第58話 伝言

千尋の正体が【田中春香】だとわかって以降、ラインと着信を拒否したせいか、夜に電話が鳴り響くこともなく、久しぶりに安眠できていた。


長い夏休みが終わった後、新学期が始まったんだけど、拒否設定を解除することもなく、そのままの状態でいたある日の放課後。


ロードワークへ行くために、畠山君たちと玄関に向かうと、門の前に立つ春香の姿が視界に飛び込んだ。


『うぜぇ…』


「畠山君、俺、裏から出るわ」


そう切り出した後、靴を持って裏門のほうへ回ろうとすると、みんなも俺の後を追いかけ、裏門から外に出る。


普段とは違うルートを使い、ロードワークを終えた後、裏門から入ったんだけど、ボクシング場に入るなり、薫が切り出してきた。


「中田さんが探してたみたいだよ?」


「中田が? なんで?」


「『んじゃいいや』って帰っちゃった。 部活、来てくれたのかと思ったんだけどなぁ…」


薫は残念そうな表情を浮かべ、一人さみしそうにバンテージを巻き直し始めた。



翌朝。


普段よりも少し早い時間に家を出ると、歩いている中田の後姿が視界に飛び込む。


『ちーではないんだよな…』


落ち込んだ気持ちのまま駆け出し、中田の隣にぴったりと寄り添うように歩き始めると、中田は「げ」っと、声を漏らしていた。


「げって言うな」


「昨日、春香って子が門の前にいたよ? 連絡くれって言ってた」


「で?」


「伝えてくれって言われただけ」


中田はそう言った後に歩くスピードを上げ、それについていくようにスピードを上げる。


黙ったまま歩き続けていたんだけど、ふと頭に『謝らなきゃだめだよ!』と言っていた薫の言葉が頭に浮かぶ。


「…他になんか言われた?」


「千尋ってどの子だって聞かれた」


「なんて答えた?」


「早苗が『そんな子いない』って言ってた」


「…あっそ」


思わず吐き捨てるように言い、黙ったまま歩き続けていた。


『薫は謝れって言ってたけどさぁ… あの時の話して、思い出して殴られたらさ… 俺、生きて学校にいけないかも…』


完全にビビりながらも中田と歩き、学校へ向かっていた。



放課後。


部活を終え、玄関に行くと、春香と中田が門の前で話していた。


『マジしつこすぎる…』


靴を持って裏門に回り、急ぎ足で歩いていると、先にある角から中田が現れ、慌てて駆け寄った。


中田は足音に反応したように踵を返し、俺を見た途端ため息をついた後、自宅のほうへと歩き始めた。


「…なんか悪いな」


「ちょっとくらい話してあげれば?」


「嫌だ。 何があっても、あいつだけは絶対に許さない」


「そのせいで被害を受けるのはこっちなんだけど」


「…迷惑かけてるのはごめん。 謝る。 けど、どんなにしつこくされてもやり直すのは無理」


「なんで?」


「『減量中だ』って言ってるのに、『雑誌に載ってたケーキ食いに行こう』とか、見たくもない恋愛映画に付き合わされたり、やりたいことは一つもできないし、振り回されるばっかりでつまんないんだよ」


「それでも好きで付き合ってたんでしょ?」


「『中田英雄の娘だ』って言われてたからな」


はっきりとそう言い切ると、中田は足を止め、小声で切り出してきた。


「…中田英雄?」


「そ。 俺、あの人に憧れてボクシング始めたんだよ。 ジムの奴にあいつを紹介されたんだけど、その時に『中田の娘だ』って言われてたんだ。 『両親が離婚して苗字が変わった』って言ってたけど、全部嘘だった」


「…その中田って、合宿に特別コーチとして来た人?」


「そそ。 合宿中、マジで興奮したし、超スパルタでめっちゃ楽しかったんだけど、あいつが毎晩泣きながら電話してきてマジ萎えた。 おかげで毎晩寝不足で、ボコボコにされてたんだ。 中田さんの娘、大人相手でも怯まないし、めちゃめちゃかっこいいんだぜ?」


「…会ったことあんの?」


「あるよ。 小学校の時、3か月くらいだけど、同じ学校に通ってたし、毎日のように英雄さんの通うジムを覗きに行ってたからさ。 話しかけてもシカトされたし、すぐに転校したから卒アルにも載ってないし、手がかりが元世界チャンプの娘で、キックボクサーで『ちー』って呼ばれてた。 ちなみに、名前は『中田千尋』。 すげー会いたいんだけど、親戚にいない?」


「いない! つーか、あんたのつまんない話聞いてたら、トレーニングの時間なくなる!」


中田はそう言い切った後、勢いよく駆け出してしまった。


『めっちゃキレてる… 俺、相当嫌われてんだな…』


がっかりと肩を落とし、重い足取りのまま歩き続けていた。

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