ。
ボーっと眺めている千歳の表情に、普段見せていた明るさは微塵も感じられず、なぜかこの世の終わりのような、絶望の淵に立たされているような表情に思えてしまい、千歳の頭に手を伸ばした。
千歳の視線はテーブルの上から俺に向いたんだけど、少し落ち着いてきたのか、自然と瞼が閉じようとしている。
「寝ていいよ。 寝付いたら行くからさ」
千歳は声を上げることなく、返事をするように瞼を閉じる。
目を閉じた千歳の表情は、前に見た気持ちよさそうな寝顔とは違い、このまま息を引き取ってしまいそうな表情にも思えていた。
そっと千歳の唇に唇を重ねると、千歳はゆっくりと目を開ける。
「寝れないじゃん」
「…そんな顔するなよ」
「どんな顔?」
「何もかも終わったみたいな顔。 今すぐ変えたくなる…」
はっきりとそう言い切った後、千歳と抱きしめ合いながら、唇にむさぼりついていた。
翌日から、ロードワークの際にはカズさんからもらったMP3プレイヤーで音楽を聴きながら走るように。
ジムに行ったんだけど、英雄さんは落ち込んでしまったようで、まったくと言って良いほど覇気がない。
普段はみんなに目を光らせ、怒鳴り散らしているのに、ボーっとリングの上を眺めてはため息をつき、誰かが話しかけても反応しない。
そんな英雄さんの姿を横目で見ながら、ロードワークついでに病院に行き、相変わらず顔色の悪い千歳が寝付いた後、物音を立てないように病室を後に。
土手沿いを走り抜け、ジムに戻ると、自宅の前で千歳のお母さんが切り出してきた。
「奏介君、ちょっといい?」
「なんですか?」
「また下宿してもらえないかな? お父さん、千歳が入院してから元気ないのよ。 ほら、キックボクシングの試合に出るよう言ったのはお父さんでしょ? 責任感じちゃって、かなり落ち込んでるのよね。 カズは相手にしてくれないし、奏介君なら元気になると思うんだけど…」
「なるほど… 良いっすよ。 俺も英雄さんと千歳が心配だし、雨の日は筋トレしかできないから困ってたんです」
「ホント!? 助かるわぁ!! ヨシの部屋が空いてるから、好きに使っていいからね!!」
お母さんは浮足立つように自宅に戻ってしまい、なぜかお母さんのことが羨ましく思えていた。
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